第182話 友の幻影

「ぐっ……!」


 アスファルトに横たわるビンセントの顔を、ボスは巨大な足で踏みつけた。


「小僧。うぬは我の事を『貴族』と言ったな? ……あんな奴らと、一緒にされては困る」


 ボスの足にますます力が入る。


「あ……ぐ……」


 ボスの身長は二メートル近く、体重は少なく見積もっても百キロを超えるだろう。

 激痛と共に頭蓋骨がミシミシと音を立て、視界に星が幾つも浮かんでは消えていく。


 ◇ ◇ ◇


 朦朧とする意識の中、脳裏に幻のようにカーターの姿が浮かんだ。

 なぜかパンツ一丁で、丸いローテーブルに座ってトンカツとご飯を箸で食べている。


『防御魔法の弱点? そんなものは無え!『無敵の』オレ様が使えばな! ハッハッハ!』


 カーターの幻影は力瘤を自慢げに見せつけてくる。

 口から飛んだ米粒は、幻影らしく掻き消えた。


 なお、カーターは防御魔法に変な名前を付けていた気がするが、同じ技でも気分によって名前が変わるので、他人が覚える必要は全く無い。


「…………!!」


『何かあったはずだって? オレなら連続で二回以上使うと、少しインターバルが必要だぜ! あの男はもっと使えるかもしれねぇけどな! ようは魔力容量の個人差よ!』


「!!」


 カーターの幻影は、大胸筋を手も触れずに動かした。


『まあまあ、お前さんの言いたいことはわかるよ。オレはしょせん、お前の記憶が生み出した幻影だ。お前さんが自分で知っている範囲の事しか答えられねぇよ」


「…………」


『さて、ここで問題だ! 防御魔法は無敵だが、戦局を変える力は無ぇ。なぜだかわかるか?』


 戦場においては無敵ともいえる強さを誇るが、大量動員が前提の現代の戦争では、戦局に影響を及ぼす事は無い。

 十人の魔法使いを倒すためには、銃を持った平民を百人でも二百人でもぶつける。

 実戦を経験した現場の指揮官であれば、誰もがこう答えるだろう。


『――そうだ。弾丸を撃ち込み続ければ、いずれ魔力切れを起こして魔法は解ける。だが、お前さんの弾は十発だけ。……さあ、どうする? 前に話したろう? 思い出せ』


 カーターの幻影は広背筋を強調するポーズを取ると、こちらに顔を向けてニッコリと歯を光らせた。


「…………!」


『――オウケイ! それでいい。……確かにまあ、このまま放っておくと、お前さんの頭蓋骨はぺちゃんこさ。……でも、そこはほら! お前さん、一人じゃねぇだろ?』


 リラックス・ポーズを取りながら、カーターの幻影は消えて行く。

 リラックスといっても力を抜いている訳ではなく、全身の筋肉に満遍なく力を入れる基本ポーズの一つだという。


 どうでも良かった。


『そんな奴、とっととブッ飛ばせ! そして本物のオレ様に会いに戻ってこいや! フハハハハハ!!』


 ◇ ◇ ◇


 幻を見ていたのは、現実の時間ではほんの一瞬だったらしい。


「…………?」


 僅かな衝撃で、ビンセントの意識は現実の世界に帰る。

 顔にかかっていた重さが消えた。


「我らを裏切るのか? …………ジョセフ」


 ジョセフがボスを突き飛ばしたらしかった。


「その、ちょっとやりすぎかなー、なんて。はは……」


 泣きそうな笑みを浮かべながら、ジョセフはツルツルの頭を掻いた。

 ボスはサングラスを外すと、後ろに放り投げる。

 初めて見るボスの表情は一見すると無表情のままだが、額には青筋が浮かんでいた。


「そうか」


 ボスはジョセフの襟首を、片手で軽々と持ち上げる。

 身長差もあり、ジョセフの足は地上から三十センチも浮かんでいた。

 じたばたと暴れるが、ボスの腕は全く微動だにしない。


「うぐっ……」


「だったら、寝ていることだ。落とし前は後で付けてくれる」


 そもままジョセフをショーウィンドウに投げつけた。

 とんでもない馬鹿力だ。

 砕け散ったガラスの奥から、うめき声が聞こえてきた。


 ビンセントは転がって距離を取り、拳銃を抜くとボスに突き付ける。


「そんなオモチャで、我の防御魔法を撃ち抜けるとでも思ったか?」


「防御魔法は、必ずしも無敵じゃない! 勝負しろ!」


 こういった連中は、必要以上にメンツにこだわる。

 こうやって挑発すれば、必ず乗ってくるはずだ。


「……よかろう。だが、その弾を撃ち尽くした後の事は、考えておろうな」


