第176話 ティーパーティー

「今、マーガレットは出かけているわ。じきに帰ると思うけど」


「ほっときゃいいんスよ、あんなやつ」


 ビンセント薪店の作業場。

 イザベラとカーター、ドリスがテーブルを囲んでいる。

 モニカが淹れてくれた紅茶でのお茶会だ。

 茶菓子にはクッキーが出ている。

 モニカに作り方を教わり、イザベラが作ったものが約半数。

 目印があるわけではない。しかし、なぜかカーターもドリスも、モニカが作ったものを選んで口にしていた。


「……まあ、いいわ。で、なんでドリスが?」


「私、エミリーみたいな子、好きなの。優しいし、健気だし」


 イザベラとカーターは同時にドリスの口を押さえた。


「そこまでよ!」


「この家でそれ以上言っちゃいけねぇ!」


 ドリスは目を丸くしていた。


「…………?」


 何がまずかったのか、理解できないといった表情である。


「いいか、そういう事は絶っ対に相棒に言うな! 面倒くさい事になるからな!」


 さすがにカーターは付き合いが長いだけあって、よくわかっている。

 ただ、今はビンセント本人が居ないので、そこまで気にすることはない。


「……私が、……バカだったの。エリックや教授の手のひらで踊っていただけだったのよ。やっぱり、自分の気持ちに正直に生きるべきだったのね」


「やっぱり百合か!」


 カーターがテーブルを叩く。

 イザベラはさすがに見当違いだと思ったが、ドリスの反応は意外であった。


「……そうよ」


 イザベラは固唾をのんだ。

 もしもこの場にビンセントが居れば、大変なことになるだろう。

 ドリスのノーサム家は、家柄こそ男爵だが貴族は貴族。

 平民相手であれば、何をするかわからない。イザベラはドリスに釘を刺した。


「事が済んだらすぐに消えて。二度とムーサに来ない事。いいわね?」


「……いいわ」


 イザベラはほっと胸を撫でおろす。そして、この期に及んで重要なことに気が付いた。


「あれ? ということは、キャロラインは今……」


 潜水艦は狭い。男所帯で滅多なことは無いだろう。

 しかし万が一という事がある。

 嵐などで二人が一緒に海に投げ出され、どこかに漂着していては非常にまずい。

 最近読んでいたレベッカの蔵書『ガ ちんこ バトルは今夜も止まらない!』は、無人島に漂着した二人の男に愛が芽生える物語であった。


「キャリーがどうかしたの?」


「な、何でもないわ! ようは、エリックをやっつければ全部解決! そうよね!?」


「そうよ。たぶんね」


 海は広いのだ。滅多なことは無いだろう。

 キャロラインの顔を見ると、どうしてもジェフリーを思い出してしまうのが油断の原因であった。


「つまりね……」


「だったらよう……」


 ドリスとカーターが事情を説明する中、イザベラはカスタネでの事件を思い出していた。

 マーガレットとの婚約を破棄したのは、後々の事を考えれば妥当と言える。

 ウィンターソン伯爵は衛兵隊の総司令だ。

 それでもやはり、マーガレットに未練はあったのだろう。


 イザベラとエリックとの決闘のこと。

 ククピタ村で救出したルシアとのこと。

 ルシアとエリックの関係を知ったマーガレットの反応。


 聞けば聞くほど、ただの女好きである。

 やはり、エリックは女をコレクションしたかっただけだったのだ。

 そして、貪欲すぎる権力欲、自己顕示欲。

 とても大貴族とは思えない。


 何よりも、エミリーだ。

 フルメントムで匿ってもらい、結果的に戦いに巻き込んでしまった。

 放置はできない。


「つまり、エリックが無理矢理エミリーと結婚しようとして、エミリーはハンスト。ジェフリーをどうにかしようとしたら王都消滅、と。困ったわね」


 店を守るために、と多めに仕入れた武器だが、どうにもそれだけでは済みそうにない。

 イザベラは腕組みして考える。

 サザーランドが逃亡した以上、エリックを何とかするしかない。

 話してわかればいいが、カーターがすでに説得に失敗したという。


「そういう事っすよ。でも、イザベラさんも、そのつもりだったんでしょ? でなきゃ、このやたらめったらかき集めた武器は何なんだ、って話だ」


 実際にはそんなでは事はなく、マーガレットの言う通り買い物という行為そのものが楽しかった、という側面も否定はできない。

 しかし、見栄っ張りなイザベラはその事を黙っていた。


「まあ、無事戻ってきたのなら、まだやりようはあるわ。カーター、あなたに見せたい物が……」


 その時だ。


「ただいま。あら、お茶会ですの?」


 店の入口に現れたマーガレットは、ドリスの姿を認めると表情を硬くした。


「マーガレット。私は……」


「帰って。ここは、あなたのような人が来るところではありませんわ。カーター、つまみ出してちょうだい」


「そうも行かんでしょ。オレを助けてくれたのは、この人なんだ」


 カーターは事の顛末を大仰な身振りを交えて説明した。

 マーガレットの顔が引きつり、額には青筋が浮かび上がっている。


「……何やってますの! 武器も無しに!」


「いや、手榴弾が一個あってよぉ」


 それでもエリックを相手にするのであれば、明らかに火力不足だ。

 マーガレットのお説教の中、イザベラは立ち上がると奥に置いてある『それ』を持ってきた。


「話の途中だったわね。あなたに見せたい物というのは、これよ」


「おっ! オレの銃か! 何でここに!?」


 テーブルに置いたのは、二メートル近い巨大な銃。対魔ライフルである。


「冒険者ギルドのお姉さんが送ってくれたの。弾もあるわ」


