第168話 ヒトの造りしモノ

 神聖エイプルは息を潜め、ムーサの町は一応とはいえ平穏を取り戻していた。

 ビンセント薪店の入口横の作業スペースは、今の時間ちょうど日陰になる。

 まだまだ暑い日差しから逃れ、涼しい風が通り抜けるここは読書に最適な場所であった。


 店主であるトニーが在庫の薪を流用して作ったテーブルセットは、間に合わせとは思えない出来であり、実用上何の問題もない。


「うんっ……!」


 マーガレットは、読んでいた本を閉じると大きく背中を伸ばした。

 つい熱中して、同じ姿勢を続けてしまったのだ。


 ビンセント家は平民としては蔵書量が多い。

 マーガレットは、レベッカから部屋の本を好きに読む権利を受け取っていた。

 今読んでいたのは『ガ ちんこ バトルは今夜も止まらない!』という本である。


「さすがですわ、センスが良いのね」


 マーガレットが独り言ちると、店の前に一台の荷馬車が止まった。

 大きな戦艦の影絵が付いたマークは、大手の運送会社のものだ。


「ビンセント薪店さん?」


「ええ」


 運送会社の制服を着た男は馬車から降りると、一枚の伝票を差し出した。


「こちら一点です。受け取りのサインをお願いします」


「こちらね」


 渡されたペンでサインをする。


「……ええと、……ウィンターソン?」


「し、失礼」


 ついうっかり自分の名前を書いてしまった。

 続けて、さも氏名の一部のようにビンセントと続ける。

 マーガレット・ウィンターソン・ビンセント。

 思わず頬が緩む。悪くない響きだ。


「……結構です。書類上は問題ないんで。荷物、どこ置きます?」


「物は何ですの?」


「美術品、とあります。差出人は、カスタネのミニー・カーネギー様で」


 どこかで聞いたような名前だ。

 マーガレットは記憶を反芻するが、今は思い当たる節がない。


「とりあえず、そこに置いてくださる?」


 作業場の奥を指差すと、男は棺桶のような木箱を重そうに置いた。

 マーガレットはキャンディポットから飴玉を一つ取り出すと、男に渡す。


「お、これ好きなんすよ。あざっす! 毎度っ!」


 男は去っていく。

 木箱は、作業場の奥で妙な存在感を放っていた。


「……何ですの? これ」


 小首を傾げるが、考えるより先に次の来客である。


「毎度っ! イザベラ・チェンバレン様からご注文の品、届けに来やしたっ!」


 今度は近所の雑貨商、ゴーダ商会の馬車であった。

 乗っているのは作業服姿の二人の男だ。


「はーい、今行きますわ!」


 イザベラは留守だ。

 近所の少年たちが所属する草野球チームからの助っ人要請である。

 イザベラはかつて、十三点差という圧倒的不利を覆したとして伝説になっていた。


「けっこう、デカイ荷物なんスよ」


「とりあえず、そこに置いておいていただけますこと?」


 マーガレットが今度も作業場の奥を指差すと、男たちは荷物を降ろした。

 大きな木箱が一つ、細長いのが一つ、小さめのが二つ。


「決して開けないように、とのことですので、こちらで失礼しまっす!」


「あら、そう。ご苦労様」


 マーガレットは飴玉を男たちに渡した。


「毎度ありっ!」


 男たちは去っていく。


「イザベラったら何を買ったんですの……? まあ、別に自分のお金で何を買おうと構いませんわ」


 それよりも、本の続きを読みたかったのだ。

 この本には美少年しか出てこない。

 最初の荷物の事は、頭から抜け落ちていた。


 ◇ ◇ ◇


 やがて、華々しい大勝利を収めたイザベラが戻ってきた。


「それはもう、見せたかったわね! 九回裏二死満塁、点差は二点! か・ら・の! サヨナラ逆転満塁ホームランッ!」


 イザベラは両手を振り回し、バットを振るジェスチャーをする。

 じつに楽しそうである。

 未来など、どうなるか全くわからない。楽しめるのうちに楽しんでおくのは、悪いことではない。


「おほほ、ご苦労様。荷物が届いてますわ」


「ホント? やったーっ!」


 二人で作業場の奥へと向かう。

 イザベラの手には、バールのようなもの。

 慣れた手つきで箱を解体し始めた。


「何を買ったんですの?」


「これよ!」


「…………」


 出てきたのは、体重計だ。

 業務用の本格的なもので、立派な円形の目盛りがそびえ立っている。


「体重計、壊れちゃったのよ」


「あら、それはマズイですわね」


 体重測定の他に薪の重量測定にも使っているため、故障は大問題である。

 イザベラは軽々と体重計を担いでいく。

 やがて、脱衣所には新旧二台の体重計が並んだ。

 古い方もよく手入れされており、見た目からは故障は伺えない。


「さて、と――」


 イザベラは靴を脱ぐと、そっと新しい体重計に乗った。


「…………不良品ね。交換してもらうわ」


 マーガレットの顔を見ず、そのまま脱衣所を出ていく。


「…………?」


 そもそも、昨夜マーガレットが使った時は、特に異常はなかったはずである。

 新しい体重計に試しに乗ってみた。


