第179話 いつかの少年
天を貫く摩天楼が幾つも、幾つも並ぶ。
地上では、貴族、平民、奴隷、役人、僧侶、娼婦……あらゆる階層の人々でごった返している。
混沌、という言葉が最も適切だろう。
他の国では階層ごとに居住地域も分けられ、すれ違うことは希だ。
ビンセントが今までに見た都市の中で、帝都は最も大きな都市である。
いや、そうではない。誰にとってもそうだ。
人口、面積、経済、商工業……あらゆる分野で世界の最先端を走る、世界最大の大都会。それが、帝都。
川や道路で二十三のエリアに分かれているが、そのエリア一つだけでエイプルの王都に匹敵する人口だという。
時刻は夕方。皇帝の居城、偉大なるオルス城は見えている。
しかし、交通渋滞のせいでさっぱり近づけない。
帰宅ラッシュだ。平民が自動車で通勤している。
渋滞を起こすほどの自動車が普及しているという事実だけでも、頭がクラクラした。
なお、エイプル王国は自国こそが機械文明の発祥なのだ、と自動車の輸入に消極的だった。
「ガソリンが足りない、足りないと言っている割には、車が走ってるね」
「……そうね」
「道路をもっと広げればいいのにね。幹線道路が片側一車線じゃ、さすがに狭いよ」
「……そうね」
「あそこにお坊さんがいるよ」
「……僧ね」
会話が続かない。
ビンセントは、シャーロットとトラックの荷台に乗っていた。
見違えるように変身したキャロラインを見て、トムソンが荷台に乗せる訳には行かない、と助手席に乗せたのである。
誰だってそうするだろう。
シャーロットも最初はそう言っていた。しかし、それはイコールビンセントと荷台に乗ることになるのだ。
そこは誤算だったのだろう。
「…………」
姿勢を直すと、尻ポケットの固い感触が伝わってくる。
万が一の事を考えて、と先任が拳銃を貸してくれたのだ。
荷台と運転席を隔てる窓に視線を移すと、キャロラインのうなじが見えた。
コクコクと舟を漕いでいるのがわかる。
「鳩が何か落としたな」
「フーン」
独り言だったが、案外ちゃんと返事はしてくれる。真面目な子である。
「…………」
一瞬、歩いた方が早いかもしれない、という考えが頭をよぎった。
しかし自動車は高級品だ。それはオルスでも間違いない。
この『軽トラック』とやらがどれほどの値段なのかは知る由もないが、そうポンポンと買える物でもないだろう。
放置して盗難に遭ってはたまらない。我慢してこのまま行くしかないだろう。
「おとーさーん……おなか減った……」
シャーロットが言うと、運転席からトムソンが顔を出す。
「我慢しろい! この二人を連れて行かないと、報奨金がもらえねぇんだよ!」
「トムソンさん」
キャロラインの声だ。寝起きなのか、機嫌が悪そうである。
「は、ハイ!?」
「少し、休もうよ。シャーロットが可哀相だ」
「ハイ! 適当なお店に入りますッ!」
トムソンはクラクションを鳴らすと、半ば強引に目の前にある店の駐車場に車を滑り込ませた。
「お父さんったら、危ないなぁ」
そう言いつつも、シャーロットが笑った顔を初めて見た気がした。
◇ ◇ ◇
渋滞の中を我慢して進むより、休んでおいて空いた時間を見計らって走ったとしても、時間的には大差ないだろう。
ネオンサインがけばけばしい、レストランと喫茶店を合わせたような店だ。
ドアをくぐると、客の視線が一瞬キャロラインに集まった。
が、皆すぐに視線を戻す。都会は他人に無関心らしい。
「いいか、シャーロット。あまり食うなよ。お城に行ったらよ、どんなご馳走が出るか分かりゃしねぇんだからな!」
「んもう、わかってるよ」
店主らしき男の眉間に、一瞬しわが寄ったように見えた。気のせいだろうか。
四人の前に出されたのは、小さな皿に乗ったフィッシュ・アンド・チップス。
「へぇ、これが本場の。初めて食います。でも……」