 かつて、カーターと同様の防御魔法を得意とする魔法使い、サイラス・ハンゲイトという男が居た。

 ハンゲイトとの対決でビンセントがこの銃を使い、防御魔法ごと撃ち抜いて勝利を収めたが、その時彼は肩を痛めた。

 それだけ威力の大きな武器なのだ。

 この銃であれば、防御魔法を撃ち抜くことが可能である。……当たれば、の話だが。


「…………」


 カーターは腕を組んだまま、少し黙った。


「イザベラさん。俺らが初めて会った時のこと、覚えてます?」


「フルメントムで? ええ、覚えてるわ。教会に匿われて、でも追手が来て。私たちとブルースで戦ったわ」


「ありゃあ見事でしょ? サラさんが作戦考えたんだっけ――」


 カーターは、遠い目をした。

 遥かな過去のように思えるが、実際はそんな事はない。

 ついこの間、とも言える。


「あの時の戦術なら、エリックに勝てるかもなァ……」


「でも、あれはブルースが居てこそよ」


 イザベラが敵の目を引き付け、カーターが対魔ライフルで暴れまわる。

 しかし、それすらも囮で、本命のビンセントが敵の指揮官を狙撃。

 サラの采配は見事の一言に尽きた。


 カーターはいかにも人を喰ったような顔で、肩をすくめて手のひらを上げる。


「やれやれ、相棒に頼らないと何もできませんかい……オレぁ情けねぇよ、マーガなんとか」


「なんですって!? もう一度言ってみなさいよ! できますわ!」


 とはいえ、マーガレットの腕には不安がある。

 ビンセントは平凡な兵士とはいえ、地獄と言われたリーチェで四年に渡って戦い抜いた、歴戦の勇士なのだ。

 トニーから銃の使い方を習っているが、一朝一夕に身に付くものでもない。

 事実、イザベラの腕はマーガレットにすら及ばないのだ。

 だが、やるしかない。


 ◇ ◇ ◇


 一つ問題がある。イザベラたちが出張れば、店の守りが手薄になってしまうのだ。

『サラ・アレクシア』出航の折、ビンセントとした約束を破ることになってしまう。


「…………」


 イザベラは紛糾する作業場を後に茶の間に行くと、電話機を収めた木箱の蓋を開けた。

 受話器に手を伸ばすが、後ろから声がかかる。


「……正直を言えば、イザベラさんには国外でもどこでも、お逃げいただくのがワシとしてはありがたいのですが」


 トニーであった。手には果物ナイフとリンゴを持っている。

 シャリシャリと器用に皮をむき、皿に盛り付けていく。


「……そうもいかないの。やっぱり私はエイプルの貴族で、近衛騎士だったんだもの。後ろ指差されるような事をしては、恥ずかしくてとてもこの家に居られないわ」


 トニーは自分でもリンゴを一切れ食べると、イザベラに皿を差し出した。

 かなり酸っぱいリンゴは、貴族向けの高級品ではなく、庶民向けの品種のようだ。


「そこをなんとか。あなたに万が一の事があれば、ワシは伯爵に顔向けできません」


「お義父様こそ、万が一があればブルースに顔向けできないわ」


 トニーは肩を落とし、溜息をついた。


「難儀なものですな」


 二人はしばらく見つめ合うと、どちらともなく笑いあった。


「傭兵を雇ってお店を守ろうと思ったんだけど……」


「それには及びませんよ。すでにあなたは、ワシらに莫大な援助をしてくださっている。有形無形を含めてですよ。これ以上迷惑はかけられません」


「それはそれ、これはこれよ!」


 そう言うと、なぜかトニーは目を丸くした。

 しばらく固まった後、笑い出す。


「フフフ……お父上と、丸っきり同じことを仰るのですなぁ。ワシも二人の子供にそう言って育てましたわい。……おもに都合が悪い時ですが」


「最後の一言は余計ね」


「ははは、参りましたな。しかし――」


 トニーは不意にナイフを壁に投げつける。

 ゴミ箱にゴミを放るような、自然な動きだった。

 軽い音を立ててナイフは突き刺さる。

 何ごとかと思って見てみると、ナイフはハエを見事に貫いていた。


「ワシも、自分と妻の身くらいは守れます。ご心配なく」


「……すごい!」


 トニーは立ち上がると壁のナイフを抜き、流しで洗い始めた。


「一見、不規則に見えるものでも、動きには必ず法則があります。狙いを定めるのは、ハエではありません。ナイフが到達する頃に、ハエが居るであろう未来の位置です」


「つまり、何もない所に投げたの……?」


 トニーは頷く。


「視野を狭めては、未来は決して見えません。狭い視野では、いずれ自分よりも大きな力に飲み込まれてしまうでしょう。伯爵の仰っていた『それはそれ、これはこれ』とは、そういった意味なのだ、と……少なくともワシは、そう解釈しました」


「パパが――」


 イザベラの父は、かつてトニーの上官だったということは聞いている。


「それ、絶対ただの深読みよね」


「ふふふ……かもしれませんな。いずれにせよ、ワシの授業はこれでお終いですよ。現代の武器は驚くほど進歩しておりますから、年寄りには付いてはいけませぬ。イザベラさんは、ワシらのことは気にせず、ご自身の望む通りになさってください。ただ――」


 イザベラの目を真っ直ぐに見つめた。

 その目つきは、息子と同じ。

 一見ただのやる気のない目に見えるが、その奥の奥には真実を見通す光と熱が垣間見える。


「必ず、必ず生きてお戻りください。お約束いただけますかな」


「もちろん。このイザベラ・チェンバレン、約束を破った記憶は今までに無いわ」


「……忘れているだけでは」


 一言多いのも、息子と同じ。

 イザベラの父とトニーの間柄がいかなるものであったか、よくわかる。


「もう忘れないもの」


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