「……特に、変なところはありませんわ」


 続いて古い方へ。


「…………」


 両方とも、全く同じ数値を示していた。


「まさか……」


 開けっ放しのドアの向こう、茶の間からイザベラの声が聞こえてきた。


「……えっ? 何ですって? ……もう一度言ってみなさいよ。……ないない! 絶対壊れてるわ!」


 イザベラは、箱に収められた電話に向けて怒鳴っていた。

 通話料を正統政府が持つと思って、使いたい放題である。


「いったい、何を……」


 マーガレットはそっとイザベラに近づいた。


「……あのねぇ、私の体重があんなにある訳ないじゃない! ダイエットに成功したのよ、私はッ!!」


 マーガレットはイザベラの頭をスリッパで叩くと、受話器をひったくった。


「大変失礼しました。こちらの勘違いです。それでは!」


 大急ぎで受話器を置く。

 イザベラは真っ赤な顔で、誰が見てもわかるほど激怒していた。


「何するのよ! 不良品を売り付けるなんて、とんだ悪徳業者だわ!」


「不良品はあなたの頭でしょ! 何考えてますの! そういうのをね、クレーマーというそうですわ!」


 ◇ ◇ ◇


 結局、新しい体重計を脱衣所で、古い物は作業場で、それぞれ専用に使うことになった。

 今までは入浴の度に移動させていたので、ちょうど良い。


「ぐすっ……そんなんじゃない! 違う……! 違うもん……! 体重計の故障だもん……!」


「はいはい、人間の作り出したものに完全などありませんわ。ところで、他の荷物は何ですの?」


 机に突っ伏して泣いていたイザベラは、顔を上げると腫れそぼった目を向けてきた。


「……体重計に比べれば、大したものじゃないわ」


「わたくしにもよくありますわ、買うだけ買って箱も開けずに放置してある物。結局、買い物という行為そのものが楽しいんですの。結論だけ言えば、大して必要無い物ですわ」


「ううん、そういうのじゃないの」


 イザベラはバールのようなものを手に作業場へ向かうと、無言で箱の解体を始める。

 マーガレットがイザベラの背中越しに中身を覗き込むと、思わず息を呑んだ。


「なんで、こんなモノをあの店が扱っていますの……」


 箱の中身は、何丁もの小銃、拳銃、短機関銃、それらの弾、手榴弾や小銃擲弾といった武器であった。

 エイプルでは、一般市民の武装は厳しく制限されている。

 平民であれば所持だけでも重罪となり、処罰されるのだ。


「軍の横流し品ね。脱走した兵士の装備品とか、鹵獲品が闇市で流されているの」


 イザベラは小銃のボルトを開いたり、照星を確認したりしていた。


「……商売上手ですこと」


「お金儲けのためなら、何でも売り買いするらしいわね。たとえ不良品でも」


「それは違うんじゃありませんこと?」


 無論、イザベラは体重計の事を言っている。


「だ・か・ら! 私があんなに重い訳ないじゃない! ……とりあえず、これがあればお店を守れるわね」


 そこで、マーガレットは最初の荷物を思い出した。


「ねぇ、カスタネのミニー・カーネギーってご存知?」


「ええと……確か、冒険者ギルドのお姉さんね」


「……ああ。なるほど」


 やっと思い出す。

 受付嬢とビンセントの間に付き合いらしい付き合いは無いはずだ。

 つまり、実質的な送り主はケラー首相という事になる。

 荷物の事を告げると、イザベラはバールのようなもので躊躇なく箱を開いた。


「これ……カーターの銃ね。私のようなか弱い乙女には、とても使えないわ」


「か弱い?」


「ええ」


 イザベラがか弱いかどうかは別にして、二メートル近い巨大な銃は、確かにちょっとやそっとの膂力では使えないだろう。

 なお、弾薬箱も同じ箱に梱包されていた。


「ところで……わたくしの分、ありますの? もっと、普通の武器」


「あるにはあるけど――」


 火薬はトイレの土で云々というのは、もうどうだってよい。


 魔法など、現代兵器の前ではもはやただの手品に過ぎないということが身に染みてわかったのだ。

 イザベラは銃を机に置くと、マーガレットの目を真っ直ぐに見た。


「マーガレット。あなたに、……エリックを撃てるとでも言うの?」


 一瞬、言葉に詰まった。


「…………撃てますわ。使い方を教えて」


 しかし、決して嘘ではない。そのはずだ。


「わかったわ。でも、私もよく知らないのよね。整備しないと使えないみたいじゃない、これ」


「ワシがお教えしましょう――」


 声のした方を見ると、トニーが紅茶の入ったトレイを持って立っていた。

 トニーはトレイを作業台の上に載せると、小銃を手に取る。


「ワシの頃に比べれば、驚くほど使いやすくなっておりますな。弾を後ろから込めて、そのうえ火縄も火打石も要らんとは」


 その表情は、まるで古い戦友と再会したかのようである。

 試しに構える姿は、余分な力が抜け、それでいて銃口は微動だにしない。

 驚くほどサマになっていた。

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