値段の割に量がかなり少なめだった。味も薄い。
トムソンは自嘲的な笑みを浮かべる。
「基本的に食い物が足りねェからよ。ウチは漁師だからそれなりに食えてるが、スラムに行けばヒデェもんさ」
一見華やかな大国の都会も、白鳥のように水面下では必死だったらしい。
「…………」
リーチェでオルス軍と戦った時の事を思い出す。
オルス帝国が攻めてきたのは、エイプルの穀倉地帯を狙っての事だ、とはヨーク少尉の推測だ。
特に根拠はなかったが、案外当たりかもしれない。
トムソンが言うには、都市では食料が配給制だという。
「……だが、食い物もガソリンも、ある所にはあるのさ。自動車通勤してるやつも、たくさん居るように見えるが……ありゃ全部、お城の連中だ」
トムソンは苛立たし気にフォークをイモに突き刺す。
「――ガソリンの一滴は血の一滴だ、なんて言ってやがるけどな。 連中、休日にはマイカーでお買い物だぜ。ふざけやがって」
「…………」
ビンセントとキャロラインが黙っているのに気付くと、トムソンはやや不自然に笑顔を作った。
「俺たち庶民は、どうにかしておこぼれにあり付きたい。サラ王女にコネがあるあんたらは、そのために必要なんだよ。逃げるんじゃねぇぞ」
どの国も、内情は大差ないらしい。
外国からのお客様、ということで抑え気味にしているが、相当な怒りがあることだろう。
「わかってますよ」
◇ ◇ ◇
陽はとうに落ち、少しずつ渋滞は緩和されつつあった。
「シャーロット、遅いね。僕、ちょっと様子を見てくるよ」
シャーロットがトイレに立ってから、すでに十分が経過していた。
トイレは入り組んだ通路の奥にあるので、こちらからは見えない。
「腹でも壊したかなァ?」
トムソンはじつに呑気だった。
「俺も、同じ物食べてるんですけどね……」
キャロラインが他の客の迷惑も考えず走って戻ってきた。
酷く慌てた様子である。
「ブルース君、手伝って! シャーロットちゃんが変な男にナンパされてる!」
「変な男、ですか?」
ビンセントは、さほど腕っぷしが強い訳ではない。
とはいえ、現役の兵士で銃も持っている。
チンピラなど訳はない。……ことも無いが、あまり格好悪い姿は見せられない。
「ふざけんな! 人んちの娘に!」
トムソンがいの一番に駆け出し、後を追う形になる。
「――おい、俺の娘に……っておい!」
その少年は、オレンジに染めた髪の中心部だけを残して逆立て、頭の左右を剃り落とした特徴的な髪をしていた。
耳どころか鼻にも唇にも無数のピアスが並び、右目の周りには星型の化粧。
素肌の上に直接着ている革のベストも、無数のリベットで飾られている。
確かに変な男だ。
「…………」
「…………」
トムソンとシャーロット、それにガラの悪い少年は、まるで彫像のように固まっていた。
キャロラインがビンセントを肘でつつく。
「知り合いかな?」
「さぁ……」
トムソンの握り拳が震え、止める間もなく少年の頬にめり込んだ。
派手な音を立てて少年は壁に激突する。
「やめて! お父さん!」
「シャーロットは黙ってろ! ジョセフ! 俺は、お前をそんな風に育てた覚えは無ぇ!」
頬を押さえながら少年はフラフラと立ち上がった。
「うるせぇな……! 親父に、何がわかるんだよッ!!」
少年はトムソンに殴りかかるが、体格で勝るトムソンは少年を抱え上げると、そのまま後ろに倒れ込んだ。バックドロップだ。
床に叩きつけられる音と同時に、シャーロットの悲鳴が響く。
「お兄ちゃん! 大丈夫!? お父さんももうやめて!」
「うるせぇ! 剃刀を持ってこい! このふざけた髪を剃り落としてやるッ!」
トムソンは少年に四の字固めを掛けている。
「やめろ、バカ親父! いででででで!!」
ビンセントとキャロラインは呆気にとられ、顔を見合わせた。
