第178話 恐るべき錯誤
「ポート・オルスに『サラ・アレクシア』が停泊しているはずだけど、やっぱり寄った方が良いかな?」
「帝都へ行く途中なんですよね? だったら一応、寄っておいた方が無用な混乱を避けられそうです」
日差しが海面でキラキラと眩しく、思わず目を細める。
アスファルトで舗装された海岸道路は、とても快適な乗り心地だ。
エイプルでは舗装路といえば石畳だ。新鮮である。
走るトラックの荷台の上は、決して乗り心地が良くないと言われていたが、そんな事はない。
未舗装路を走る乗用車よりも快適だった。
上目遣いのキャロラインがビンセントの袖を引っ張りながら聞いて来た。
「ところでさ、男の子かな? 女の子かな?」
「何がですか?」
キャロラインが小さく息を零すと、自分の腹に手を当てた。
「この子だよ」
「……お腹にお子さんが……いらしたんですか」
キャロラインは頷く。
少し、いや、かなりショックであった。父親が誰かと思うと、血の気が引いていく。
「僕と、君の。ね」
「は?」
「ごめんごめん、君は覚えていないよね」
キャロラインの言う通り、全く覚えがない。
得体の知れない不安感が、全身を支配した。
「あの……俺に、ナニをしたんですか?」
キャロラインは空を見た。空を見ながら続ける。
「浜に打ち上げられた時、君は息をしていなかった。僕は殿下と違って回復魔法を使えないから、助ける方法は人工呼吸しかなかったんだ」
「それは……ありがとうございます。……ですが、何故そんな話に?」
キャロラインは命の恩人だったらしいが、話の繋がりが見えてこない。
彼女はそのまま膝を合わせると、モジモジと俯いた。
耳まで真っ赤になっている。
「んもう。意地悪だな、君は。……男と女でキスしたら、赤ちゃんができるだろう?」
「で、できません!」
そうであれば、エリックの子供が何人、何十人いや何百人居てもおかしくない。
なぜかキャロラインは驚いたように目を丸くする。
「えっ? じゃあ、どうやったらできるのさ!」
「それは……」
説明する。
ただし、もちろん実体験ではない。
キャロラインの顔から表情が消え、真剣な顔に戻っていった。
「あっ……そう。……いや、そのくらい僕も知っていたよ! ただの冗談さ、真に受けちゃってもう、いやだなあ!」
キャロラインがバンバンと肩を叩いてくる。
何となくだが、シャーロットがビンセントを初めて見た時に、泣き出した理由が分かった。
キャロラインの話を聞いていたのだろう。シャーロットも素直な子である。
「――なるほどねぇ。つまり、そういう事か」
「えっ? 今、なんて?」
「ううん。何でもないよ」
◇ ◇ ◇
ポート・オルス。
桟橋に近づくと、ボロボロの潜水艦が停泊しているのが見える。
『サラ・アレクシア』だ。
遠目にもわかるほど損壊しており、艦体の各所では溶接の火花が散っていた。
トムソンが叫ぶ。
「潜水艦に寄って行くのは構わねぇけどよ、アンタらを助けた報奨金は俺のものだぜ! 待っているから、必ず戻るんだ! いいな!」
「ええ、わかっています。ちゃんと帝都までお願いしますから、安心してください」
地図でしか見たことが無いが、帝都はポート・オルスから少し内陸に行ったところにある。
とはいえ、一本の川を境に隣接しているので、自動車に乗って気を抜けば、いつの間にか帝都に入っているという。
エイプルと違い、都市と都市の間にまでぎっしりと街が続いているのだ。
ビンセントとキャロラインは、乗組員が慌ただしく駆け回る『サラ・アレクシア』の甲板に手を振った。
やがて、その中の一人が二人に気付くと、慌てて駆け寄ってくる。
「ビンセントッ! ロッドフォード様ッ!」
ベンだ。彼の声を聞いた者が一人、また一人と集まってくる。
とたんに周囲に人だかりができた。口々に無事を祝う言葉を掛けてくれる。
「心配をかけたな。すまない」
「無茶しやがって! バカヤロウ!」
