第163話 黙示録
ヨークは店の前で馬車を降りた。
チェンバレン中佐に深く頭を下げる。
「わざわざ送っていただき、ありがとうございます。お金まで貸していただいて……」
「構わん。大佐によろしく頼むぞ」
車内のレベッカと目が合う。
「お気をつけて……」
「ええ、レベッカさんも。培養、上手く行くといいですね」
レベッカが手を振るのを敬礼で見送る。
これから二人はキヌクイムシの培養を試みるため、チェンバレン家が保有する研究施設へ向かうのだった。
御者が鞭をしならせ、馬車が前へと進んでいく。
「さて……と」
朝もやに包まれた王都は、一見平穏そのものである。
通勤時間には早いので、ひと気はほとんどない。
ガス灯の明かりはまだ点いたままだ。
「…………」
しかし、一軒だけ煌々と明かりが点いた店がある。
看板に書かれた店の名前は『アンモナイト』。
らせん状の殻を持ち、一見貝に似ているが、タコやイカのような頭足類の一種である。
珍味として酒のつまみにヨークも時折食べることがある。
生で醤油を付けて食べる猛者も居るというが、さすがに気味が悪い。
この店は、決して終夜営業ではないはずだ。
入口には準備中の札が掛かっている。
「絶対、ヤバいって……」
身を隠すように、ドアのガラスから店内を覗き込む。
「…………」
店内は、……地獄だった。
テーブルの上に乗った筋肉モリモリマッチョマンが、全身をワセリンでテカらせ、次々とポーズを取っていたのだ。
掛かっているレコードはなぜかムーディーな曲で、曲に合わせて踊るようにポーズが変わっていく。
天井に付けられたシーリングファンが照明を断続的に遮り、陰影に無駄な躍動感を与えていた。
「帰りたい……」
他にいるのは、カウンターに突っ伏した店員。
そして、身を寄せ合うように震える三人の女たちだった。
テーブルの上でカーターが二分の一回転すると、不幸なことにヨークと目が合ってしまう。
「よう! 思ったより早かったな! 入れ、入れ!」
「……いったい何事ですか、これは」
カーターは徹夜の疲れを感じさせない笑顔で、照明に歯を光らせた。
「おう、神聖エイプル幹部御一行様よ! 暇だろうと思ってな、オレ様のショーを見せていた所だ! 店主も快く協力してくれたぞ!」
「は?」
今一度女たちをよく見る。
恐怖に引きつった顔をしてはいるが、どこかで見たことがあった。
婚約者のジャスミンの、王立学院での学友たち。
そして、エリック・フィッツジェラルドの情婦たちである。
「しょうがねぇだろ! 何でもするって言ったんだからな! 発言には責任を取ってもらわねぇと!」
それで、この地獄絵図らしい。
もっとこう、女から何でもすると言われたら直接的に欲望の発露をしそうなものだが、カーター・ボールドウィンは一味違う。
レコードが終わると、カーターはテーブルの上から降りた。
ウサギちゃんのアップリケが付いたピンクのタオルで全身の汗とワセリンを拭き取る。
床に投げ捨てられていたズボンを抱えると、カーターはヨークの肩に手を置いた。
「さて、ヨーク少尉」
「は、はひ?」
「タクシー拾ってきてくれ。二台な」
「は、はあ……」
「急げよ」
一つ引っかかる事がある。
タクシーは五人乗りの車両が多く使われるのだ。
運転手が一人。女たちは三人。プラス、カーター。
「あの、四人だったら一台の車で乗れたんじゃ……」
「聞こえなかったのか? タクシーを拾ってこい」
カーターの広背筋がこれでもかと盛り上がるのを見て、ヨークは店を飛び出した。
「あれ、絶対見せたかっただけだ! とんでもない野郎だ!」
◇ ◇ ◇
「…………」
「…………」
前の車を追いかけてタクシーは走るが、社内に会話は無い。
前の車にはカーターとドリー、メイ。
ヨークの車に乗っているのは、赤毛のレイラという女だ。
「あの……」
「何よ」
いかにも強気な雰囲気だが、さすがに疲れが見える。
「……運が良かった。あなたたちは、正統政府から多額の懸賞金が掛かっている」
「……そう」
「あなたたちを捕らえたのがボールドウィン大佐でなければ、決して無事では済まなかったでしょう」
「……そう」
「大佐は、ご存知の通り自分の筋肉にしか興味がないので」
