第184話 二人の囚人
オルス城は、城というよりは街だ。
元々は、いちばん外側にある城壁の内側を指して帝都と言ったらしい。
現在では、周辺地域を広く含む範囲が帝都と呼ばれている。
エイプルの王城が七つ入る面積だという。
しかし、一平民であるビンセントにはエイプル城の大きさも、いまいちよく分かっていない。
皇帝の居城である本丸を中心に、いくつもの城壁が同心円状に並んでおり、中心に近づくにつれて重要度が増すという。
軍や衛兵の本拠地だけでなく、元老院、財務省はじめ各省庁、最高裁判所も置かれており、そこで働く者は万を超える。
名実ともにオルス帝国の中枢であった。
驚くべきことに、大型機が離発着可能な滑走路をも備えているという。
衛兵の巡回は自転車で行われるという伝説があった。
「外国に来ても、また牢屋か……」
目の前には、頑丈な鉄格子。ビンセントは頭を抱えた。
三文小説のように、秘密の隠し通路などある訳がない。
牢屋はオルス城の一角にあった。
おおよそ考え得る、最悪の方法で入城を果たした形になる。
ボスは余裕の笑みで、ビンセントを見下ろした。
「なかなかの余興であった。名を名乗るがよい」
「…………ブルース・ビンセント」
「ビンセントよ。このジュリアス・ブラッドリーが、うぬに『勇者』の称号を授けるとしよう。ありがたく受け取るがよい」
「いらん、いらん」
ヒャッハーの勇者になっても、恥でしかない。
しかし、なぜかボスは嬉しそうに頷いた。
「殊勝な心掛けだ。気に入ったぞ」
「?」
ボスは拳をきつく握りしめ、こちらに突き出す。
「我は生まれこそ貴族だが、身分などしょせん与えられたものよ。自らの手で、掴み取ったものにこそ価値がある。それがどんな小さなものであってもな」
「ふうん。あのバイクや車は何なんだよ。庶民はガソリンはおろか、食料もろくに買えないというのに。道楽が過ぎるだろ」
ボスは不敵な笑みを浮かべた。
「クックック……欲しければ奪えばよい。食料もガソリンも、ある所にはあるのだ。己の無力を言い訳にしていては、何物も得られぬぞ」
「普通に買えるのに、あえて盗むのか。訳が分からん。どっちにしろ結局、強者の理屈じゃないか」
ブラッドリーと名乗ったボスと、ビンセントの間を隔てるのは、真ん中に通路を挟んだ二枚の鉄格子。
ボスは、貴族であるにもかかわらず、なぜか牢屋に入れられていた。
外見からは全く分からないので、当然と言えば当然と言えなくもない。実際問題として、ただのチンピラである。
「うぬは、なかなかの腕だ。我の右腕にならぬか?」
「断る。あの髪形も服装も、趣味じゃない」
「いずれ流行る時が来る。今は無理せずともよいが、今から着ておけば、うぬは流行の発信者となろう」
「アホか」
ビンセントは馬鹿馬鹿しくなってベッドに寝転んだ。
ボロボロで異臭のする簡易ベッドから見上げる天井は、頑丈なコンクリートで隙間なく固められていた。
する事も無いので、適当に雑談を交わす。
「……エイプルか、懐かしいな。我も、かつては王立学院に留学したものよ」
何だかんだ言いつつも、ボスは貴族のボンボンらしい。
こうして警察に捕まっている事すら『拍が付く』位にしか思っていないようだ。
平民が捕まれば、例え冤罪であったとしても社会的信用を一気に失い、会社勤めであれば解雇される。
「あんたらが学校で学問だの恋愛だの頑張ってる間、俺は塹壕で殺し合いだ。そりゃ楽しかろうよ」
「そう思うか? 学院は学院で地獄ぞ」
「地獄?」
ボスは腕組みすると、眉間に深いシワを寄せる。
「サザーランドという男は知っているか? 我は僅かの間、師事しただけであったが、ある意味では大した男よ」
「例の教授が、どうかしたのか?」
「奴の欲望は卓越しておる。目ぼしい女学生を自らのゼミに囲っては、次々と手籠めにしておったのだよ。毎年、新入生が入るたびにな」
「……なんだと?」
「奴は昔、エリック・フィッツジェラルドの家庭教師を副業でやっていた。エリックとの関わりをエサに、おもに上昇志向の強い下級貴族の女学生を釣っていたようだ」
「普通、クビになるだろ! なぜ、捕まらないんだ!?」
思わず鉄格子を殴りつけた。
これほどまでに怒りを感じたことは無いと言っても良い。
はらわたが煮えくり返るような、嫌な感覚が全身を駆け巡った。
マーガレットの父親が、娘を学院から遠ざけるのも頷ける。
自分で言った事だが、理由は簡単だ。エイプルの貴族には不逮捕特権がある。
「サザーランドのやり口は、実に巧妙でな。フィッツジェラルド家当主であるエリックの妻になれるから、というのが誘い文句だったようだ。当然、女たちは口をつぐむ。部外者は誰も知らぬわ」
