第158話 上腕二頭筋
「まったく、何をやってますの、あのバカは!」
マーガレットは定食屋の扉を開く。
今にも爆発しそうな店主と目が合ったが、マーガレットを見ると溜息をついた。
「困るんだよねぇ、こういうの。幸い先月ウチも電話引いたから良かったけどさ」
「…………」
「先月ウチも電話引いたからさ!」
定食屋の主人は繰り返した。
後で知ったことだが、新しい物好きで見栄っ張りと、近所でも評判の男らしい。
電話機は、大仰な台に乗せられて店内の目立つ所に鎮座していた。
「申し訳ありませんわ、ご主人。こちらでよろしくて?」
財布を取り出すと、数枚の銀貨を手渡す。
「毎度あり。いやあ、ウチに電話があって良かったよ、ホント!」
マーガレットはボックス席で優雅に新聞や雑誌を広げている男たちに詰め寄った。
テーブルの上には、食べ終わった後の皿が山積みになっている。
「……なにか、いう事はありますの?」
「おう、遅かったな。アンタもなんか頼んだらどうだ、マーガなんとか」
マーガレットは思い切りテーブルを叩く。
他の客の視線などどうでも良かった。
「ふっざけないでっ! 何ですの、お金もないのに食堂に行くなんて、信じられませんわっ!」
カーターは新聞から顔を上げる。
「仕方がねぇだろ、財布は海の底だ。文句があるなら神聖エイプルの奴らに言ってくれ」
そう言うと、爪楊枝を歯の隙間に突っ込んだ。
この態度である。
「あのねえっ!!」
「ま、まあ落ち着いて。財布がないのに気付いたのは後になってからなんだ。最初からわかっていたら止めていたさ」
ヨーク少尉がマーガレットをなだめようとするが、結局はこの男も同罪である。
「あんまり怒鳴ると小皺が増えるぜぇ?」
「死ね!」
マーガレットはコップの水をカーターにかけるが、カーターはまるで動じる様子を見せない。
「……まったく、イザベラもブルースも、なんでこんなヤツと付き合えるのかしらね! とっとと行きますわよ!」
カーターは新聞を畳むと、無言で立ち上がる。
何か様子が変だ。いつも変だが。
全身から禍々しい怒りを感じる。
「オレ、ちょっとばかり用事があるんでな。悪いが相棒の家にヨーク少尉を泊めてやってくれ。物置でいい。じゃあな」
「なんですの、もう……」
カーターは熊のような歩みで店を出ていく。
新聞記事に目を落とすと、一面の見出しが目に入った。
『エミリー・ホイットマン嬢、国王陛下と婚姻へ』
とある。
「……エリックが誰と結婚しようが、わたくしには関係ありませんわ」
店のドアが再び開き、引き返してきたカーターが詰め寄ってきた。
「金、借りるぞ」
「ハァ!? 何言って――」
マーガレットの財布をひったくると、カーターは新聞をポケットに突っ込み、烈風のごとく駆け出した。
◆ ◆ ◆
カーターは自転車を乗り捨てると、城を見た。
エイプル城は所々修理中だが、工事は殆ど終わっている。
自転車は北ムーサの住宅街に停められていたものを借りたのだ。
後で返すので何の問題もない。
むしろ、途中でパンク修理までやってやったのだ。
感謝されこそすれ、非難されるいわれはない。
そのため、思ったよりも時間がかかってしまった。
結果的には徒歩と大差ない。
「……相変わらずだな、この街は」
王都エイプル。
エイプル王国最大の都市だが、オルス帝国のような大国と比べれば、地方都市程度の片田舎とも言える。
とはいえ、新しい店ができたり馴染みの店が閉店していたりと、細かな変化はある。
かつては、近代文明発祥の地とすら言われたこの街は留まる所を知らない。
多くの若者が希望を胸にこの街を訪れ、失意のもと去って行く。
城下の商店街は、多くの人々で賑わっていた。
夕食の買い物に行く主婦、仕事帰りのサラリーマン、楽し気な学生。
戦線から遠い首都は、戦争の影など微塵も感じさせない。