店内はすでに大騒ぎになっており、野次馬根性を発揮した客を店員が押さえ込んでいる。
「いったい、何事ですか!? 説明してください!」
店長と思しき男が涙目で聞いてくるが、答えは一つしかない。
「親子喧嘩、らしいです」
◇ ◇ ◇
少年の名はジョセフ・トムソン。
目の周りの星型は落とされているが、代わりに親子喧嘩の青痣で無残に化粧されている。
似ても似つかないパンク・ファッションだったので信じられないが、彼はカスタネ上空に飛来し、ビンセントたちに撃墜されたパイロットである。
「エイプルに一番槍を決めたのによぉ……帰った俺を待っていたのは、スパイ疑惑だ。撃墜されて歩いて帰るなんざ、まず無いからよ」
「……大変だったな」
「そもそも、アンタなんでここにいるんだよ」
ビンセントは、最後に会ってから今までの事を掻い摘んで説明した。
自分の事。エリックの事。サラの事。潜水艦『サラ・アレクシア』とその乗組員の事。
「……アンタも大変だったな。つか、あのガキ王女様かよ……」
案外素直なところは、どことなくシャーロットに似ていた。
黙って聞いていたキャロラインが口を開く。
「一つ、提案があるんだ」
「なんだよ」
「僕たちを、君ら親子三人で見つけた、となれば……たぶん、君は英雄になれると思う。名誉挽回に……ならないかな?」
「ああ!? 何で俺を撃墜したアンタに、んな事言われなきゃならねぇんだ! 仲間が何人死んだと思ってるんだよ!」
ジョセフはキャロラインを睨みつける。
威嚇しているつもりだろうが、まるでにらめっこの変顔だ。
「僕だって、君の仲間に……きょうだい同様に育ったスコットを殺されたんだ。お互い様だよ。でも――」
キャロラインは複雑な視線をジョセフに向けた。
あらゆる感情が混じりあっているようだが、彼女はその全てを抑えているようだった。
「もうすぐ、戦争は終わる。殺しあう理由も……無くなるんだ」
とはいえ、戦場で敵として出会った相手だ。
銃撃を行った直接の下手人ではないが、カークマンを殺した仇を討ちたいという想いもあることだろう。
ビンセントも、展望台で初めて出会った時はそうだった。
それはジョセフも同じだろう。彼は視線を逸らし、きつく唇を噛んでいた。
シャーロットがジョセフの袖を引っ張る。
「お兄ちゃん……キャロラインさんと……仲直りして――」
今にも泣きそうだったが、やはりポロポロと球のような涙を流しだした。
「うああああん! お兄ちゃん、もうやめてよぉ! 怖いよぉ! あああああん!!」
客どころか、窓の外を歩く通行人すらも一斉に注目する。
事情を知ってか知らずか、口々に勝手なことを言う。
「チンピラが女の子を……」
「いやぁねぇ。釘バットとか持って暴れてそう!」
「警察呼ぶ?」
カウンターの上に置かれた電話に、客の一人が手を伸ばそうとする。
トムソンが駆け寄り、何事か話すと、客は怪訝な顔で席に戻った。
目の届く範囲に、ジョセフの味方はトムソンとシャーロットしか居なかったのだ。
「わ、わかったよ、兄ちゃんが悪かった!」
あたふたとジョセフはシャーロットをなだめるが、泣き止むまでにはそれなりに時間を要した。
泣く子には勝てないのは万国共通らしい。
そして、シャーロットがジョセフの背中を押したようだ。
◇ ◇ ◇
その後ジョセフは近所の床屋へ向かい、帰って来た時にはピカピカのスキンヘッドであった。
シャーロットが吹き出す。
「ぷっ……お兄ちゃん、おかしい!」
しかし、ジョセフはまんざらでもないようだ。
「シャーロットが言うから、アンタらを殺さずにおいてやるぜ。……感謝しやがれ」
ビンセントに向けて中指を立てているのは、照れ隠しだと思いたい。
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