第154話 すれ違う想い

「すぅー、すぅー……」


 とてつもなく狭いベッドで、サラは寝息を立てている。

 一日に三度もの回復魔法の行使は、さすがに負担が大きかったようだ。

 キャロラインがタオルを絞り、サラの額に乗せた。

 陸上では特に気にすることもないが、潜水艦では真水はとても貴重なものらしい。


 入浴も洗濯もほぼ不可能だという。

 王女であろうと艦の所有者であろうと、乗り込んでいる間は艦のルールに従わなければならないということだ。


 いや、水どころか空気も極めて貴重な品だ。

 この壁の向こうは海中。

 上も下も、前後も左右も全方位が沈黙の世界である。

 物音にも気を付けなければならない。

 水中では空気中よりも音がよく伝わるそうだ。


「もう、僕たちだけになっちゃったね……」


 キャロラインが小声で零した。


「イザベラも、マーガレットも、カーター君も。みんな、無事だろうか……」


 キャロラインは、こちらを見ないままだ。


「大丈夫ですよ。そうそう簡単に死ぬ人たちではありません」


 気休めだ。

 何の根拠もない。


「君の友達だって、たくさん――」


 キャロラインは顔を上げた。

 目は赤く、目蓋は腫れている。

 泣いていたらしかった。

 いや、泣いてくれていたらしかった。

 彼女は再び目を伏せる。


「僕ね、なんだか自分が情けなくなってくるよ」


「と、言いますと?」


「怖いんだ。怖くて、たまらないんだよ」


 キャロラインに戦いの経験が無い訳ではない。

 カスタネではカークマンと協力して、敵の飛行機を撃墜している。

 しかし、相手の顔が見える戦いは今回が初だったのだろう。


「君は、どうして平気そうにしていられるんだい?」


「慣れ……ですかね」


「駄目だよ、あんなのに慣れちゃ。君は、殺し合いをするべき人じゃない」


「…………」


 キャロラインは目を見開いて顔を上げると、勢いよく頭を下げる。


「ご、ごめん。その、変な意味じゃないんだ。君は君なりに頑張ってきたもんね。それをあんな風に言っちゃって……ごめんよ」


 何となくだが、胸に暖かいものが湧く。

 気が付けば、四年も殺し合いばかりしていたのだ。 

 嫌で嫌で仕方がなかった。


「……お願いがあります」


「何だい? なんでも聞くよ」


「今日、俺たちのために死んでいった連中のこと……覚えておいてほしいんです。平民だって、それぞれ人生があって、守りたいものがあって。それらを全部投げうって、俺たちのために戦ってくれたんです」


 キャロラインは胸に手を当てると、目を閉じた。


「うん……任せてくれ。僕からもいいかな?」


「何でしょう」


 キャロラインはビンセントの目を真っ直ぐに見ると、何秒か黙った。

 懇願するような、また同時に命令するような、色々な感情が混じった目だ。

 唇を固く結んでいたが、やがて呟くように零した。


「……死なないでくれ。もう、あんな想いはごめんだ」


 おそらく、カークマンの事だろう。

 キャロラインはとても優しい人だ。

 本来であれば、暴力とは対極の世界に生きるべき人である。

 戦いに巻き込んでしまった事には、ビンセントにも責任の一端はあった。


「…………善処します」


 そのお願いには、とても気軽に、はい、とは言えなかった。

 不意にキャロラインはビンセントの手に、その手を重ねた。


「ダメだよ。君は生き残らなきゃいけない。この艦に乗っている以上、一蓮托生だけど。できれば聞いてほしいね」


 艦内の照明が赤くなった。

 海中では昼も夜もないため、夜間は照明を赤くして昼夜を区別するらしい。


「今は、お休みください。俺の寝室はあっちですから」


「うん……おやすみ。また明日ね」


 キャロラインは笑顔でひらひらと手を振った。


 ◇ ◇ ◇


 この潜水艦は、一本の筒を輪切りにしたような構造で、中央を通路が走り、その左右にベッドや各部屋がある。

 サラとキャロラインは士官用のベッドを宛がわれており、ビンセントは兵員用の寝室を使うことになるのだが、場所はトイレを挟んで隣である。

 前部魚雷発射管室を兼ねているという。

 魚雷とは、爆弾にスクリューを付けて水中を進む対艦兵器で、この艦の主力兵装だそうだ。


「…………?」


 何やら話声がする。


「あの陸軍のやつも、哀れなものだな」


 この艦で陸軍の軍人は、ビンセントだけのはずだ。

 間違いなく、自分の事を話しているのだろう。

 思わず耳を澄ます。


「俺なら耐えられないね。可哀相に」


「あの野郎、相手が平民だと思ってやりたい放題だ」


 何やら穏やかではない雰囲気だ。

 艦内も決して一枚岩ではない、ということだろうか。


「ぜったいあのロッドフォードとかいう貴族にヤラれてるって!」


「ホモに掘られるとか、可哀相すぎる……!」


「俺なら自決するね」


 額に冷や汗が浮かんだ。完全な誤解である。

 キャロライン・ロッドフォードは、間違いなく女だ。


 ビンセント家は薪屋だけあり、他の平民と比べて比較的自由に風呂に入る事ができる。

 しかし家の躯体は老朽化しており、所々隙間があるのだ。

 それは浴室も同様である。


 修理の必要があり、動かない身体をどうにか動かしてパテで塞ぎに行ったのだ。

 母と妹の言い付けでやむを得なかったとはいえ、不本意ではあった。


 ちょうどその時間にキャロラインが入浴していたのは偶然であり、狙った訳ではない。

 修理の必要上、隙間から覗いて確認しているので、キャロラインが女であることは間違いない。

 ただし、その胸はマーガレットよりもさらに小さく、完全フラットである。


 修理のために、やむを得なかった。決して他意は無かった。

 カメラのカタログを取り寄せ、その値段に絶望したのは翌日のことである。


 なお、パテはすぐに取り外せるようにしてある。


「…………」


 しかし、問題は彼らの誤解を解くことができない、ということだ。

 キャロラインはここではジェフリーを名乗っている。

 直接会ったことは無いものの、エリックですら見分けがつかないという。


 艦内は男ばかりだし、その方が安心ではあるだろう。

 やむを得ないと言えばやむを得ないのだが、このまま突入する訳には行かなかった。


「でも、やっぱイケメンだよな。さすがお貴族様って所か」


「おいおい、お前まさか……」


「ち、ちげーよ! 俺、ちょっとトイレ」


 このままでは鉢合わせだ。ビンセントは大急ぎで踵を返す。

 足早に士官寝室、無線室および艦長室を経て発令所へ。


「どうかしたかね? 君は明日から働いてもらうから、今日はもう休みたまえ」


 先任は残酷である。

 とはいえ、今戻る訳にはいかない。


「いえ、少しでも早く艦内の構造を把握しておこうかと」


 そう言うと、先任は感心したように頷いた。


「そうか、立派な心掛けだ。殿下の護衛に選ばれるだけはあるな。大雑把ではあるが、本艦の仕組みを説明しよう。まずメイン・バラストタンクだが――」


 先任の授業は専門用語が多く、ほとんど理解できなかった。



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