第162話 ドロップ その二

 タラップの音がカンカンとテンポよく鳴ると、ハッチからサラが顔を出した。


「機関長がドロップくれたんだー。いっしょに食べよー」


 手にあるのは缶入りのドロップ。

 カラカラと音を立てているが、あまり多くは入っていないだろう。


「いいんですか? そんな貴重品を」


「ブルースはハッカなー」


 お子様に人気の飴なのに、なぜハッカが常に混じっているのは不明だったが、発明者の意向らしく、長年改められないままだ。

 なお、年々中身が減っている。


 サラはキャロラインとベンにもドロップを分け与えていた。


「あれー?」


 残りの数はちょうど三つ。

 サラの分は無くなってしまった。


「俺はいいですから、サラさん食べてください」


 ビンセントはドロップを差し出すが、サラはプイ、とそっぽを向く。


「ハッカ、いらなーい」


「これ、パインですよ。照明の赤ランプのせいで白に見えたんでしょう」


「…………」


 サラは手を伸ばそうとしたが、やはりそっぽを向いた。


「いらないったらいらないもんねー!」


「まあまあ、ご遠慮なさらず」


「お……」


「お……?」


「おまえいっつもそうだなー! 子供だとおもってさー!」


 サラは腕を組んでそっぽを向いてしまった。

 ゆらゆらと身体を揺らし、たいそうご立腹の様子である。

 年齢の割に達観しているサラだが、時折こうして年相応の振る舞いを見せることがあった。


「あの……」


「うるさいなー!! だまれよー!!」


 様子が変だ。

 いつもは、この程度の事でここまで怒ることは無い。


「わたしがもっとオトナだったらなー!! もっとたくさん魔力があったらなー! ハットンだって死なずにすんだんだよーっ!!」


「っ……」


 伸ばした手を、サラは払いのけた。


「ハットンだけじゃないぞーっ! エイリーだって! マッキーだって! …………きっと、タリスだって! みんな、……みんな……死んじゃったよぅ……」


「サラさん……?」


 サラは泣いていた。

 泣き顔を見るのは、初めてかもしれない。


 震えだしたサラの背中を、キャロラインがそっと抱きしめた。

 まるでガラス細工を包むように、そっと。


 キャロラインは優しくサラの髪を撫でながら囁いた。


「……殿下。……泣けるときは、泣いた方が良いです」


「っー」


「……僕がこうしていますから。二人には下に降りてもらいましょう。誰にも聞かれることはありません」


 穏やかで、とても柔らかな口調だった。

 まるで、子供の頃にケンカをして、泣きながら帰った日の母親のように。

 キャロラインはビンセントとベンを交互に見た。

 ビンセントは無言で頷く。


「おい……」


 ベンの肩を掴み、下へ降りるタラップへ促す。


「大丈夫だ。見張りが疎かになることはない。……信じろ」


 二人はタラップを滑り降り、発令所へ。

 パイプをくゆらせる艦長と目が合った。

 なお、普段は紙巻き煙草を吸うらしいが、ただの格好つけでパイプを使っている事は艦内の誰もが知っている。


「あの――」


 艦長は傍にある伝声管を指差した。

 全て聞いていたらしい。


「構わん。ロッドフォード氏に任せよう。ビンセントはこの場で待機。……ターナー、何かレコードをかけろ」


「はっ!」


 二人は敬礼を返す。

 ベンがかけたレコードは、偶然にもカスタネの夜会でイザベラが歌った、あの曲であった。


「…………」


 思えば、色々な事があった。

 全ては遠い過去のように思えるが、ついこの間の事なのだ。

 王都の森で出会ったあの日。サラは王城を追われていた。

 その日以来、ひたすら旅を続けてきたのだ。

 あんな、小さな子供が。


 サラも疲れていたのだろう。

 不安もあるだろう。

 もっと、気遣ってやるべきだった。

 聡い子だから、つい蔑ろにしてしまったかもしれない。


 サラは王女だ。普通の子供ではない。

 強い指導者でなければならないと、感情を抑えていたのだろう。

 一見立派に見える。だが、それは決して良いことだけではない。


 キャロラインが居てくれてよかった。

 サラから見れば、年上の頼れるお姉さんだ。

 男であるビンセントには話しずらい事もあるだろう。



 ビンセントはドロップを口に入れる。


「ん?」


 甘いパインではない。少し辛い、ハッカである。

 サラの言っていたことは正しかったのだ。


「……後で、謝らなきゃな」


 ビンセントが独り言ちると、サラがタラップからつつつ、と滑り下りてきた。

 足の土踏まずで挟むようにして一気に降りる方法は、マストに上がる者のほとんどがやっている。

 少し楽しそうだ。


「ただいまー」


「すいません、サラさん。俺、無神経でした」


 ビンセントが頭を下げると、サラは頭を撫でてきた。


「おー? 反省したのかー? えらいなー」


 どうやらいつもの調子に戻ったようで、少し安心する。

 サラは右手を差し出した。


「?」


「おまえがそこまで言うならなー、ドロップ食べてやってもいいぞー?」


「……た、食べました……」


 サラは一瞬目を見開くと、ポカポカとビンセントの胸を叩き始めた。


「ひどいじゃんかー! くれるっていったのにー!」


「す、すいません……」


「ばかーっ! おまえなんか便所そうじの刑だーっ!」


 今にも吹き出しそうに頬を引きつらせた艦長が前に出た。

 その目は爆笑を隠しきれていない。


「ふふ……ビンセント一等兵に便所掃除を命じる。……これでよろしいですかな? 殿下……ふふふ」


「あたりまえだーっ! 早く行けよーっ!!」


「はっ、ブルース・ビンセント一等兵、便所掃除にかかります!」


 ビンセントが急速潜航時よりも早く走り出すと、発令所は笑いの渦に巻き込まれていった。

 臭いは強烈だったが、これで良いのだ。

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