「好きにしろ!」


 ボスが右手をかざし、魔方陣を展開した。

 ビンセントは息を止め、引き金を絞るようにして引く。

 一発。二発。

 青い光が輝き、弾丸を受け止める。障壁に阻まれ、弾丸は力なく地面に落下した。


「無駄だ。我が防御魔法は、対戦車ライフルでもなければ破れぬ」


「どうかな?」


 三発目を撃ち込む。今度は魔方陣のちょうど中心に、そして垂直に刺さったままだ。

 そのまま次の弾を撃ち込む。

 五発目。六発目。潰れた弾丸が、列車のように連結していく。


「バカな……!?」


 魔方陣の中心部には、ある種のスイッチがあり、そこを垂直方向から正確に狙撃することで、魔法の発動をキャンセルする事ができる。

 針の穴に糸を通すようなもので、通常は実行する者は居ない。偶然命中する確率は、ほぼゼロと言っても良いだろう。


 最後の一発を命中させた時、魔方陣がかすれるように消え、防御魔法の障壁も消えていく。

 ボスの顔に、はっきりと狼狽の色が浮かんだ。


「親父の直伝だ、食らえッ!」


 そのまま弾の尽きた拳銃を、思い切りボスの顔めがけて投げつけた。

 回転しながら飛翔する拳銃は、ボスの眉間に正確に命中する。


「ぐぬ…………!」


 ボスは額から血を流し、膝をついた。

 威力としては、金槌を投げるのと同じである。しかし、見た目通り頑丈な男だ。

 間髪を入れず、ビンセントは走り出した。


「――――ッッ!!」


 雄叫びを上げながら、走る。走る。走る。

 全身に残った全てのエネルギーを練りに練り上げるイメージで、ボスの顔面にとどめの飛び蹴りを叩き込む。

 足の裏に、鼻の軟骨が折れる嫌な感触が伝わり、ボスは鼻血を吹いて倒れた。


「…………どうだ!」


 カーターであれば、ただの飛び蹴りにも何かそれっぽい名前を付けた事だろう。

 しかし、ビンセントにはそういったセンスは無かった。絶叫ないしは無言の一撃である。


「うぬは……何者ぞ……!」


「……ただの、平民だ」


「くっくっく……平民ごときに……この我が、な」


 ボスは震えながら立ち上がろうとするが、やがて微かな笑みを浮かべ、力なく倒れた。

 その時である。


「そ、そこまでだーッ!! 大人しくしろイ!!」


 振り返ると、路地裏に隠れていたはずのシャーロットが、チンピラの一人に羽交い絞めされ、ナイフを突きつけられていた。


「やだやだやだ、離して!!」


「暴れんじゃねぇ!!」


 泣き叫ぶシャーロットは、手足を振り回して暴れている。

 その爪先は完全に地面から離れていた。

 チンピラはシャーロットを引き摺るように、ボスのもとへと後ずさる。


「――ボス! 大丈夫ですかイ!? こいつを人質にして……アイッ!?」


 音もなく立ち上がったボスが、片手でチンピラの頭を鷲掴みにして持ち上げた。

 残る手でナイフを摘まみ上げると、後ろに放る。乾いた音を立ててナイフは転がった。

 チンピラが手を離したシャーロットを、ビンセントは地面に落下する寸前に抱き止めた。


「あまり……我に恥をかかせるな」


 ボスはさらに力を込める。


「あ、あば、あばば……!」


 男は目を見開き、舌をだらりと飛び出させながら白目をむいた。

 ボスは、実際にはまだこれだけの力を残していたのである。


 視界の隅で、シャーロットがトムソンのもとに駆け寄ったのが見える。

 トムソンは殴られていない方の手で、しっかりとシャーロットを抱きしめていた。

 ビンセントはスコップを拾い、構える。


「まだ、……やるか?」


 そうは言って見るものの、実際はもう大立ち回りを行うだけの体力は残っていない。

 完全なハッタリである。

 それを見透かされていたのか、ボスは仁王立ちになって腕を組むと、笑い出した。


「カカカカ! 我もうぬも、最早それどころではないわ! 宴は終わりぞ!」 


「なに?」


「殺人未遂、暴行、器物損壊、建造物放火、銃刀法違反、道路交通法違反、その他もろもろの現行犯で逮捕する! 貴様には黙秘権と弁護士を呼ぶ権利がある! 大人しくしろ!」


 十数人の衛兵――後で知ったことだが、オルス帝国では警察官というらしい――が、寄ってたかってビンセントを押さえつけたのであった。


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