第177話 オルス帝国の一家

「お、おきたっ!?」


 ビンセントが漁具小屋で目を開くと、そこにはまん丸な瞳が見開かれていた。


「……君は……?」


「ひいっ!? 喋ったっ!?」


 少女は怯えたように後ずさる。

 真っ黒に日焼けをした、黒髪の少女だった。

 年の頃はレベッカと同じか、少し年下くらい。

 服装は男の子のような襟付きのシャツに、半ズボン。足元は安っぽいサンダル。

 表情は恐怖に引きつっている。


「ま、待ってくれ。怪しい者じゃない」


 ビンセントは両手を上げるが、少女は彫像のように動きを止める。

 やがて全身を震わせ、両目から玉のような涙がこぼれ落ちた。


「おどーざーんっ!! たすけてーっ!! ヘンタイに襲われるーっ!」


「ち、違うんだ! 俺たち、乗っている船が沈んで……!」


 自らの意思で沈める艦とはいえ、嘘ではない。

 傍らに寝ていたはずのキャロラインに目をやったつもりが、そこには誰も居ない。


「やだやだやだーっ! やめてーっ! 犯されるーっ!! 赤ちゃんできちゃうううあああああん!!」


「だ、だから……」


 騒ぎを聞きつけたのか、少女同様真っ黒に日焼けした、初老の男が駆け寄ってくる。

 このままでは衛兵に引き渡され、エイプルに帰れなくなってしまう。

 ここはオルス帝国なのだ。


「シャーロット! 大丈夫だ、その人は――!」


 男はとても慌てた表情だ。

 その後ろをキャロラインが青い顔で追いかけていた。

 男は叫ぶ。


「その人は、強姦魔じゃない!」


「…………」


 とても失礼な勘違いである。ビンセントのちんこは未使用なのだ。


 ◇ ◇ ◇


 男は、トムソンと名乗った。近くに住む漁師だという。

 漁具を取りに来たところ、先に起きていたキャロラインを発見したらしい。

 事情を話したところ、食事を出してくれることになったそうだ。


「その、ごめん……」


 キャロラインは申し訳なさそうに小さくなった。

 疲れ果てて眠っていたビンセントに気を遣ってくれたのだろう。

 それが裏目に出てしまった。


「いえ、気にしないでください。誤解は解けましたから」


「駄目だなぁ……僕、君に酷い事をしてばっかりだ」


「気にしていませんよ」


 そこまで落ち込まれては、逆にこちらが気を遣ってしまう。


「『サラ・アレクシア』のベッドで寝ている君は、いつもうなされていたからね。珍しくスヤスヤと寝ていたから、起こしづらくって」


「俺が、……ですか?」


 少し戸惑う。まったく自覚は無かったのだ。

 ビンセントはこの時、初めてその事を知った。


「うん。君、起きている時は普通なのにね。もしかしたら、君の心は今も……リーチェに居るのかな」


「…………」


 キャロラインは酷く悲しそうな顔をすると、俯いたまま零した。


「……ごめん」


 ◇ ◇ ◇


 男の家は、小屋のすぐ近くにあった。

 妻と思しき女性が、魚介たっぷりの味噌スープと炊いた米を出してくれる。


「若い人には、お米が良いと思って」


「ご迷惑をおかけして、すみません……」


 米や麦は貴重品だと聞いている。

 オルス帝国の食糧庫は底を尽きつつあるという。

 エイプル王国がどうなろうと、オルスの継戦能力は限界が近かったのだ。


「おいしい!」


 キャロラインが声を上げる。


 スープにはアンモナイトやシーラカンスが入っていた。

 シーラカンスは体質によっては腹を下す場合があり、注意が必要である。

 しかし、そんな事を気にしている余裕はない。ひどく空腹だったのだ。

 ビンセントとキャロラインは、かき込むようにして平らげた。


「あなたたち、エイプル人よね」


 シャーロットは部屋の隅で膝を抱えている。

 決して目を合わせようとはしない。


「そうだよ」


「王女様の護衛で来たんですってね。ラジオで聞いたわ」


「ラジオ?」


 聞きなれない言葉だ。

 キャロラインが耳打ちしてきた。


「オルスでは、もう始まっているんだよ」


「?」


 シャーロットは立ち上がると、棚の上に置いてある木箱に手を伸ばした。

 木箱には、メーターとツマミがいくつか並んでおり、こちら側の面半分は金網で覆われている。

 ツマミを回すと、箱からノイズ交じりの話し声が聞こえてきた。


「……次のニュースです。昨夜、ご来訪のエイプル王国のサラ殿下は、皇帝陛下との会合ののち、停戦協定にご署名の見込みです。ネモト艦長以下『サラ・アレクシア』乗組員の皆さんは、国賓として迎えられ……」


 箱は無線機のスピーカーだったらしい。

 どうやら通信用ではなく、一方的に流される情報を受信する機械らしかった。

 そんなものが一般家庭にあるとは驚きだが、それよりも大事なことがある。


「……良かった」


 サラたちは、無事に辿り着いたのだ。

 ビンセントは胸を撫でおろした。


「行方不明になった乗組員が二人いるらしいわね。あなたたちでしょ」


「……何でも知っているんだね。その通りだよ」


「発見者には報奨金が出るの。今夜はごちそうね」


 ラジオの横には、写真立てが置かれている。

 写っているのは、ここにいるトムソン一家と、一人の少年だ。


「……?」


 少年に、どこか見覚えがある気がする。

 しかし、思い出せない。

 オルス人に知り合いは居ないので、気のせいかもしれない。


 ドアが開き、トムソンが顔を出す。


「準備できたぜ! 帝都まで送ってやるよ!」


 

