第181話 激突

「エリックの事は、もういいのかい?」


 キャロラインの口調は穏やかだったが、マキオンは激怒した。

 目を吊り上げ、きつく結んだ唇を噛み締めているが、僅かに血が滲むほどである。


「あなたがいけないんじゃない! 私の大切なサザーランド先生を誘惑するから!」


 ビンセントは耳を疑った。

 あり得ない。……と思いたかった。

 なにせ、偉大なるキャロライン・ロッドフォード様である。


「…………」


 動悸を抑え、耳を凝らす。


「……でも、あなたのせいで先生は失脚した! 私は先生を追って、オルスにまで来たの!」


「何を言っているか、よくわからないんだけど。じゃあ、その人は何なのさ? 君はエリックの事が好きなんじゃないの?」


「先生のために、エリックとも付き合う必要があったのよ……! でも、もう先生は……私の事……いらないって!」


 キャロラインもよく分からないようだ。マキオンの言う事は、ほとんど支離滅裂である。

 ビンセントは、混乱する頭で状況の整理を試みた。


 エミー・マキオンは、王立学院の教授であるサザーランドと男女の関係だった。

 これは間違いないだろう。

 サザーランドの年齢は知らないが、見たところ父のトニーと同じくらいと思われた。

 その年齢で、娘ほどの歳の差がある相手と交際できるのである。

 教師という身分を非常に羨ましいと同時に、手の中にある自動拳銃の弾丸を全弾、口の中にぶち込みたい、とも思った。


「酷いね。そこは同情するけど」


 エリックが神聖エイプルの王を名乗った。これもわかる。周知の事実だ。

 そのために、マキオンはエリックの女になる必要があったという。

 これがわからない。推測だが、エリックの情報をサザーランドに流していた、という事だろうか。

 そして、実際には神聖エイプルは泥船であり、全ての責任をエリックに押し付け、サザーランドはオルス帝国に逃亡した。

 つまり、それ以前においては、クーデターの実行犯であるジェシー・ロイとサザーランドには繋がりがあり、現在では決裂状態にあることも伺える。


「そんな私を受け入れてくれたのが、彼よ!」


 自動車のやたらゴツいシートに掛けたままの男を差した。

 男は相変わらず表情の読めない顔で、シートの上で脚を組み、腕を組んでいた。


 何よりも、キャロラインがサザーランドを誘惑した、というのが謎である。

 彼女は、そんな事は一言たりとも言っていなかった。

 ただ、黙っていただけかもしれない。

 ビンセントの胸に、もやもやとしたものが広がっていく。


 しかし、男女でキスをしたら妊娠する、などと信じていたキャロラインが、教師を誘惑などするだろうか。


「…………」


 思い当たる節があるとすれば、一つだけだ。

 しかし、それを今この場で確認する方法は無い。


「ぐすっ……」


 鼻をすする音は、後ろに隠れているシャーロットだ。

 目が合うと、股間を抑えて俯いた。

 ビンセントはカーターとは違う。

『後でパンツを買いに行くぞ!』などとは言わない。黙ってハンカチを差し出す。


「……あ、ありが……」


「しっ! 静かに」


 俯いたまま、小声でシャーロットは続けた。


「あ……あいつら、いっつも街を荒らしてて。で、でも、みんな怖がってなんにも言えなくて。……ボスが偉い貴族の息子なの」


「貴族?」


 ビンセントのイメージするお貴族様とはかけ離れている。

 どこからどう見ても世界崩壊後のチンピラでしかない。


「う、うん。取り巻きもいい気になって、略奪も暴行もやりたい放題よ」


 こちらには銃がある。殺すことは簡単だ。

 しかし、それは何か違う気がする。

 気に入らない相手をただ殺すというのであれば、マイオリスの連中と何一つ変わらない。

 それが巡り巡って、大陸戦争だ。

 そもそもここは外国であり、もしも貴族を殺してしまえば外交問題化は避けられない。

 とはいえ、トムソン一家は命の恩人であり、このまま放置する訳にも行かないだろう。


「…………」


 ゴミ箱の陰には、どぶ攫いにでも使ったのだろうか、スコップが一本放置されていた。

 ビンセントは拳銃をポケットにしまうと、スコップを手に取った。

 手にしっくりとくる。当然だ。

 リーチェ戦線では、戦闘よりもスコップやツルハシを使った土木工事が作戦の大半と言っても過言ではなかった。

 塹壕の戦いにおいては、不意の遭遇戦で手持ちの道具を使った肉弾戦が度々ある。

 その場合スコップは、長さ、重さ、強度とも申し分ない武器になるのだ。

 ちなみにどこかの国では、軍隊格闘術の一種として、スコップを使った格闘訓練が必修科目だという。


「――大丈夫。怖い人たちは、俺がやっつけてやるから。ね?」


 シャーロットの目が見開き、ビンセントを捉えた。

 目を見て話をしたのは、これが初めてかもしれない。

 彼女は小さく頷いた。


「――よし」


 表通りでは、言い合いが佳境を迎えていた。


「うるさいわね! 全部あなたのせいよ!」


 マキオンは手をかざし、魔方陣を浮かべた。色は赤。基本的な、最も使用者の多い火属性らしかった。

 キャロラインも背中側に隠した手で、魔方陣を発生させている。


「ブルース君!」


 ビンセントはシャーロットの目を手で覆うと、自らもきつく目を閉じた。


「うああああああ!!」


「目がッ! 目がああああああ!!」


「何だコリャあああ!!」


 閃光の中、男たちの悲鳴があたりに響く。

 その場の全員が、涙を流しながら手で目元を覆っていた。

 スコップを持って駆け出すと、手近な一人のすねに向けて、スコップを叩き付ける。


「ぐあああああああ!!」


 続いてもう一人。涙を流しながらも、やみくもに振り回される鉄パイプをかわし、手首に強めの一撃を叩き込む。続けて膝に一撃。


「あああアッー!」


 もう一人。また一人。次々と手足にスコップを叩き込むと、男たちは悶絶していく。

 計算外だったのは、ジョセフとトムソンの親子も巻き添えで一時的な失明状態にあることだった。

 特にジョセフは、他の男たちと同様の奇抜な扮装をしているので、危うく殴りつけそうになる。

 

「あ……ぐ……」


 キャロラインに目をやると、一見華奢な、それでいて油断ならない拳をマキオンの腹にめり込ませていた。

 そのままマキオンは動かず、もたれかかるようにして失神する。


「やる……!」


 続けざまに手近な一人にスコップを叩き付けようとしたその時、見えない何かに当たってはじき返された。


「防御魔法!?」


 シートに座っていた大男だ。守られたチンピラが叫ぶ。


「ボスッ!?」


 やはりこの男がボスだ。

 サングラスによって閃光を防いだのだろう。


「調子に乗るのも、その辺にしておくがいい」


 初めて声を聴くが、ファンキーな服装の割に、落ち着いたバリトンボイスである。

 魔法使い相手に銃器無しで戦うのは得策とは言えない。

 ビンセントは飛び込むようにしてオートバイの陰に隠れた。


「あんた、貴族のくせにこんな事をしていて恥ずかしくないのか!」


「黙れ下郎が!」


 ボスの手のひらに魔方陣が浮かぶと、ビンセントは盾にしたオートバイごと吹き飛ばされた。

 アスファルト舗装がヤスリのように全身を痛めつける。


「ぐっ……!」


「仲間をここまでやられて、さすがに黙っておく訳には行かぬ。覚悟するがいい」


 オートバイと地面に挟まれた足をどうにか引き出した頃、悠然と歩くボスは目の前に迫っていた。

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