第151話 勇気ある戦い

「プラグがカブってるんだ。外してガソリンを拭き取らなきゃ」


 顔を上げると、そこに居たのは屋敷に残ったはずのハットン上等兵だった。

 彼は慣れた手つきでプラグコードを外し、プラグレンチを差し込む。


「プラグを外す時は、細かい小石なんかが燃焼室内に落ちないように気をつけろ。ただでさえツーサイクルは焼き付きやすいからな。それから、オイルは絶対に絶やすなよ」


「ハットンさん……なぜここに……?」


 手を止めないまま、ハットンは応えた。


「機械は良い。手を掛ければ、その分応えてくれるもんな。人間だと、そうはいかない」


「そりゃまあ、俺もそう思いますが」


 ハットンの目はどこか遠くを見つめているようで、それでいて手は時計のように正確に動き続けた。


「俺、殿下みたいな小さな女の子が好きでね」


「知っています」


 ハットンのロリコンは有名であった。

 彼は目を細めると、恋人の髪を撫でるようにエンジンのシリンダーヘッドを撫でる。


「……大人の女は、怖いからな。男をあっさり乗り換えて、俺のことを一方的に想い出に変えちまう。自分に酔って、悲劇のヒロインになりきっちまう。捨てられる方が、よっぽど悲しいのにな。小さな子なら安心だ」


「はぁ」


 言わんとしている事はよくわかる。

 しかし、論理の飛躍がある気がしないでもない。


「でもな、可愛い女の子を鉛の雨の中に放り出して、自分は穴の中で震えている方が、よっぽど怖いって事に気付いた。死ぬのは確かに怖い。だが、今やらないと俺は一生後悔しながら生きるんだろうな。そう思ったら……いつのまにかここまで来ていた」


 ハットンはプラグを元に戻すと、プラグコードを取り付け、スターターを引っ張った。


「動いた!」


 今までのことが嘘のようにエンジンは目覚める。


「チョークはすぐに戻せ。ゆっくりな。またカブるぞ」


 ビンセントは言われた通り。ゆっくりとチョークレバーを戻す。

 エンジンは安定して稼働していた。


「ありがとうございます、ハットンさんも早く」


「ああ。今押し出すからな。……よいしょ、っと」


 ハットンが渾身の力でボートの舳先を足で押すと、ボートは桟橋から離れた。

 桟橋に立ったまま、彼は鼻の下をこする。


「やっぱり、好きな女の子の前で格好つけたいじゃ――」


 ハットンの胸に、バラの花でも咲いたかのような赤が浮かび上がった。

 口からも血が流れだし、目を見開いて虚空を掴む。


「ハットンー!」

  

