第三章 サラ・アレクシア
第153話 明日への出航
大きな犠牲だった。
ハットンが、マッキーが、エイリーが、そしておそらくはタリス軍曹が。
一緒に来てくれていた五人の兵士が。
ビンセントたちを逃がすために、命を懸けてくれたのだ。
おかげでサラには傷一つ無い。
カーターとヨーク少尉は海に飛び込むのが遠目に見えた。
無事だと信じたい。
「…………」
暗闇の中、サラはキャロラインの女性にしては薄い胸に顔を埋め、全身を小刻みに震わせていた。
「殿下、よくぞ頑張りましたね……」
「うん……わたし、逃げるんじゃないからなー。必ず帰るもんねー」
「もちろんです。イザベラたちを信じましょう。さ、泣いていてはいけませんよ、みんなに示しが付きませんからね」
「わかってるよー」
キャロラインはサラの髪を手櫛で撫でながら、頬を摺り寄せていた。
足音が近づいてくる。
「『ノーチラス号』へようこそ。私が艦長です。『ネモ』とお呼びください」
艦長帽を被り、レインコートを着た髭面の男はサラに敬礼した。
しかし、サラは人差し指でネモと名乗った男の頬をグリグリする。
「いつからこの艦がノーチラスになったんだよー。このフネは『サラ・アレクシア』だってばー」
男は冷や汗を浮かべ、慌てた素振りを見せる。
サラと同じ真っ黒な――ただし白髪交じりの髪と瞳をした壮年の男だった。
「し、しかしですね、本艦は世界初の実用潜水艦です! 世界初の潜水艦は『ノーチラス』でなければならないのです!」
「知らないよー、そんなのー。それにお前は『ネモ』じゃなくて『ネモト』だろー?」
「し、しかし、ノーチラス号の船長はネモと決まっていて――」
「だからそれ何なんだよー、私の船を勝手にさー」
サラのお気に入りの船は、どうやら『サラ・アレクシア』が正しく、艦長はネモトというらしい。
サラは手近な椅子にちょこんと腰を降ろした。
他の椅子に比べ、革張りで座り心地が良さそうだ。
「…………!」
ビンセントはようやっと目が慣れ、今更ながら息を呑んだ。
ここは、倉庫でも機械室でもなかったのだ。
大きな船体だが、内部は異常なほど狭い。
周囲はぎっしりと見知らぬ機械で埋め尽くされ、それぞれに人員が張り付いていた。
ヘッドホンを付けた男が何かの機械に張り付いて、ダイヤルを回しているのが目に入る。
何よりも壁も天井も、あらゆる場所に広がる配管、バルブ、メーターやスイッチ類。
まるで巨大な時計の中に入り込んだかのようだ。
キャロラインも同じ気持ちらしく、目を丸くしている。
「驚きましたか?」
小柄な人当たりのよさそうな男がニコニコと笑っていた。
階級章を見ると少尉らしい。
ビンセントは直立すると、挙手の礼をした。
男も返してくる。
「私は先任――まあ、副長ですね。キース・エルウッド少尉です。よろしく」
ビンセントとキャロラインも自己紹介をするが、キャロラインはジェフリーを名乗った。
男として行動するつもりらしい。
「急な出撃でして、本艦は定員に充ちておりません。艦内の生活全般を担当する士官が不在でして」
「ああ、それなら僕がやろう。炊事洗濯掃除くらいしかできないけど」
キャロラインが何でもない事のように答える。
しかし、やってみればわかるが結構なことだ。
「誠に申し訳ありません。お願いできれば、助かります」
先任は深く頭を下げた。
「ビンセント君は……そうですね、砲術科の手伝いをしていただきましょう。基本的には陸の銃砲と同じですよ」
どうやら、実際に艦を取り仕切っているのはこの先任らしい。
なかなか安息は訪れないようだ。
「ねーねー、わたし潜望鏡覗きたーい」
サラは頬を赤らめてネモト艦長の裾を引っ張っていた。
「君はどう思うかね? 先任」
エルウッド先任は無言で頷いた。
