第160話 ポーカーフェイス

「ワン・ペア。お前は?」


「……スリー・カード」


 ビンセントの勝ちだ。

 ベン・ターナーは舌打ちしてカードを伏せた。


 兵員室兼魚雷発射管室も、非常に狭い。

 何だかんだでビンセントも彼らと枕を並べるうち、多少は打ち解けてきた。

 以来、空き時間にはこうしてゲームに興じている。

 とはいえ、彼らの視線が憐憫を帯びているのは気のせいではないだろう。


 よりにもよってキャロラインがジェフリー・ロッドフォードを名乗ってしまった。

 これは良い。彼女にとって馴染みの名であり、変な偽名を使ってうっかり露呈する危険も少ないからだ。

 が、王侯貴族の事情に少しばかり明るいものが居たのが運の尽きだ。

 何せ、ジェフリーは実在する人物である。

 全く関係のない所でジェフリーの評価は酷く落ちていた。


「やるじゃねぇか、ビンセント」


「運が良かったのさ」


 プレイヤーは他に二人いたが、彼らは勝負を降りていた。


「次、行くぜ」


「ああ」


 理解できないと拒絶される方が、まだマシだった。 

 しかし、彼らは優しかった。

 潜水艦乗りは過酷な任務で、精神的に落ち着いた者が選ばれるという。


 加えて、たまたま誰かのベッドに放置されていた百合百合なエロ本を眺めていた所、ビンセントにそのケは無いと判断された。


「…………」


 ジェフリーことキャロラインは、ついにホモシェフ・ロッドフォードという最悪な渾名を得るに至ってしまう。

 しかし、彼女? の悪評は徐々に緩和されつつあった。

 料理の腕は天才的であり、乗組員の胃袋を掴んでいたのである。

 外界と隔絶された潜水艦は、食事こそが唯一にして最大の楽しみであった。

 そのため、道ならぬ道にはみ出しそうな者もいるというが、露呈した場合は艦を降ろされることになるだろう。


「お、わりと良いね。これと……これだ」


 ベンがカードを交換するのを見て、ビンセントもカードをめくった。

 配られたカードは、ハートのA、Q、J、クラブの三、スペードの七。


「…………」


 思わず息を呑む。

 これは、もしかしたら行けるかもしれない。

 クラブの三、スペードの七を捨てる。狙うはハートのKと十。またはジョーカー。


 ベン以外の二人は、またもカードを伏せ、勝負を降りた。

 ビンセントが山札に手を伸ばそうとした時、不意にスピーカーが鳴る。


「ビンセント一等兵、発令所へ」


「勝負は預ける。後でな」


 ビンセントは駆け足で発令所へと向かう。


 ◇ ◇ ◇



「問題はサルモ海峡です。水深が浅く、発見の恐れが……」


「何故、今頃連合軍の艦船が集結している?」


「さあ……本艦の進路が露呈した形跡はありません」


 艦長と先任が海図を囲んで議論する場に、ビンセントは同席を許された。

 サラの世話係としてであり、キャロラインも一緒だ。

 相変わらず、とても狭い。機械に囲まれて押し潰されそうだ。


「タナカの社会の窓、か」


 艦長は腕を組む。

 タナカとは、オルスの神話に出てくる英雄だという。

 サルモ海峡は神話にちなみ、船乗りたちの間でそう呼ばれているらしい。

 社会の窓が何なのかは艦長も先任も教えてくれない。

 ただ、何となく想像は付く。


「…………」


 ようは、狭い海峡である。


 ポート・オルスに向かう途中にあるサルモ海峡の制海権は連合国にあり、オルス帝国は海上輸送をほとんど封じられている。

 そのため国内のあらゆる物資は欠乏し、エイプル以上の困窮にあるという。

 なりふり構わず連合国と講和の道を模索しているのも、継戦能力の限界に達しているからだと思われる。


 同盟国だったエイプル王国軍の規模は小さく、農地と作物の奪取を目指して同盟を破棄、侵攻してきたとはヨーク少尉の推測だが、実際にはわからない。

 エイプルは小国とはいえ、あまり合理的な判断とは思えないからだ。


「水深はどうなんだー?」


 サラが先任の裾を引っ張る。


「そうですね、浅い所だと百メートルそこそこです」


「丸見えだなー」


 ビンセントは壁の深度計に目をやる。現在は水深ゼロメートル。浮上中だ。

 七十メートルから先は、目盛りが赤くなっていた。

 目盛りは百までしかない。


「海底の地形とかで隠れやすさがぜんぜん違うんだよー」


 サラは、まるでこちらの考えが読めているかのようだ。

 七十メートルしか潜れないのであれば、同じだと考えていたが違うらしい。


 先任は海図の上でコンパスを歩かせ、計算尺を伸ばした。


「迂回するとなれば、大幅に時間が……燃料もギリギリですね」


 あまり時間もかけてはいられない。

 帰りの事もあるし、『原子爆弾』が完成してしまっては全て終わりだ。

 とはいえ燃料切れで漂流など論外だし、沈められてしまっては全く意味がない。


「天気図を出せ」


「はっ!」


 艦長に言われて航海長が最新の天気図を差し出した。

 地図の上にウネウネと線が引かれており、様々な書き込みがしてあったがビンセントにはまるで理解できない。

 艦長はしばらく考え込んでいたが、僅かに笑って見せた。


「サラ王女は、幸運の女神かもしれんな」


「おー、やっと気づいたかー?」


 先ほどのカードが頭をよぎった。

 自慢げなサラを尻目に、艦長は天気図を机に広げる。

 机も学校で使う学習机ほどの大きさである。


「先任、この等圧線を見てくれ。こいつをどう思う?」


「……すごく……狭いです。近くには低気圧。……艦長、まさか!」


「そう。そのまさか、だよ」


 先任は青くなった。

 ビンセントは小声でキャロラインに耳打ちしてみる。


「わかりますか?」


「ううん、全然。ただ、艦内の噂だと――」


 キャロラインは何やら言いにくそうだ。

 艦長の目が光り、テーブルを叩いた。


「雨は確実に降る。夜間、浮上して強行突破だ」


 先任は言葉を失ったらしい。

 キャロラインの少し呆れたような囁き声は、ビンセントにだけ届いた。


「――艦長は博打で身を持ち崩して、エイプルに来たそうだよ」



 ◆ ◆ ◆


 ベン・ターナーは山札のカードを二枚めくる。


「……ほほう?」


 すぐに元に戻し、全てのカードをシャッフルした。

 そのままカードを箱に仕舞う。


「危ねぇ、危ねぇ。ビンセントの野郎、とんでもないヤツだぜ。……ま、ヤツが呼び出されて勝負が流れたということは、俺もツイてるってことだ」


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