第173話 さらばブルース・ビンセント
発令所。
「しかしですね、ロッドフォード様! 危険です、おやめください!」
ウィンドミルはロッドフォードを止めようとするが、彼は軽く微笑んでかぶりを振る。
「この艦が沈んでしまえば、どちらにせよ同じだよ」
確かにその通りなので、ウィンドミルは反論できなかった。
サラはビンセントに抱き着くと、その特徴的な三白眼でビンセントを見上げる。
「あぶない時は、すぐにもどれよー。死んだらダメだからなー」
「了解です。お任せください」
万が一に備え、ビンセントとロッドフォードは甲板で見張りに付くことになっていた。
FCS――火器管制装置と同様の威力を持つ光属性魔法を使えば、主砲を確実に命中させることができるからだ。
『サラ・アレクシア』の主砲は、甲板上に陸戦用の八八ミリ野戦砲とほぼ同じものが防錆加工されて取り付けられており、使い方はビンセントが知っている。
だてに四年に渡って地獄のリーチェで戦い続けてはいない。
「メーンタンクブロー。浮上と同時に連合軍駆逐艦と回線を繋げ」
ネモトが号令を掛ける。
先任が復唱すると、ビンセントたちは敬礼し、タラップを登っていく。
その表情に恐怖はない。
さすがに王女の信頼の厚い、歴戦の勇士だ。
とはいえ、ビンセントの敬礼に若干の違和感を感じた。
挙手の敬礼も海軍では脇を閉めるが、陸軍では脇を開くのだ。
大したことではないが、やはり陸軍の兵士が軍艦に乗っているのでやむを得ない。
いずれにせよ、大した問題ではない。
「回線、繋がりました」
マイクを掴み、送話ボタンを押す。
「こちらエイプル王国海軍、『サラ・アレクシア』。艦長のネモトだ。そちらの艦長と話がしたい」
しばらくして、ノイズ交じりの音声が帰ってきた。
「こちら、クレイシク王国海軍、『ピストリス』。艦長のオズボーンだ」
やや浮ついた雰囲気の男の声だ。余裕からだろう。
駆逐艦と潜水艦では、駆逐艦が一方的に有利である。
ましてや、こちらは満身創痍だ。
「オズボーン。我々の目的をご存知かな?」
「サラ王女を乗せて、オルス帝国へ向かうものと理解している」
「ならばもはや、戦う理由など無いはずだ。安全な航行を保証されたし」
オズボーンは一瞬黙った。しかし。
「ふふふ……ははははははははッ!!」
「何がおかしい」
嫌な予感がした。先任が青い顔で叫ぶ。
「艦長、ビンセントから敵の主砲がこちらを狙っていると報告です!」
ネモトは額の汗を拭った。
「オズボーン。……何がおかしい?」
「我々は『マイオリス・クレイシク』。要求にはお応えしかねる」
「なに!?」
ソナー係が青い顔で絶叫した。
「敵艦、魚雷発射ッ!!」
「ここは我々の海、我々の大地だ。地球人にみすみす渡すわけにはいかない。サラ王女がご乗艦とあれば、なおさらのこと貴艦には海の藻屑となってもらう。さよなら、地球人の娘。通信終わり!」
オズボーンの高笑いとともに、無線は途切れた。
「ベント開けッ! 急速潜航!! 取り舵一杯ッ!」
サラが真っ青な顔をしてネモトの上着を掴んだ。
「おい! まだブルースたちが甲板にー!」
「間に合いません!」
「ばかばかばか、ブルースたちどうすんだよーッ!!」
サラの絶叫が艦内に響き渡る。
バラストタンクに注水が開始された。
優先するべきは、何か。サラの安全である。
ビンセントとロッドフォードには申し訳ないが、撃沈される訳には行かない。
全員が助かる方法など無かった。
急を要する、苦渋の決断である。
「本艦、主砲発砲しました!」
「なに!?」
すでに甲板は水面に沈みつつある。
「敵艦に命中音! 続いて発砲! また命中です! ……本艦、魚雷回避!」
ネモトは潜望鏡を覗き込んだ。
駆逐艦が煙を上げている。
「なんという……」
ビンセントとロッドフォードがやってくれたのだ。
砲が破損する恐れがあるので水中での射撃は行われないが、非常時には一発くらいは可能である。
運が良ければ更に一発。しかし、それで限度だ。
足元から押し寄せる海面に動じず、正確な射撃を行うなど、並大抵の精神力ではない。
