第六章 エンパイア・ナイト・フィーバー
第183話 三人のおじさん
エイプル王国南西部、カスタネの町。
中立国アリクアムにほど近い、温泉と国境の町だ。
町の中心部にある冒険者ギルドの建物は、事実上のエイプル王国臨時政府である。
総理補佐官と受付嬢を兼務するミニー・カーネギーが二階の会議室のドアを叩くと、ご機嫌な声が聞こえてきた。
「うおーい、入れぇい」
ドアを開く。
ケラーは『元』総理だ。しかし、神聖エイプルを承認する国が無い現在、対外的には事実上のエイプル王国の総理大臣である。
無論、本来の元首は未成年のサラ王女であり、ケラーは摂政だ。
ケラーはソファに横たわり、平民の労働者が読むようなカストリ雑誌を眺めながら、ストローでコップの液体を吸い込んでいた。
一応補足すると、今日はアルコールの匂いはしない。いつもは昼間から飲んでいるのに、さすがにわきまえているようだ。
蓄音機から流れるのはムーディーな歌謡曲で、ミニーも一応知っているおなじみの曲だ。ただし発表は古く、当時ミニーは生まれてすらいない。
服装は薄汚れた作業服で、どう見ても休日のおじさんだ。
「失礼します、総理」
「どしたぁ?」
「チェンバレン伯爵がお越しです」
「わかった。今行く」
ミニーが扉を閉じようとするが、ケラーはそのまま出てくる。
「あの、総理? お着換えはなさらないのですか?」
「なんで? 見送りだけだろ」
「それはまぁ……そうですけど」
総理が大使を見送るのだ。相応しい格好もあるだろう。
そう思っていたのを見透かしたように、ケラーは背中越しに言った。
「俺には、この格好が一番相応しい。殿下から教えられたよ」
◇ ◇ ◇
二人は階段を降り、正面出入り口から外へ出た。
「……相変わらず、でけぇなぁ!!」
ケラーは子供のような声を上げる。
軍服に紋章入りの赤マントを羽織ったチェンバレン伯爵が跨るのは、肩まで二メートル、頭頂部までなら三メートルはあろうかという、規格外に巨大な青毛の馬である。
中背で少し太めのチェンバレン伯爵が乗っていると、まるで子供が乗っているようだ。
「娘を乗せても平気な馬を、と、国じゅう血眼になって探したものですから。お久しぶりです、ケラー総理」
「嬢ちゃんも、ずいぶんスマートになっちゃったからなぁ。『スシ』号も寂しかろうよ」
「おっしゃる通りです。一時はどうなる事かと思いましたが」
ミニーは息を呑んだ。
この巨大な馬は『スシ』という名前らしい。ジョージ王が考案したとされる料理の名前から取ったのだろうが、そこは問題ではない。
伯爵の娘を乗せるためには、かつてはこの一トン半はありそうな巨大な馬が必要だったという事に、驚きを隠せなかった。
「……ひっ?」
思わず声が出てしまう。『スシ』号と目が合ったのだ。
この巨獣は、贔屓目に見ても動物界最強かもしれない。
「大丈夫だ。こう見えても、大人しい馬だから」
「は、はぁ……」
そう言われてみれば、確かにつぶらな瞳に見えなくもない。……こともない。
伯爵が向かうのは、中立国アリクアム。
そこには大陸戦争に参戦した各国の大使が集結し、講和条約会議が開かれる。
エイプル王国の全権大使として、チェンバレン伯爵が経由地のカスタネに立ち寄ったのだ。
特命潜水艦『サラ・アレクシア』が無事オルス帝国に到着し、エイプルとオルスとの講和が濃厚となった今、世界中で完全講和への機運が高まっていた。
誰もが皆、この無意味な戦争に疲れ切っていたのだ。
しかし、待ち受けているのは過酷な外交戦。
王家の忠臣であるチェンバレン伯爵が自ら出向き、王家の健在ぶりを諸国に喧伝するための華やかな軍服と、巨大な馬である。
「エイプルの未来はお前に掛かっている。頼むぞ、救国の英雄」
「お任せください。このチェンバレン、今度も使命を果たして御覧に入れます。……では、行ってまいります!」
伯爵が鞭を入れると、『スシ』は地響きを立てて走り出した。
◆ ◆ ◆
数時間後。
エイプルとアリクアムを分かつ国境の峠で、チェンバレンは足止めを食っていた。
「おのれ……謀反者どもめ」
岩陰からわずかでも顔を覗かせると、数十発の弾丸が飛んでくる。
よく磨かれた剣を鏡代わりに様子をうかがうと、敵はどうやら一個分隊規模。
神聖エイプルの歩兵部隊が、道の真ん中に陣取っていたのだ。
火属性魔法を放つと何倍にもなって帰ってくる。
「こんな所まで押さえているとは!」
待ち伏せを予測して、いかにも豪勢な馬車と従者を主要街道に回して囮にし、単騎裏道を来たのだ。
しかし、そのまた更に裏をかかれた形になる。
あるいは、手当たり次第に道を塞いでいたのかもしれない。寡兵な彼らも遭遇の瞬間、驚いたような様子だったからだ。