 サラが手を伸ばし、魔法陣を呼び出すとハットンの身体が山吹色の光りに包まれる。

 その光が収まるとハットンの傷は消えていた。


「??」


 彼は胸に手を当て、傷が無いのを確認する。

 ハットンは、とても幸せそうな笑顔を浮かべた。


「殿下! 俺なんかのために回復魔法を……!? こんなに幸せなことは、ありませ――」


 しかし、ハットンは最後まで感謝の言葉を伝えられなかった。

 二発目が、三発目がハットンの腹に、胸に命中したのだ。

 幸せな笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと倒れる。

 白く塗装された桟橋に、赤い血が止め処なく広がっていく。


「おいハットンーっ!」


 サラの絶叫が耳元で響く。

 一日に回復魔法を使えるのは最大で三回までで、三度目を使うとサラは翌日寝込んでしまう。

 さっきのが三度目だった。

 もう、これ以上は使えない。


「…………!」


 背中越しにサラが震えているのがわかる。

 深い悲しみが伝わってきた。


「ブルース、あれ!」


「挟み撃ちか!」


 イザベラが指さす方向を見ると、衛兵隊の内火艇が近づいてくる。

 しかし、甲板でこちらを狙っているのは衛兵ではなく軍人だ。

 ハットンを撃ったのは彼らだろう。


 彼らは小銃擲弾を構えていた。


「伏せて!」


 キャロラインの叫びにイザベラとマーガレットは伏せるが、ビンセントは逆に仰向けになる。

 うつ伏せになっては、背中に背負っているサラに敵弾が当たる恐れがあったからだ。


 擲弾は桟橋に命中すると、カーターたちとの中間あたりで炸裂した。

 木製の桟橋が千切れ、もう向こうに戻ることもできない。


「カーター!」


「後で会おうぜ!!」


 カーターは一瞬振り向くと、歯が暮れゆく夕日を浴びてキラリと光った。


 別の桟橋では敵の兵士がどんどんと内火艇に乗り込んでいく。

 一隻、また一隻と桟橋を離れ、こちらを取り囲むべく動き始めた。

 その数、四隻。


「クソッ、ここまで来て!」


 その時だった。


 海面から多数の泡が浮かび上がり、まるで沸騰したかのように飛沫が上がる。

 まるで海面全てを覆うような、大量の泡だった。


「なんだ?」


 続いて海面が盛り上がると、巨大なクジラの頭が浮かび上がった。


「違うわ、クジラじゃない!」


「あれは……あれは!」


 イザベラも、マーガレットも、キャロラインも開いた口が塞がらないようだった。

 ビンセントも同様である。


「だれが『サラ・アレクシアⅡ』と言ったんだー? 『Ⅰ』だよー」


『サラ・アレクシア』。その名を持つ船は複数存在するが、最初に名付けられたのは、この『潜水艦』である。

 通常の艦船と違い、エンジンのほかに蓄電池と電動モーターを組み合わせ、水中に潜ることができる。


 甲板のハッチが開き、備え付けられた大砲に数人の兵士が駆け寄ると、砲口に付いている防水用であろう蓋を開き、仰角を落としながら砲を旋回させる。


「――――!」


 内火艇の兵士が何かを叫んだが、その声がこちらに届くことはない。

 艦載砲により、一発で海の藻屑と消えたからだ。


 艦載砲が再び火を噴くと、もう一隻内火艇が爆沈する。


「早くしろー! ブルースー!」


 ビンセントは船外機の回転を上げ、潜水艦へと舳先を向ける。


「カーター! ヨーク少尉! タリス軍曹! ……また、後ほど!」


「オラ早くいけやァ!! ブルース、殿下はなぁ、俺の娘だ! お前の妹だ! 傷一つ付けるんじゃねぇぞっ!!」


 タリス軍曹の声が響く。この時、彼は初めてビンセントをブルースと呼んだ。

 もちろん、実際の血縁関係はない。しかし、タリス軍曹の言いたい事はよくわかる。


「…………はいっ!」


 不本意ではある。

 極めて不本意である。

 しかし、桟橋が真っ二つに折られてしまった以上、彼らは彼らで脱出してもらう事を祈るしかない。


 マーガレットの氷の盾に、何発も鉛玉がめり込んでいく。

 イザベラが海面に向けて魔法を乱射し、湯気で煙幕を作っている。

 その中をひたすら進んでいく。


 潜水艦の甲板中央から突き出た司令塔の上では、双眼鏡を抱えた艦長と思しき男が敬礼で出迎えていた。


「急げ! 早くしろ!」


 甲板上の男たちに手を引かれ、ビンセントは潜水艦の甲板に這い上がった。

 キャロラインが後に続く。


「サラさん、怪我はないですか!?」


「だいじょうぶだー! 早く入れー!」


 ビンセントは背中のサラを降ろすと、水兵に託す。

 サラを背負った水兵は、タラップを降りて艦内へと消えていった。


「イザベラさん! 早く!」


 ビンセントは甲板上から手を伸ばす。しかし、イザベラはかぶりを振った。

 決意を込めた強い瞳でビンセントを見つめてくる。


「ブルース! 私は残るわ!!」


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