「……そう」
会話が続かない。
一応、車を二台に分けたことで、お互いが人質のようになり、大したことは起こせないようだ。
全くの無意味ではなかった。
そうでなくとも、彼女たちは体力と精神を消耗しているだろう。
車は王都を離れ、はしけに乗って川を渡る。
クーデターとほぼ同時期に落とされた橋は、まだ復旧が完了していなかった。
刈り取りの終わった麦畑の中を車は進んでいく。
流れる景色に目をやったまま、レイラはこぼした。
「私、さ……」
「は、はい」
「別にエリックの事なんて、どうでも良かったのよ。ううん、私だけじゃない。ドリーとメイもそう」
「そ、そうなんですか」
「うちの領地の人たち、たくさん兵隊に取られちゃって」
「…………」
「彼に付いていけば、領地からの収入が減っても何とかなるでしょ。強い敵が来ても、守ってくれるわ」
「…………」
確かにそうかもしれない。
フィッツジェラルド家は、国内最大級の領地を持つ大貴族であり、エリックは最強の魔法使いだ。
「やっぱり男は強くないと。私、強い男が好きなの」
「…………」
ただしカーターを除く、といったところか。
「憧れてた騎士がいたのね。彼は平民だったけど……子供っぽい初恋だったのかな……よく剣を教わったわ。上達して、褒められるのが一番幸せだった」
「その方は……」
レイラは顔を伏せた。
「死んだわ。リーチェの戦いで。勇敢に突撃して、機関銃で蜂の巣だったそうよ」
「…………」
誰もが、大陸戦争で何かを失っていた。
このレイラとて例外ではなかったらしい。
「いいのよ。どっちにしろ、彼には奥さんと子供が居たから」
「いや、良くないですよ!」
平時であれば、ただの失恋と言える。
しかし彼女の認識は、戦線から遠い安全地帯のそれだった。
だからこそ現実感というものを得られず、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。
「……ごめんなさい」
レイラは謝ったが、何に対して謝ったのかはわからない。
複数の意味がありそうだった。
「……その方のご家族は?」
「お父さんが潜水艦の機関長やってるの。まだ現役バリバリの海の男よ」
「そうですか……」
「やっぱり、夫にするなら軍人でない貴族よね。一夫多妻制だし、二番でも、三番でも……」
「本当に? 二番手、三番手で良いのですか?」
レイラは目を伏せる。
決して納得しているようには見えなかった。
話題を変える。
「クーデターは、あなたとしても望んだことではない、と」
「そうよ」
「さらに言えば、エリック・フィッツジェラルドのハーレムに入ったのも……」
「ふ……ふふふ――」
レイラは決してこちらを見ることが無かったが、肩を震わせ、その手は強く握りしめられていた。
やがて見開いた目が、ヨークを睨みつける。
目尻には、僅かに涙が浮かんでいた。
「そうよ! 彼の地位! 財産! 魔力! 色々な意味での力が目的よ! 悪い!? 貴族の間では、ついこの間まで普通だった事だわ! 妾が多ければ多いほど、相手する頻度は下がるでしょ! そもそもアイツ、顔は良いけどなんか視線がねちっこくてイヤラシイのよね! まるでサザーランドのオッサンみたい!」
「…………」
「あなた、ジャスミンの婚約者だそうね。もう一人どう? リーチェ帰りで、そこそこ強いんでしょ」
ヨークには、なぜかレイラとエリックがとても哀れに思えてきた。
彼女は、最初からエリック本人を見ていなかったのだ。
それでも、答えは決まっている。
「お断りします――」
――私には、ジャスミンがいますので。
そう続けるつもりだったが、なぜか口から出た言葉は微妙に違っていた。
「ジャスミンが許すとは思えませんので」
これが、男というものだ。
じつに情けない。
「ふふ……」
レイラが僅かに笑みを零す。見透かされたようだ。
「それにね……私が強く見えるのであれば、それは支えてくれた部下たちの力です」
「部下……?」
「ええ。ですが、多くが戦死しました。今の私には、何の力もありません」
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