第167話 シュバルベ
「……何のつもりだ?」
「本艦は連合軍に投降、サラ王女を引き渡します」
ビンセントは息を呑む。
サラとキャロラインは不安げに抱き合っていた。
艦長が機関長を睨みつける。
まるで猛禽のような視線だが、同時に氷のような冷静さを感じさせる。
「何を言っているのか、わかっているのか?」
「そもそも、これはエイプルの問題だ。外様のあなたには関係ない」
「……理由くらいは聞きたいものだな」
「理由か――」
機関長は苦笑いした。口許は笑っているのだが、その目は帽子のつばに隠されて見えない。
少し震えた声で、機関長は続けた。
「俺には、息子が居たんですよ。親父の俺が言うのもなんですが、立派なやつでした――」
機関長の息子は、騎士となって戦場を駆け抜けた。
誰よりも勇ましく、誰よりも立派に、義務を果たそうとした。そのはずだ。
「まぁ、現代の戦いに騎士もへったくれもありませんやね。息子はね、リーチェで無茶な命令で突撃させられ、……機関銃で蜂の巣でさぁ」
「……気の毒だったな」
機関長は眉間にしわを寄せ、唇を噛んだ。
「後になってね、息子の日記が届いたんですよ。そこには、戦場の日々がありありと綴られていましてねぇ……」
「…………」
「息子の部隊の隊長ってのが、貴族のボンボンでねぇ。平民をストレス発散のためのサンドバッグくらいにしか考えていなかった。怒鳴りたいから怒鳴る。殴りたいから殴る。そのために理由を探すようなヤツだったそうで」
声の震えは、徐々に強くなっていく。
ビンセントの胸も、ざわざわと騒ぎ出した。
まるで、どこかの誰かさんの経験談だ。
「……辛かっただろうな」
「ええ、日記は悲しみに満ちていましたよ。何の恨みもない敵よりも、味方の上官を撃ちたい。そんな事ばかり書いてあったのも最初の内だけで、後半に行くにしたがって読むのが辛くなっていきました。……最後のページ、なんて書いてあったと思います?」
「…………」
艦長は答えなかったが、目を丸くして一瞬口を開くと、帽子のつばを深く引き下げて俯いた。
続く言葉が、あらかじめわかっているかのように。
「死にたい。……たった一言、それだけです」
「…………」
「わざわざそんなこと思わなくたって、弾に当たれば死ぬのに。それでも死にたいなんて……変な話でしょう。でもね、そんな国ですよ、エイプルは。人間をまるで大事にしない。技術力で他国に抜かれるのも当然だ」
「どこも変わらんと思うがね」
機関長は自嘲的な笑みを浮かべた。
「手柄は自分のもの、失敗は平民のせい。お貴族様は既得権益に乗っかって、だれも責任を取ろうとしない。それどころか、いざ自分たちの立場が怪しくなってきたら、とたんに手のひらを返して平民に頼ろうとする。こんなふざけた話がありますか?」
機関長はビンセントの目をはっきりと見た。
「…………」
「コイツの目、見ましたか? 今にも死にそうだ! ……俺はね、もう息子のような悲劇を繰り返したくない。誰もが死んだような目をして、俯いて生きる世界が正しいはずがない!」
「そのために、王女を敵国に差し出すのか!」
機関長は俯いた。
震えながらも、やがて前を向く。
「殿下にとっても悪い話じゃない。神聖エイプルに引き渡してみすみす処刑されるより、連合軍のほうが、まだ生き残るチャンスがある」
「…………」
確かに、そうかもしれなかった。
まがりなりにも王族だ。あまり乱暴な扱いは受けないだろう。
「この国にはね、リセットが必要なんだ。身分格差、経済格差、全てを破壊し、ゼロから新しい世界を作り出さなければならない」
「ま、待ってください!」
ビンセントは一歩ずつ、ゆっくりと機関長に近づく。
「確かに、この国は色々限界です。……でも、やつらに……マイオリスに任せておいたら、何もかも本当に終わってしまう……あいつら、『最終兵器』で貴族も平民もお構いなしに全部吹き飛ばすつもりです……」
「最終兵器だと? 世迷い言を」
艦長の前にキャロラインが躍り出た。
「艦長、『原子爆弾』という言葉をご存知ですか? プルトニウムという物質を使った新しい爆弾で、とてつもない威力を持つとか」
艦長は目を丸くし、持っていたパイプを落とした。
握りしめた拳が、わなわなと震えている。
「知っている。……知っているが、なぜプルトニウムがこの世界にあるんだ! あれは地球でしか作れないはずだ」
「ジョージ王が何者かに頼んで地球から持ち込ませました。今、地球人の手によって着々と製造に入っています……」
「馬鹿め! 我々地球人が犯した過ちを、この世界で繰り返させるつもりか!」
ビンセントは機関長に、そっと半歩だけ近づく。
「サラさんがオルスに向かい、皇帝と和議を結ばなければ、王都とムーサの全てが平民の暮らしごと破壊されてしまいます。……なにとぞ、銃を収めてもらえませんか」
「…………」
「俺の……地元なんです」
機関長は艦長に顔を向けた。
「艦長、この話は本当か?」
「原子爆弾が、都市をまるごと消滅させる兵器であることは間違いない。王都で使えば、ムーサまで被害は及ぶだろうな。使用後は放射能でその土地は汚染される」
「……そう……ですかい。でもね、それが何だというんです――」
機関長はポケットに手を入れると、古ぼけた写真を取り出した。先ほどのものだ。
目には、一筋の涙が走っている。
「俺の息子は帰ってこない。孫にも、希望のある未来を用意してやれない。……こんな国に、いったい何の価値があるっていうんです!」
誰も、かけるべき言葉を持っていなかった。
