第166話 勇敢な騎士

 潜航すれば、嘘のように揺れは少なくなる。

 今は比較的平穏ではあるが、決して暇ではない。

 目的地、ポート・オルスまではあと僅か。


「おい、ビンセント」


「はぁ」


 声を掛けてきたのは、機関長だ。名前はフット。

 いかにも無骨な職人といったいで立ちで、機械油にまみれた手ぬぐいで顔に付いた煤を拭っていた。


「ポンプの調子が悪い。少し手伝え」


「俺に大したことはできませんが?」


「いいから来い」


 機関長に付いて、艦体後部の機関室へ。

 通路の両脇で存在感を主張するシリンダーの上では、よく手入れされたプッシュ・ロッドが規則正しく上下運動を繰り返していた。

 その近く、床に据え付けられた巨大なモーターの前で機関長は腰を降ろす。


「リングスパナだ。十三番」


「あの、リングスパナって?」


 工具の名前も、何となく知ってはいるが正確なところはよくわからない。

 あらゆる機械に言えることだが、庶民が買うには高価だし、必要性は薄い。

 自動車やオートバイがあれば役に立ちそうだと思わないでもないが、基本的に平民が買えるものではない。


「輪っかが両方に付いているやつだ」


 親指と人差し指で輪っかを作る。


「これですか?」


『13』と書かれた工具を手渡す。

 その際、工具箱の中に場違いな物を発見した。


「ああ。ここ、押さえろ」


「はい。……あの、なぜ蹄鉄が入っているんですか?」


 狭い艦内に、馬など当然いないのだ。


 機関長は答えない。

 慣れた手つきでカバーを外していく。

 モーターは同じものが二台あり、交互に使っているらしい。

 用途は不明だ。


 基本的には専門の係が整備するのだが、今回は人手不足のためビンセントも駆り出されたということらしい。

 工具の名前すら知らないとあれば全く役に立たないと判断されたのか、機関長は自分で工具を選んで作業を続けた。


「お前、さ」


「はい」


「少し、俺の息子に似てるよ」


「そうですか? どのあたりが……」


 機関長は視線をモーターに向けたまま続けた。

 銅線が幾重にも巻かれ、不思議と生物的な雰囲気を漂わせる。


「そうだな……全体的な雰囲気というか、うまく言えんが」


「自分では、よくわかりませんが……」


「そう……そういう所だな。顔は息子にちょっと劣るかな」


「ははは……」


 あまり口の良い人ではないが、悪い人ではないらしい。

 時折、ここを押さえろ、などと指示を受け作業をこなしていく。


「蹄鉄はな、お守りだよ。工具じゃない。……馬は好きか?」


「まあ、割と。眺めるぶんには面白いですからね」


「面白い……? 変な事を言うな。お前は乗れるのか?」


「……馬次第ですね」


 おそらく、エクスペンダブル号以外の馬には乗れないだろう。

 廃車寸前の馬車込みで金貨二枚という破格のお値段ではあったが、たとえビンセントであっても言う事を聞いてくれる名馬である。

 いささか歳を取っているのと、変な顔で変な声を出すのはご愛敬だ。


「若い頃、家業を継ぐのが嫌で家を飛び出しちまったが……俺の実家、牧場をやっていてな。息子が生まれたのを機に、たまに里帰りするようになったんだよ」


「そうだったんですか」


「息子は馬が好きだった。親父……アイツからみりゃ爺さんに、よく馬の乗り方を習ってたっけ。俺と違って、アイツは才能があった。まるで馬と会話するみてぇに乗りこなしてた」


「そうですか、息子さんは今何を?」


 何気ない会話の流れでつい口に出てしまったが、ビンセントは後悔した。

 機関長が息子の話をするとき、すべて過去形だったのだ。


「……騎兵としてリーチェで戦ったよ。最後まで、勇敢にな。アイツの可愛がっていた馬も、もう死んだだろうな……」


 リーチェの戦いは史上初めて機関銃が大量に組織的に運用され、従来の戦術は全て過去のものとなった。

 戦場の花形であった騎兵の突撃は、新兵器の前に完全に無効化されたのだ。

 多くの勇敢な騎士が手も足も出せずに死んでいった。

 それは敵軍も同じであり、塹壕が構築され歩兵による持久戦となっていく。


「……そう……でしたか。失礼しました」


「いや……ここ、照らせ」


「はい」


 ビンセントは懐中電灯で指示された場所を照らす。

 手を止めないまま、機関長は続けた。


「……息子の上官はガチガチの貴族でな。戦場の形そのものが大きく変わっているのに、古いやり方に固執して、何度も失敗を繰り返した。……バカだよ」


「…………」


 どこの部隊でも、似たような人は居るらしい。


「これ、息子の馬でよ。もしかしたら子孫がどこかに居るかも」


 機関長は無理矢理に笑うと、胸ポケットからすり切れた写真を取り出す。


「あれ? こいつは……」


 写真なので色はわからないが、その人を喰ったような表情と全身のまだら模様に見覚えがある。


「ビンセント一等兵、発令所へ」


 艦長からスピーカーでの呼び出しである。


「こっちはもういいぞ。行ってこい」


「は、はい」


 ◇ ◇ ◇


 キャロラインの魔法は、海峡周辺の海域に屯する連合軍の駆逐艦を捕らえていた。


 潜航中はキャロラインも魔法を使えないが、相手もこちらを見つけることは困難である。

 ごく浅い水深においては、水上に管を伸ばしてエンジンの吸排気を行うシュノーケルという装置が使えるらしい。


 艦長席にちょこんと腰を降ろすサラのお付として、ビンセントは発令所に来ていた。

 ビンセントは陸軍の歩兵であり、複雑な機械装置を扱った経験は無い。

 加えて艦内唯一と言ってよいカナヅチである。

 ほとんど役に立たないのだ。


 艦長が覗き続けていた潜望鏡を降ろす。


「やはり居たぞ、駆逐艦だ。ベント開け! ダウントリム両舷全速、深さ五〇急げ!」


「いいえ、浮上です。……艦長!」


 艦長の後頭部に拳銃を突き付けたのは、機関長であった。

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