これもジョージ王の農業改革の賜物で、とりあえず国民が飢えることは無いだけの生産が上げられることも理由の一つだろう。
「だが、まずはメシだ、メシ!」
最初に目に付いた適当な食堂に入る。
なかなかハイカラな店で、若い女性客が多かった。
わき目も降らずにカウンターへ。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
「カツ丼あるか!?」
「ありません……ボンゴレ・ヴィアンコなどいかがですか?」
「何だそりゃ!? まあいいぜ、じゃあそれだ!」
出てきたのはアサリの入ったスパゲティである。
炭水化物が多いので苦手だったが、ズルズルと平らげる。
周りに汁が散り、女性客が怪訝な顔をするがどうだってよい。
「もう一杯だ!」
「かしこまりました。しばらくお待ちください。」
料理が出てくる間、ポケットの新聞を取り出しては広げる。
『エミリー・ホイットマン嬢、国王陛下と婚姻へ』
「…………」
同姓同名でなければ、カーターが育った教会で一緒に暮らしていたエミリーである。
そして、国王陛下とはエリックのことだ。
何があったかは知らないが、エミリーが自ら望んでとは考えにくい。
「……いったい誰よ、やったの!」
「私じゃない! あなたじゃないの、レイラ!」
「ハァ!? ドリーこそ怪しいわ! 毒を盛って財産総取り?」
「だ、だめだよ決めつけは……」
「メイは黙ってなさい!」
「ふえぇ……」
背中のボックス席が何かと騒がしい。
料理が出てくればそれに集中できるのだが、待つ間はどうしても耳に入ってくる。
ずいぶんと物騒な話題だ。
「ローズが怪しくない? エリックと心中したかったとか!」
「あり得るわね……まったく、あんな男のどこが良いんだか……あっ、家柄と収入?」
「それはアンタでしょ! ……まあ、私もだけどね。メイ、あなたは?」
「メイはその、やっぱり安定した生活がいいな、って」
「だよねー! 恋愛と結婚は別よねー!」
レイラ。ドリー。メイ。
話している三人の女の名前らしい。どこかで聞いた名前だ。
そして、話題に上っている男はエリック。
これもまた、よくある名前だ。珍しくもない。
カーターの知り合い、あるいは宿敵にも一人いる。
エイプル王国では、かつて爵位の相続は長子に限るとされていた。
そのため下の子は結婚相手が非常に重要だったのだ。
ジョージ王の即位に伴い、その辺も自由化されてはいるが、依然として伝統は根強い。
「ま、フィッツジェラルド家に入れるなら、多少我慢するけど。暗殺未遂の容疑者なんて、さすがにねぇ」
カーターはカウンターチェアを回転させ、女たちに向き直った。
「なあ、アンタら。オレも話に混ぜてくれりゃあ、このオレ様にメシを奢る権利をくれてやるぜ」
女たちは顔面蒼白になる。
「あ、あなた……生きて……?」
「しっ!」
やはり、王立学院でエリックの取り巻きだった女たちだ。
気の強そうな赤毛のレイラ・バーキン。
腹黒そうなぶりっ子のドリー・マクフェイル。
お子様にしか見えないメイ・ハーバー。
カスタネの夜会で、サザーランド教授からの紹介で一度会っている。
「……どうした? 続けろよ。今ならオレの上腕二頭筋を指でつつく権利もオプションで付く。悪い話じゃあるまい?」
女たちは抱き合って震えあがり、メイなどはあからさまに泣き出した。
まるで鬼を見るような目で、失礼極まりない。
「お、お待たせしました」
店員が出した皿を受け取ると、カーターは女たちのテーブルにそのまま置いた。
テーブルはちょうど四人掛けであり、好都合だ。
「炭水化物が多いが、わりと美味いぜ? いただきまーす。……ズル……ズル……ズババーッ!!」
女たちはまるで蛇に睨まれた蛙のように小さくなる。
「クチャクチャ……長くなりそうだなァ? もう一杯頼んでおくか」
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