指揮官や兵の練度もそれほど高くはないようだ。
互いに岩陰に身を隠しながらの撃ち合いだが、こちらが圧倒的に不利である。
「引き換えすか……しかし、それでは時間が……」
アリクアムは目前。
かなり進んでおり、あまり時間的な猶予はない。
一目散に逃げるのも手だが、背後から狙撃される可能性が高かった。
小銃の有効射程は魔法の三倍とも言われる。
「…………!!」
見下ろした麓近くのつづら折りを、数十人の兵士が列をなして歩いてくる。
敵が伝令を送り、増援を呼んだのだろう。
ここは断崖絶壁に飛び出た一本道であり、このままでは挟み撃ちになる。
「前門の虎、後門の狼……か!」
じりじりと後退するも有効な手立てを持てず、時間だけが過ぎていく。
こうなれば、イチかバチかで魔法を乱射しながら突撃するしかないだろう。
「フン?」
スシが聞き耳を立てた。
後ろから蹄の音が近づいてくる。チェンバレンは思わず身構えた。
「やれやれ。チェンバレンよ、情けないことだな」
若い頃から何度も何度も、嫌になるほど聞いた声だ。
いけ好かない目つきの白馬に跨り、ぴっしりとプレスされた衛兵隊の制服に身を包んだ壮年の男。
長年の腐れ縁、ウィンターソン総司令である。
若干腹が出ているが、チェンバレンよりはスリムな体系を維持していた。
まずそこが気に食わない。
「フン、モニカをトニーに取られたくせに。何をしに来た!?」
「いや、もうあれから三十年だぞ? いまだに言うか!?」
ウィンターソンは額の汗を拭く。
その瞬間を狙ってちらり、とウィンターソンの頭部を見る。
毛髪力においては、どうやらこちらが勝っていた。
「まだ三十年だ。この……」
「言うなッ!」
一瞬、妙な沈黙があった。まだ言っていない。言いそうになっただけだ。
さしものチェンバレンも、言ってよい事と悪い事くらいは心得ているつもりだった。
一度咳払いすると、何事もなかったかのようにウィンターソンは続けた。
「――やれやれ、俺は衛兵隊の総司令だぞ? 窮地に追い込まれた大使殿を救いに来てやったのだ。どうせ、イチかバチかで突撃しようとしていたのだろう?」
「しかし、座して死を待つよりはだな……前進した方が、数も少ないし」
「無駄無駄。お前の魔法など、銃の前ではただの手品に過ぎん。百パーセントの死があるだけだ」
「し、しかしだな……」
ウィンターソンは余裕の表情だ。
「俺はお前とは違う。事前準備に抜かりはない。見ろ!」
ウィンターソンが指さす方向に目をやると、崖の上部にある岩の出っ張りが目に留まった。
ポタポタと雫が垂れているが、敵がそこに気を配っている様子はない。
「あれは?」
「岩を砕いて氷の魔法で張り付けておいた。俺が指示するタイミングで火属性魔法を撃ちこめ。タイミングさえ間違えなければ……」
氷が解けて敵の上に岩が落ちる。それはわかる。
ウィンターソンの昔からの得意技だ。
「工夫がないな。前の戦争の時と同じ戦術じゃないか」
「じゃ、他に手があるとでも? 言っておくがな、俺たちこれから挟み撃ちに遭うからな? 後ろに戻れば一個中隊と戦うからな?」
「ぐぬぬ……」
まるで言い返せない。ここまでの恥辱は三十年ぶりだった。
ウィンターソンは腕組みすると、不敵な笑みを浮かべた。
「ようやっと分かったようだな、俺の知力を。お前とは違うのだよ、お前とは!」
頭頂部にチラチラと視線を感じる。
やはり気になっているようだ。
◇ ◇ ◇
昏倒している者、骨折している者。手足を岩に挟まれ、動けずにいる者。
重症者のうめき声があたりに響くが、見たところ死んでいる者はいない。
チェンバレンは胸を撫で下ろした。
彼らとてエイプル人であり、多くの者は兵士として命令に従っているに過ぎない。
無意味に殺す必要はないし、峠を登ってくる追手も彼らの救助に手を割かざるを得ないだろう。
意気揚々と二頭の馬は進んでいく。
「フハハハ! 見たか、俺の言った通りだろう?」
ウィンターソンはもの凄く得意げである。
「だが、俺の火属性がないと使えない戦法だからな」
「だ・ま・れ。お前に貸しを作れるのが、これほどまでに心地良いとはな! フハハハハ!」
これほどまでに上機嫌なウィンターソンの姿は、三十年の付き合いで初めてであった。
チェンバレンは小さくこぼす。
「……ありがとよ」
「ん? 何か言ったか?」
ウィンターソンは本当に聞こえなかったらしい。あえて言い直す事もない。
「いや、アリクアム国境が見えてきたぞ」
しかし、本当に戦いと呼べるのはこれからだ。
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