大陸戦争では多くの人が死に過ぎたし、支配者層はその犠牲に無頓着過ぎた。
否。
キャロラインや艦長の制止を振り払い、サラが機関長の前にゆっくりと歩きだした。
位置的に、ビンセントには止めることができる。
しかし、サラと目が合うと無言で『止めるな』と言っている気がした。
「フットー……」
フットは機関長の名前だ。
「……お子様の殿下にゃ……関係のない話でさぁ」
「わたしが……女王になって、この国を変えてみせる。……それじゃ、だめかー?」
「…………」
機関長の眉が動いた。
「わたしが……みんなさー、希望を持てるような……うまくいえないけど、そういう国にしてみせる……いっぱい勉強して、みんなが……また明日もがんばろう、って……そう思える国にしてみせるからさー」
サラはもじもじとして、うまく言葉が続かないようだ。
眉尻を下げ、年相応のお子様らしくビンセントを見た。
母の言葉を思い出す。
戦いとは、暴力だけではないはずだ。
サラの肩に手を置くと、ほっとしたような視線が返ってきた。
あとは、年長者の務めだ。
「機関長。その、もう一度だけ……サラさんを、俺たちの国の未来の女王を、……信じてやってくれませんか」
「お前がそれを言うのか? 死んだような目をしやがって」
「はい。俺は……サラさんを……信じます」
「そうか――」
機関長は帽子を脱ぐと、尻ポケットに突っ込んだ。
穏やかな目は、まるで父親のトニーを思わせる。
「わかった。ただ、俺は貴族たちとは違う。責任は取るからな」
機関長が銃口を自分のこめかみに向けた時、思わず身体が動いていた。
銃声が轟き、薬莢が床に転がる。
「ぐっ……」
ビンセントは膝をつき、煙を上げる自分の手を見た。
銃口を両手で掴んだのだ。
「おい、お前何で……」
「すいません……この目は、生まれつきで……ぐっ……」
両手の手のひらに大きな穴が開いていた。
止めどなく血が流れてくる。
焼け付くように熱い。
機関長の手から、写真が落ちる。
先ほどは一瞬だったが、今度はしかと見た。
写真に写った青年に見覚えは無かったが、彼が乗っているまだらの牡馬は、ビンセントもよく知ってる馬に間違いない。
「おい、ブルースー!」
サラの手のひらに山吹色の魔方陣が輝き、ビンセントの傷を塞いでいく。
「あ、ありがとうございます――」
ビンセントは写真を拾い上げ、機関長に突き付けた。
「機関長、この馬は生きています! 闇市で売られてて、俺が買ったんです! こいつ、妙に賢くて、変な声で笑うでしょう?」
「……ああ、シュバルベは馬にしてはすこし変だが……生きているのか?」
エクスペンダブル号は、元々はそんな洒落た名前だったらしい。
「ムーサにいます。……会ってやって、くれませんか……?」
機関長は俯きながら手の力を抜き、拳銃は床に落ちた。
艦長は頷くと拳銃を拾い、再び全艦に号令をかけた。
「ベント開け! ダウントリム両舷全速、深さ五〇急げ!」
機関長をはじめ、乗組員たちは一瞬、茫然としていた。
「ベント開け! 聞こえなかったか! 機関長、配置に戻れ!」
「りょ、了解ッ!」
総員が持ち場に戻り、『サラ・アレクシア』は潜航を開始した。
「機関長!」
「……なんだ」
「……俺のために、ありがとうございます……!」
機関長は背を向けたまま答えた。
「そんなんじゃねぇ。ただの親バカ……いや、バカ親なだけだよ」
◆ ◆ ◆
「おい、新入り」
「……はい」
機関室に戻ったフットは、補充で入った中年男に視線を向けた。
「……俺を、捕まえるか?」
男は帽子を引き下げて視線を隠した。
「さあ、何のことですかな。私は一介の機関員、それも新入りですので。機関長、ご指示を」
「……だがよ、俺みたいな反逆者を捕まえるのが、あんたの仕事なんじゃねぇのか? 監察官サマよぉ」
「ハハハ、私が監察官ですか――」
男は、今までの態度が嘘のように鋭い視線を向けてきた。
「……おそらく、殿下はそれを望まないと思います。あなたのような国民が苦しむことに、それに対してご自身が無力な子供であることに、酷く心を痛めておいでですからね。それに――」
男は、ソケットレンチをカリカリと手の中で回した。
「大人にわざわざ用意してもらわなくたって、若い人は自分自身で希望を見つけるものですよ。私がビンセント君に初めて会ったころ、彼は世界の全てに絶望していたようですからね。でも、今は……まるで見違えるようです」
男の目は柔らかく、口許は微かな、ほんの微かな笑みを浮かべていた。
「あれでか?」
「あれでです。どんな絶望の中ででも、生きてさえいれば、人は、また立ち上がることでしょう。あなたが考えているほど、人間は弱くない」
聞きなれたソケットレンチの音が耳に心地よい。
他の乗組員との雑談を思い出す。
仕事に追われ過ぎて構ってやれず、この男の妻は子供を連れて実家に帰ってしまったという。
そして、先日帰ってきたのだ、と嬉しそうに話していた。
「生きてさえいれば、か――」
息子はもう、帰ってこない。
しかし、自分の絶望を人に押し付けるのは、やはり迷惑だろう。
「まぁ、あんたの正体が何であれ、しっかり働いてもらうぜ」
「お任せください。ところで、機関長」
「なんだ」
「私のタバコを知りませんか?」
「ターナーのやつが吸っちまったよ。置きっぱなしにする方が悪い。諦めな」
男は目を丸くする。
「……なるほど、……これが『銀バイ』ですか。……是正すべき悪しき慣習ですな」
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