「…………!!」
開いた口が塞がらなかった。
言うなれば、サザーランドはウサギの檻に居座るオークである。
かつては冒険者に討伐対象とされていた、正真正銘のモンスターだ。
「サザーランドはフィッツジェラルドを王に戴き、己が宰相となる事で、より多くの女を集めようとしていたようだ。人妻や幼女は学院にはおらぬからな」
「……ちんこ動物だな。若い女学生だけじゃ足りないのかよ」
心底呆れてしまう。しかし、ボスは不敵な笑みを浮かべた。
「フハハハハ、動物はもっと慎み深い! より多くを求めるは人間だけぞ!」
「人間の欲望には果てが無い、か。アンタが言えば、すごい説得力だ」
思い切り皮肉を言ったつもりだが、ボスは嬉しそうに頷いた。
そのまま顎に手を当てると、一瞬だけ考える素振りを見せた。一応、脳はあるらしい。
「しかしエリックも、その事に薄々感づいていたようではある。亡命も頷けるな」
「亡命じゃない。国外逃亡と言ってくれ」
エイプル王国的には、サザーランドもエリックも犯罪者でしかない。
神聖エイプルを承認した国は無く、他国に於いても事情は同じだ。
「とはいえ奴は狡猾で、なかなか尻尾を出さなかった。かつて学院に居ながら恥ずかしい事だが、我がそれを知ったのはつい先日。エミー・マキオンの懇願からぞ」
「なるほど。アンタ、悪党の割には器がでかいな」
「当然だ。気に喰わない者は殺す」
ボスは得意顔で物騒なことを言う。
「前言撤回だ。この外道が」
「我には誉め言葉よ。……ヤツを野放しにしておけば、必ずや我が覇道の妨げとなろう。ビンセントよ。我への忠誠の証として、サザーランドを倒してみせよ」
自らも囚人の身でありながら、なんとも愉快な男である。
皮肉にも、その愉快さがビンセントに落ち着きを取り戻させた。
深呼吸をして、ベッドに横になる。
コンクリートの天井と鉄格子が語り掛けるのは、自身が虜囚の身であるという事実。
「そうしたいのはやまやまだが、ここから出ない事には、……な」
今も、エイプルの王都ではタニグチが原子爆弾の製造を続けている。
完成までにどれほどの猶予があるかわからないが、そう時間は残されていないだろう。
「――ところで、あんた。その芝居がかった喋り方、やめてくれないか」
「それは出来ぬ。こういう『設定』なのでな」
「……『設定』なら仕方がないな」
◇ ◇ ◇
やがて、コツコツと冷たい足音が響き、見張りの警官が現れた。
鉄格子の扉に鍵を差し込んで開く。
「出ろ」
「はぁ」
通路に出ると、両側に広がる牢からは、恨めし気に囚人の手が伸びていた。
こちらに背を向けたまま、警官は言う。
「オルス帝国は法治国家だ。エイプル王国のような、前時代的な封建国家ではない。それはオルス人も外国人も、貴族も平民も無い。例外なく我が国の法に従ってもらう、それが原則だ」
「はぁ」
ボスが逮捕されたのも、そのためらしい。素直に素晴らしい事で、オルス帝国が羨ましかった。
警官はビンセントに向き直る。
怒りとも呆れともいえない表情をしていた。
しかし、やがて顔がどんどんと赤くなってくる。相当にお怒りらしかった。
「あのなぁ……! はぁ、じゃないだろ! いいか、『外交的配慮による超法規的措置』は、特例中の特例だ! 次は絶対の絶対にあり得んからなッ!!」
「あの、つまり……?」
警官は唇を噛むと、腕組みをする。
「……釈放だ。皇帝陛下と、貴国の王女殿下に感謝しろ!」
「!!」
サラが手を回してくれたのだ。さすが王族である。
先ほどと矛盾しているのは承知しているが、無実を証明するのにも時間がかかる。今は一秒が惜しかった。
警官の後について一歩足を踏み出す。
依然、牢の中にいるボスが呼び止めるように声を掛けた。
「ビンセントよ。今から言う時間と場所を覚えるがよい」
「何で、あんたの言う事を聞かなきゃならんのだ」
「……サザーランドが現れる。そもそも我は、きゃつに鉄槌を下すために来たのだ。エミー・マキオンのかっての頼みでな。その役目、うぬに譲ってやろう」
思わず鉄格子を掴んで揺する。
「いや、そういう事は先に言ってくれ! ブラッドリー!」
「うぬは、我の話をまともに聞こうとする態度ではなかったのでな」
ビンセントは踵を鳴らすと、ボスに最敬礼をした。
「ぜひ、ご教授をお願いします。ブラッドリー閣下。大変、失礼いたしました」
「なかなか見事な手のひら返しぞ。平民らしいと言えば、らしいな。まあよかろう」
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