第149話 鬼軍曹
防空壕に逃げ込んだのは、ビンセントをはじめ、サラ、イザベラ、マーガレット、キャロライン、ヨーク少尉。
カーターが連れてきたのが、ワイルド伯爵、タリス軍曹、エイリー上等兵、マッキー二等兵。それに、今日初めて顔を見る兵士が五名。
元々近くに居たハットン。
しめて十七名。
砲弾の雨が降り注ぐ状況では、外の様子も伺えない。
サラが溜息をつく。
「こまったなー。これじゃあ、港まで行けないよー」
「港ですかい?」
タリス軍曹が身を乗り出した。
「そうなんだよー。わたしのお船が来てるから、ここに寄ったらそれに乗ってオルスに行く予定だったんだー。皇帝と仲直りするはずだったんだけどなー」
王女が直々に帝都に乗り込んで皇帝と和議を結べば、現在の二正面作戦を解消でき、対神聖エイプル一本に絞ることができる。
「…………」
誰もが無言だった。
王都奪還のために集められた精鋭とはいえ、その兵力はたかが一個大隊、六百人。
集合が遅れており、現在は半分も集まっていない。
帝国と停戦した後、前線に出ている軍を王都に呼び戻して指揮下に加え、王城を制圧する手筈であった。
王都を占拠している神聖エイプルの指揮下にあるのは、第三連隊だ。兵力はおおよそ二千人。
しかし、それはあくまでもクーデター当時の人数であり、現在ではどれほどの将兵が恭順し加わっているのか、予想すらできない。
何よりも、今の砲撃で味方には相当の被害が出ているはずだ。
平民の兵士の集合が遅れている事が、せめてもの幸いだったかもしれない。
暗闇の中、息をひそめる。
砲撃の間隔は、徐々に短くなっていった。
運用している者も慣れてきたのだろう。
今は身を潜めるしかない。
「…………」
やがて、砲撃が止んだ。
「様子を見てきます」
ビンセントは立ちあ上がろうとする。しかし。
「待て。俺が行く。ハットン、お前も来い」
「うへぇ」
立ち上がったのは、ヨーク少尉だった。
「俺が戻らなければタリス、指揮を引き継げ。……この目で状況を確かめたい。……大丈夫だ、無茶はせん」
ハットンを伴ってヨークは地下壕を出ていく。
「…………」
ビンセントは入口のマンホールをどうにか持ち上げ、外を覗いてみた。
人、人、人。
どこを見回しても銃を構えた兵士ばかりだ。
「やはり、屋敷は完全に破壊されています……ん?」
今度は銃声が断続的に響いた。
ヨーク少尉とハットンが全速力で走ってくるのが見える。
そのまま蓋を跳ね上げると、二人は中に転がり込んだ。
「ハァッ、ハァッ…………!」
二人とも息を切らし、全身が汗だくだ。
「まずいぞ。屋敷が包囲されてる!」
「神聖エイプルのやつらです……! あいつら、短機関銃まで持ってやがる……!」
続くハットンの言葉に全員が青ざめ、誰もが言葉を失った。
「あいつら、殿下を探しているみたいです! 瓦礫を掘り返してる! 隊長、俺、敵の指揮官を見たことあります!」
「ああ、確かノーラ・ギボンとか言ったかな……今回の作戦に参加するはずだった。裏切りか、スパイか」
キャロラインは苦虫を噛み潰したような表情で額に手を当てた。
「ノーラはエリックのハーレムの一員だよ。噂じゃ酷い嗜虐趣味だそうだね。男には目がないくせに、女には容赦がない。平民のメイドを……何人かSMプレイが過ぎて死なせているそうだよ……いや、SMというより――」
キャロラインは俯くと、青い顔で絞り出すように続ける。
「拷問だ」
ビンセントは息を呑んだ。
ノーラと会ったのはカスタネの夜会と、その後の打ち上げのみ。
よく知らないが、そんな危険人物だったとは驚きだし、それを手なずけているエリックもまたただ者ではない。
サラはイザベラに抱き着くと、腹あたりに顔を埋めた。
全身が震えている。
瓦礫を掘り返しているということは、死体でも構わないということだ。
「わたし、どうなるのかなー……」
イザベラはサラの肩をしっかり掴んだ。
しかし、掛ける言葉は見つからないようだ。
お尻ペンペンでは済みそうにない。
「…………」
