第175話 ショッピング

「またアイツか……」


「しっ! 異常なーし!」


 警備を担当する衛兵は、やはりカーターたちを見ないふりをする。

 これは推測だが、衛兵隊の総司令がウィンターソン伯爵であることも関係しているのだろう。


「何にせよ有難ぇや。……キャロライン・ロッドフォードを逃がしたのもアンタだな?」


「そうよ」


 ドリスは髪を払う。邪魔ならば切ればよいと言ったら、なぜか怒られてしまった。


「なぜだ?」


「そうしたかったから。理由なんて無いわ。あなたが必要以上に身体を鍛えるのと同じよ」


「ふぅん……?」


 言われてみれば、確かにトレーニングに理由はない。


 ドリスとともに、タクシーに乗って王都からムーサへ向かうことにする。

 しかし、今日に限ってすでに客を乗せた車ばかりなのだ。


「なかなか見つからないわね」


「ま、そんな日もあらぁな。歩け歩け! 一歩歩けば、それだけタクシー代が浮くってもんよ!」


「王都の外では拾えないの、わかってる?」


 晴れているはずの空は、工場のばい煙で何もかもが霞んで見えた。

 異臭のする用水路には洗剤の泡が浮き、何人もの子供たちがドブ攫いをしている。

 ほとんどは業者に雇われた子供たちだ。


 基本的には飲料業者が買い取る空き瓶や、鉄や銅のスクラップを探しているのだが、ごくまれに銅貨や銀貨などが落ちている事がある。

 彼らの貴重な現金収入ではあるのだが、元締めに見つかると問答無用で没収されるのだ。

 児童労働は法律で制限されているが、破った所で業者に罰則はない。


 籠を抱えた少女が通行人に声を掛けているのが目に入った。

 しかし、誰も応じる者は居ない。


「……は、いりませんか? ……を買ってくださ~い」


「なにぃ!?」 


「どうしたの?」


 ドリスを置き去りに、思わずカーターは少女に駆け寄った。

 少女は怯えた顔で後ずさる。


「わ、わたしは何も……! あ……あの、その、マッチを……」


 半泣きになりながら、全身を震わせる少女の籠の中に目をやる。

 確かにマッチが入っていた。

 どうやら聞き違いだったらしい。


「……なぁんだ。マッチョを売っているのかと思ったぜ……」


 少女にさり気なく大胸筋を強調するが、彼女の顔は引きつったままだった。


「一つ、いただくわ」


「あ、ありがとうございます!」


 ドリスが一つマッチを買った。


「あんた、タバコでも吸うのか?」


「いいえ。ただの気まぐれよ。うふふ……可愛い」


 ドリスはまるでアクセサリーでも買ったかように、しばらくマッチを眺めた。


「マッチの何がカワイイのかねぇ。……お、空車だぜ! おおーい!」


 カーターが渾身の力で『フロント・ダブルバイセップス』のポーズを取ったにもかかわらず、運転手は目を逸らした。

 しかし、きちんとドリスの前で停まったのである。

 ドリスは、ただ片手を上げているだけだった。


「どうしたの? 乗りましょ」


 カーターは自分の筋肉に絶対の自信を持っていた。

 にも拘らず、運転手には通じなかったのだ。

 ただ片手を挙げただけのドリスに対する敗北は、不可解としか言いようがない。


「……ムーサまでやってくれ」


 やがて気付いた。客の体重が軽ければ、それだけ燃料の節約になるのだろう。

 じつに浅はかな考えである。

 彼には悪いが、カーターも一緒なのだ。重量は当然二人の合計になる。


 ◇ ◇ ◇


 一時間ほどでムーサの町に辿り着く。

 王都に比べれば、よほど空がきれいで空気も良い。

 それでも故郷のフルメントムよりは汚れて見える。

 街に入る直前に見た、工場のばい煙がそう思わせるのだろう。


「ここかしら」


「おうよ! 聞いた話どおりの場所だ!」


 ゴーダ商会は、商店街の路地裏でひっそりと営業している。

 店構えは昔ながらの石造りの蔵だ。

 温和な雰囲気の小太りの店主は、商談を持ちかけると途端に蛇のような目つきに変わった。


「最近、やたらに武器を集めている客がいてね。しかし、供給には限りがある」


「だからってよぉ……高すぎじゃねぇか」


 店主が提示した金額は、小銃一丁で金貨十五枚。

 圧倒的予算オーバーだ。

 なお、軍への納入価格は調達数によって変わるが、おおよそ金貨二枚から三枚程度と言われている。

 暴利にもほどがあった。


「物の値段は、需要と供給によって決まるのだよ。仕入れ値が上がっている上に、大量に買ってくれる馴染みの客が居るとなれば……止むを得まい?」


 店主がその馴染みの客とやらに幾らで売っているのかは、頑として言わなかった。

 当然、カーターに提示した金額よりも安く売っているのは想像に難くない。


「売れ」


「お断りだ。禁制品だぞ。リスク込みでこの値段なんだよ」

 

「オレの上腕二頭筋をツンツンしていいから」


「だからダメだって」


 押し問答である。

 やむを得ずカーターとドリスは店を出た。


「クッソー。出直すぜ」


「誰かしらね? 大量に武器を買い付けているのは」 


「バカ野郎であることは間違いねぇな。正統政府でも、神聖エイプルでもない、第三勢力ってところか」


 路地を歩くと、どこかで見たような女が向こうから歩いて来た。

 肩までの亜麻色の髪。琥珀色の瞳。豊かな胸。

 足取りは軽く、エプロン姿で鼻歌を歌っていた女は、カーターに気付くと手を挙げた。


「なんで、あなたたちがこんな所に?」


「そりゃ、こっちのセリフっすよ」


 イザベラ・チェンバレンである。

 事情を話すと、イザベラは額に青筋を立てた。


「お金に物を言わせて値段を吊り上げるなんて、酷いわ!」


「でしょ? 誰かさんの買い占めのせいで、必要な時に、必要な所に、必要なものが届かねぇ。困ったモンすよ」


「許せないわ! そんなやつ、見つけたらとっちめてやるんだから!」


 イザベラの右拳が、左掌に重厚な音を立ててぶつかる。

 相当にお怒りだ。


「でしょ? でしょ?」


「……で、何が欲しいの?」


「銃とか、弾とか。手榴弾も。マジで値上がりが酷いんすよ、困ったぜ……」


 なぜかイザベラは目を逸らした。

 額には汗が浮かんでいる。


「……お茶でも飲んで行かない? 疲れたでしょ。ドリスにも尋問……事情聴取が必要だものね」

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