ベンは袖口で目元を拭った。
男泣きに泣くベンの肩に手を置いたのは、先任だ。
「泣くなら向こうで泣きたまえ」
「はっ! そうします!」
ベンは敬礼をすると走り去った。単純な男である。だが、悪人ではない。
「ビンセント、よく戻ったな。艦長は殿下に付いて帝都だが、後ほど私から報告しておく」
「はっ! ご心配おかけしました」
「何にせよ、生きてて良かったよ。色々な意味でな。さて……」
何を思ったか、先任は拳銃をキャロラインに突き付けた。
他の乗組員も、取り囲むようにして拳銃や小銃を突き付けている。
「先任!? 一体何を……?」
先任はとても悲しそうな、それでいて冷酷な表情だ。
「ジェフリー・ロッドフォード。あなたを拘束する」
場の空気が凍り付いた。
キャロラインは一歩だけ後ずさると、無言でかぶりを振る。
もちろん、彼女は称えられこそすれ銃を突き付けられる謂れはない。
「ま、待ってください!」
ビンセントはキャロラインと先任の間に割り込んだ。
「本国から通信が入ったのだ。内容は『マイオリス』の名簿だ。その中に、ジェフリー・ロッドフォードの名があったのだよ。邪魔をすれば、お前も拘束するぞ。どけ!」
男装の弊害が露見した形だ。
ビンセントは両手を広げてキャロラインを庇う。
「どきません! 違うんです、この人は!」
◇ ◇ ◇
『サラ・アレクシア』艦内。
軍医長とキャロラインが医務室から出てきた。
「間違いありません。この方は、女性です」
「…………」
キャロラインは俯いたままである。
先任は、深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました。キャロライン様。……しかし、なぜ男装を?」
「だって……艦内は男の人ばっかりじゃないか……怖かったんだよ」
「重ね重ねお詫びいたします。しかし、だとすれば……本物のジェフリー・ロッドフォードが野放しという事に……」
「だから言っているじゃないか。それでみんな困っているんだ」
キャロラインは冷たく言い放った。
怒鳴りこそしていないが、相当にお怒りだ。
先任はバツが悪そうに頭を掻く。
「お二人を発見したトムソン氏とお嬢様に頼んで、わかりやすい服を買ってきてもらいました。こちらにお着換えください」
先任の口からは、誰にも聞こえないような声で、紛らわしいので、という言葉が漏れた。
差し出したのは、洋服屋の紙袋だ。
キャロラインの男物の背広は、確かにボロボロである。
「……わかったよ。着替えたら、僕らはもう帝都に行くから。いいね?」
「もちろんでございます。殿下もお待ちでしょう」
◇ ◇ ◇
「自動拳銃が一丁……心細いが、街中だしな」
ビンセントも拳銃と一緒に予備品の制服を渡され、着替える。
今までの服は、正直を言えば臭かった。
血まみれなのに洗濯ができず、そのうえ海水で非常に磯臭かったのだ。
時間の経過とともに臭いはきつくなっていた。
「水兵用のおしゃれな白いセーラーかと思ったけど、海軍陸戦隊の戦闘服だね。君のセーラー姿を見たかったけど、残念だよ」
後ろから声を掛けてきたのは、キャロラインだ。
「ええ、陸軍の服とほとんど同じで……す……!?」
キャロラインは、どこのお姫様かと言わんばかりの、ベビーピンクにフリルたっぷりのふわふわしたドレスに身を包んでいた。
膝下の丈で、黒いストッキングが覗いている。靴は真っ赤なストラップシューズ。
まるでお人形さんだが、顔が小さいのでよく似合っていた。
「僕はこういうの、あんまり似合わないんだけどな。家でちょっと着るくらいだよ」
「似合わないなんて、とんでもない。常時、着用をお勧めします……!」
キャロラインは小首を傾げた。
「そう……? 君がそう言うなら、考えてみようかな。さあ、行こうか」
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