「メーンタンクブロー、潜望鏡深度」
ネモト艦長が号令をかけると、何やら機械の作動音が響き、身体に重みを感じる。
そのままネモト艦長は天井から筒状の装置を引き出し、ハンドルを開いた。
「……どうぞ、サラ様」
「わーい。わたし、これ好きなんだよなー」
艦長に抱えられたサラは、ハンドルを握って顔を機械に近づけた。
「…………おー、すごいなー」
そのままぐるりと装置の周りを周る。
「ブルースも見るかー?」
「はぁ」
言われるがままに覗き込むと、そこには水面の景色が映っていた。
ムーサの町は、所々黒煙が上がっている。
「…………」
両親と妹は無事だろうか。
家のあるあたりからは煙が上がっていないので、無事だと信じたい。
「これ、潜望鏡っていうんだぞー。外が見えるけど、この船は沈んだままなんだー」
「へぇ……これはすごいですね!」
「すごいだろー。わたしの船だもんねー」
「はっはっは、殿下は本当に潜水艦がお好きだ」
艦長が自信満々に説明してくれる。
世界初の実用潜水艦として二十年前に建造されたこの艦は、技術の進歩により旧式化して訓練艦となっていたという。
しかし、サラの誕生を機に新たに『サラ・アレクシア』の名を与えられ、最新技術を盛り込んで大改装が施された。
「肝心のエンジンがオルス帝国からの供与品というのが悔しい所だがな。エイプルの技術ではディーゼル機関を造れなかったのだ」
「はぁ」
「しかし兵装は私の意見を大幅に取り入れられ、今や世界最高の潜水艦と言っても過言ではあるまい」
艦長は自慢げである。彼は遠い目をして続けた。
「子供の頃から潜水艦に乗るのが夢だった。……実際に乗れば、まあ、酷いな」
「子供の頃、ですか?」
見たところ、艦長の年齢はビンセントの父とそう変わらないように見える。
今の話によると、世界で初めて潜水艦が建造されたのは二十年前なので、その時には既に成人していたはずだ。
「私の故郷では百年以上前から潜水艦が活躍していたよ。この世界の潜水艦は、ちょうど黎明期のそれだ。まだまだ発展の余地は十二分にある」
潜水艦の発明は二十年前。
にもかかわらず艦長の故郷では百年以上前から使われているとは、酷い矛盾だ。
「まさか……」
イザベラの兄の婚約者、ヤスコの顔が脳裏をよぎる。
「そうだ。私は、地球から来たのだよ……」
「な、なんだとー!?」
意外にも、声を上げたのはサラだった。
「そんなの、初耳だぞー!? なんで今まで黙っていたんだよー!!」
「地球人は、よほどの事がない限り出自を語りません。我々の持つ知識をめぐって必ず争いが起こりますし、時と場合によっては迫害の対象になりますのでね。地球人が王になったエイプル王国は比較的マシですが、外国での扱いといえば、それはもう酷いの一言ですよ」
考えてみれば当たり前のことだ。
科学の発達は既存の価値観をことごとく過去のものにした。
人によっては、それが自分が生きてきた価値観の否定にも感じられるのだろう。
艦長は溜息をつきながら頭を掻いた。
「せっかく地球を逃れて、剣と魔法の世界に来たというのに」
「地球とは……そんなに酷い所なんですか?」
艦長は諦観のこもった笑みを浮かべると、目線を隠すように帽子を引き下げる。
「何も変わらないさ、何もな。天国でも地獄でもない。人々の暮らしがあるだけだ。魔法が無いだけで、結局は人間の住む世界だからな。ここで起こることは、全て地球でも起こり得るのだよ。さて――」
艦長はマイクを手に取る。
「艦長のネモトだ。総員聞け。本艦は予定通りサラ王女を収容。ポート・オルスに針路を取る。王国の興廃この一戦にあり。各員、一層奮闘努力せよ。以上だ」
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