 ◇ ◇ ◇



「さ、乗りなよ。荷台で悪いけどな」


 トムソンは、錆の浮いた小型トラックの荷台を指差す。

 

「あの、トムソンさんはもしかして、お貴族様では……」


 トムソンは目を丸くすると、腹を抱えて笑い出した。


「ははははは! そんな訳ないだろう! こんなボロの軽トラごときで、何を驚いてる!」


 何が面白いのかわからないが、キャロラインは腕を組むと、納得したかのように頷く。


「ブルース君、これは戦前にオルス帝国が国策で普及を促した『国民車』だよ」


「国民車、ですか?」


「うん。エンジン排気量や車体寸法に厳しい制限があるけど、優遇税制と大量生産で一般市民でも買える値段と維持費を実現したんだ。実物を見るのは、僕も初めてだけどね」


「へぇ……?」


 キャロラインが大雑把に説明してくれる。


 国土の広いオルス帝国では、鉄道の普及が遅れていた。

 そのため、地方の住民の移動のために自動車の普及が奨励されたという。

 結果、機械技術が大幅な向上を果たし、エイプルに先駆けて飛行機を開発したことにも繋がった。


「貴族がワンオフの自動車を独占しているエイプルとは大違いだね。こういう基礎技術の蓄積は、後々響いてくるから」


 自動車の部品点数は、大小合わせて数万個とも言われる。

 それらを全て一つの工場で造ることはできないので、各地の工場に下請けに出すのだ。

 それはエイプルも変わらないが、一介の漁師が自動車を持てるほど値段は下がっていない。

 また、『国民車』という枠組みの中で設計しなければ売れず、商売にならない。

 そのため効率的な設計になり、それがまた技術力の進化を促したとキャロラインは言う。


「……なるほど」


 家の中を思い返してみても、ラジオもそうだし、トムソンの妻は当然のようにガス台で煮炊きをしていた。

 台所にあった白い箱は、おそらくは冷蔵庫だろう。

 いささかくたびれていたので、大陸戦争開戦前の、余裕がある時期に購入したのだと思われる。


 一介の漁師でこれなのだ。

 エイプルよりも遥かに先を行っており、それでいて連合国と互角に戦い抜いただけはある。

 国力が根本的に違う。


「……こんな大国と互角に戦える連合軍も、推して知るべきだね」


 トムソンが笑顔で窓枠に肘を掛けていた。

 自国を褒められると、何となく嬉しいのだろう。


「ま、開戦以来、ガソリンが驚くほど値上がりしてっから、おいそれとは乗れねぇけどよ! さぁ、乗った乗った!」


 トムソンに促され、ビンセントとキャロラインはトラックの荷台に乗り込んだ。

 シャーロットがトコトコと近づいてくる。


「……うん? シャーロット、どうした?」


「帝都でお買い物したいの。いいでしょ」


「ちっ! 仕方ねぇなぁ! お前、運転しろ」


「うん」


 シャーロットは躊躇せず運転席のドアを開け、乗り込んだ。

 助手席に乗り込むトムソンに、ビンセントは聞いてみた。


「シャーロットさん、運転ができるのですか?」


「おうよ。オルスでは、小学校を出たらみんな免許を取るんだ。運転ができないと生活が成り立たねぇんだよ!」


「へぇ……!」


 今の話からすれば、ほとんど全部の人が自動車を持っているらしい。

 タクシーやトラックの運転手以外は、せいぜい貴族が趣味で乗るくらいのエイプルとは大違いである。


 トムソンは穏やかな笑みを浮かべる。


「シャーロットはお兄ちゃんっ子だからなぁ。お買い物とか言って、本当は兄貴に会いたいんだよ。俺の息子が帝都の部隊にいるんだ。空軍のパイロットだぜ!」


「空軍ですか! エイプルには一機も飛行機がないのに……」


 この点でも、圧倒的な国力差である。

 機械技術はエイプルが発祥なのだが、妙に悔しかった。


「おう。カスタネを偵察に行って撃墜されたと聞いた時は、さすがの俺も、もうダメかと思ったぜ……歩いて帰ってきたけどな!」


 どこかで聞いたような話だ。

 そこで、ビンセントはラジオの横にあった写真を思い出す。

 カスタネを出発したマーガレットとエリックを襲った少年兵だ。


「へぇ……息子さんはお元気なんですか?」


 トムソンは一瞬だけ眉間に皺が寄るが、すぐにまた笑顔に戻った。


「ま、今も昔も健康優良児だぜ。それだけは間違いねぇ」


「そうですか……」


 トラックは滑らかに走り出した。

 右手には、どこまでも青い海。左手には、どこの国も変わらない田園風景。

 世界最大の大国とはいえ、農民は田畑を耕し、漁民は魚を捕る。


 戦時であろうと平時であろうと、それは変わらない。


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