彼らは、それをやってのけたのである。
まさしく、勲章モノの英雄であった。
死なせるわけには行かない。しかし。
「敵艦、主砲発砲! 着弾します!」
至近弾を受け、艦全体が大きく動揺した。
回収は困難だ。思わず潜望鏡を殴りつける。
「クソッ、前部魚雷発射管、注水!!」
「はやく上がれー!」
二人を死なせるのは心苦しいが、サラの生命を最優先しなければならない。
サラが死ねば戦争は終結の機運を失い、これからも何万人もの無意味な血が流されることになる。
「申し訳ありません、殿下……! 一番、三番、てーっ!!」
しばらくして、ソナー係が絞り出すように言った。
「……本艦の魚雷、命中。ピストリス、撃沈です」
彼の声は、まるでお通夜のそれであった。なお、エイプルにもお通夜の風習がある。
「浮上する。総員、周辺海域を捜索せよ」
◇ ◇ ◇
「おーい!」
「おーい、ビンセントーッ! ロッドフォード様ーッ!」
ベンが、機関長が力の限り叫ぶ。
浮上した『サラ・アレクシア』の甲板やマストでは、乗組員が総出で双眼鏡を手に、ビンセントとキャロラインを探していた。
……しかし、発見することはできなかった。
「……申し訳ございません、殿下。このネモト、いかようにでも責任をお取りします」
「…………」
ウィンドミルの胸に顔を埋めるサラは、何も言わなかった。
ただ、ひたすらその小さな肩を震わせていた。
陽が沈みつつある。
空は、血のように赤く染まっていた。
「……舵、中央。前進微速。ポート・オルスに針路を取れ」
「…………」
「殿下」
「…………」
サラは、何も答えない。ネモトに背を向けたまま、黙って一度だけ頷いた。
「重ね重ね、誠に申し訳ありませんでした。本艦は、およそ一時間でポート・オルスに入港します」
◆ ◆ ◆
「あ、起きた」
目を開くと、キャロラインの顔がすぐ近くにあった。
キャロラインの背中には、満天の星。
聞こえるのは、寄せては返す穏やかな波の音。
「俺、生きて……?」
「ブルース君っ!!」
キャロラインが抱き着いてきた。
「えっ?」
「良かった! 本当に良かったっ! ……もう、目を覚まさないかと思ってたっ!」
「いったい、何が……」
覚えているのは、駆逐艦の主砲が火を噴き、大きな水柱が上がったこと。
キャロラインの射撃指示で何発か、甲板の八八ミリ砲を駆逐艦に命中させたこと。
その間にも『サラ・アレクシア』が潜航を始めたこと。
サラの安全が最優先であり、やむを得ない事だっただろう。
そして、駆逐艦に向かっていった『サラ・アレクシア』の魚雷が命中し、大爆発を起こしたことも覚えている。
以降の記憶はない。波に呑まれたのだろうとは思う。
「君にまで死なれたら、また僕は一人ぼっちになっちゃう……そんなの、嫌だよ! うああああぁぁああん……!!」
結論としては、どうやら生きているらしい。
近くには、『サラ・アレクシア』のマストに掛けられていた浮き輪が転がっている。
「…………」
しばらく泣き続けたキャロラインが涙を拭くと、隣に腰を降ろした。
「見て。たぶん、あれがポート・オルスだよ」
「けっこうありますね。でも、暗くないですか?」
キャロラインが指さす先。
大きくカーブする湾の向こう側には、明かりがポツポツとついている。
それなりの大都市のはずだが、思った以上に暗い。
「電力が足りないのか、灯火管制か……ってところだろうね。飛行機から見れば、灯りなんて格好の目印だから」
砂浜には陸揚げされた漁船が並ぶ。
人の背丈ほどの防潮堤がどこまでも続き、所々の隙間から中に入ることが出来るようになっていた。
周辺には民家らしきものが点在しているが、遅い時間なので灯りのついている家はない。
所々に漁具を収めた小屋がある。典型的な漁村らしい。
「とりあえず、ここで休ませてもらいましょう。暗いうちに動くのは危険です」
「……そうだね」
二人は小屋の奥で眠りについた。
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