第161話 ドロップ その一
「ねーねー、おじさーん」
「な、何ですかな……」
その男は、サラに声を掛けられると帽子のツバを深く降ろした。
いささかくたびれた雰囲気の、中年の男だ。
艦体後部の機関室。
通路の左右に設置された巨大なディーゼル機関は、まるでラインダンサーの脚のようにプッシュロッドを上下させている。
「これ、何馬力出るのー?」
「と、とんでもないパワーが出ます……なんかこう、ガーッ! って」
「ふーん?」
どことなくしどろもどろであり、彼は決してサラと目を合わせようとはしない。
なにか事情があるのだろう。
わざわざサラに隠す必要はないと思うが、狭い艦内だ。誰の目があるかわからない。
「八百五十馬力が二機です、殿下」
「ほほー?」
代わりの答えたのは、機関長のフットだ。
いかにもな職人肌、という表現がピッタリの壮年の男で、若干太目の貫禄あるお腹だ。
顔は油と煤で、日の当たらない海底生活においても真っ黒であった。
「すいませんね、あれは最近入ったばかりの新入りでして。エンジンのエの字も知りゃしねぇ」
「しかたがないよー」
この『サラ・アレクシア』の出航は急遽決まったらしく、休暇中だった乗組員の多くを呼び戻すことが出来なかったという。
それでも潜航の錘にはなるだろう、と数名の下士官兵を臨時に乗船させている。
「俺ぁね、やっぱり悔しいですよ。エンジン技術も潜水艦もエイプルが発祥だってのに、今じゃオルス製のエンジンがないとまともにフネも動かせねぇ。どこで間違ったんだか……」
一つ言えることは、人材の枯渇であった。
サラはハットンを思い出す。
変態ではあったが、その腕は大したものだった。
本来、装備の製造や整備を行うべき人間が銃を持って前線で戦っていたのである。
異常事態であった。
「…………」
何よりも、その最後は大きな傷をサラの心に残していた。
思わずうな垂れてしまう。
機関長は目線をサラに合わせながら言った。
「どしたんですかい?」
「……ごめんなー」
「いえいえ、殿下が謝ることじゃありませんや! そうだ、コイツをどうぞ!」
機関長はポケットに手を入れると、角型の缶を取り出す。
「ドロップだー! いいのかー!?」
「ははは、残りは三つか四つっすよ。お召し上がりくだせぇ」
振ると、確かにそう多く入っている音はしない。
端に付いている丸い蓋を取り外すと、一つ口に入れる。
「おいしー」
ドロップはサラが大好きなお菓子の一つであった。
お菓子と名の付くものはだいたい好きなサラだが、このドロップは特別だ。
何せ、缶入りである。
缶詰の開発と普及は、父であるジョージ王の無数の偉業の一つであった。
機関長も目を細める。
「うちの息子もね、子供の頃から好きだったんですよ。このドロップ」
「わたし、これいちばん好きだなー」
「孫にも前はよく買ってやったんですがね、最近はあんまり……やっぱり今の子はチョコの方がいいなかなって」
「そうかなー? まあ、チョコも好きだけどなー。パフェとかなー」
「俺ぁ甘いのはあんまり……」
いずれにせよ、貴重品であることには間違いない。
続いて出てきたのは白。
「ハッカだー。ブルースにあげてもいいかなー?」
「ははは、殿下にゃ、ちと早いですかなぁ!」
さっきの中年の男は、いつの間にか機関室を出ていた。
◆ ◆ ◆
艦長はああ言っていたものの、波は穏やか、空には満点の星。
発令所の上の構造物――マストというらしい――の最上部では、ビンセントとベン、それにキャロラインが警戒することになった。
『サラ・アレクシア』は定員が割れており、一人が複数の任務を受け持たなけらばならない。
「ま、海のド真ん中だ。光るものに気を付ければいいのさ」
「ずっと潜りっぱなしじゃいけないのか? その方が揺れないみたいだし」
ビンセントの素朴な疑問に、ベンは心底呆れたように両手を上げる。
「やれやれ、これだから陸のやつは。潜航中の速力は浮上時の半分くらいしか出せないんだよ。せいぜい十ノットって所かな」
「そうなのか?」
「そうだ。浮上時は二十ノット弱は出るかな」
一ノットは時速一海里で、一八五二メートルだと言っていた。
メートル法に慣れているので、いちいち混乱してしまう。
余談だが、メートル法は元々は地球の単位体型らしかった。
ジョージ王登場以前は、各国がてんでバラバラな単位を使っていたのだが、それでは不都合があるということで統一に向けて動き出したという。
しかし、なぜか同時にインチ・フィートも導入され、混乱をきたしている。
「周囲四十キロに船も飛行機も無いよ。のんびり行こう」
「あんた、なんでそんな事がわかるんだよ」
キャロラインは薄い胸を張る。
「僕の魔法さ。いいかい、光ってのは、目に見えるもの以外にも……」
星明りしかない暗闇の中、キャロラインの説明にベンが目を丸くするのがわかる。
「アクティブ・ソナーと同じことを電波でやるのか。それ、応用すれば百発百中の射撃が?」
「できるよ。僕とブルース君が組めば、訳はないね」
キャロラインはビンセントの肩を掴むと、何やら自慢げである。
事実、飛行機すらも撃ち落としたことがある。
あの時はカークマンがいたが、彼ほどキャロラインの指示に忠実に動ける男は居ないだろう。
つまり、もう同じことはできない。
「だが、おそらく潜航中の潜水艦は探知できないな」
「ふぅん? なぜそう思うんだい?」
「光も電波も、水中では急速に減衰するからな」
「ご名答。決して無敵じゃないよ。決して……ね」
キャロラインの表情が僅かに沈んだ。
おそらく、カークマンの事を思い出してしまったのだろう。
ビンセントにとっても、決して忘れられない出来事だった。
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