昔、革命が起こって王政が打倒されたピネプル共和国では、王とその家族は捕らえられ、一方的な裁判の末に断頭台に送られたという。
「覚悟はさー。……してたつもりなんだけどさー」
その更に前に王政が廃止されたアリクアム共和国もまた、王族は全て処刑された。
こちらは断頭台ではなく、股裂きや磔刑など、各人それぞれ趣向を凝らして公開処刑されたという。
サラも当然、そのくらいは知っているはずだ。
「大丈夫……大丈夫ですよ……」
イザベラがサラの頭を優しく撫でるが、完全に出まかせだ。何の根拠もない。
「こわい……こわいよぉ……」
「大丈夫です……」
ビンセントには、ただ見守るしかできなかった。
サラは、まだお子様だ。
その恐怖がいかなるものであるか、想像を絶する。
しかし、何とかして打開策を考えなければならない。
引き渡す訳には行かない。
「俺さぁ。殿下と同じくらいの娘がいるんだわ」
沈黙を破ったのは、タリス軍曹だった。
「難しい事はわかんねぇけどよぉ。平民の俺なんざ、足元にも及ばない高貴なお方、つってもよぉ。ただのガキじゃねぇか」
タリスはそのまま壁際に行くと、掛けてある銃を手に取った。
短機関銃だ。
「なんつうの? よそのガキっつってもよぉ。怖くて泣いてるガキをよぉ。自分が危ないからってよぉ」
話しながらもタリスは手を休めない。
弾薬箱を開け、弾倉に弾を込め始めた。
「殺されるとわかって、ホイホイ差し出すなんざ、俺はゴメンだね。娘になんて顔して会えばいいんだよ」
慣れた手つきだった。
弾倉を短機関銃に取り付けると、もう一揃い準備を続ける。
「俺だってよぉ。家に帰れば『父ちゃん』な訳よ。殿下にゃ親父さん居ねぇけどよ、だったら誰かが父親役やらなきゃならねぇだろ。扶養義務ってやつ?」
手榴弾を点検し、サスペンダーに括り付ける。
「王女だったらよ、エイプル王国全員の娘だろ。妹だろ。孫だろ。だったらよう、これからも生きて、国民全員の姉に、母に、祖母になるまで生きてもらわねぇとな!」
初弾を薬室に送り込む。短機関銃二丁、両手持ちおじさんの完成である。
ヨーク少尉はビンセントの肩に手を置いた。
その顔には、恐怖も同様も伺えない。
「ビンセント。悪いがサラ様を……頼めるか?」
「はっ! しかし隊長――」
「頼む」
ヨーク少尉は、ビンセントの目を真っ直ぐに見つめた。
その目に宿るは、覚悟。
「…………」
ビンセントも壁の小銃を手に取ると、弾を込めはじめた。
「伯爵はこちらに残り、カスタネのケラー首相に連絡をお願いします」
「わ、わかった。ヨーク君、君は……」
ヨークは壁の銃を指さし、声を上げた。
「タリスの気持ちがわかる者ッ! 壁の銃を取れッ!! これは命令ではない! 逃げても敵前逃亡とは見なさん」
カーターが、エイリーが、マッキーが、一緒に来た五人の兵士が小銃を取った。
それぞれ弾を込め始める。
「…………」
そんな中、ハットンは俯いて黙っていた。
「ハットン。お前は残るんだな?」
「め……命令じゃ……ないんですよね……?」
「そうだ。死にたくなければ逃げるか隠れるか、あるいは降伏しろ。ただし敵に何も喋るな」
ヨーク少尉も意外に無茶を言う。
捕虜が尋問されないことなどあり得ない。
「みんな無茶ですよ! 一個大隊はいますよ? あの人数相手に、まともに戦うなんて……!」
ハットンは敵兵の数と装備を直接見ている。
やむを得ない事だった。
「俺は……残ります……」
ヨークは柔らかな笑みを浮かべ、俯いて震えるハットンの肩に手を置いた。
「いいんだ。それもまた、勇気だ。戦場に巣くう『死』に、その身を囚われてはならん。お前は生き残れ! これは、本当に命令だ!」
「はい……すみません……」
涙と鼻水を垂れ流すハットンを、誰も責めなかった。
本当に勇気があるのは、ハットン上等兵だったからだ。
むしろ、臆病な者であれば銃を手に取ったことだろう。
かつてのビンセントのように。
「やっぱり嫌だ、という者は今のうちに銃を置け。ハットンとここに残り、隙を見て脱出しろ」
銃を置く者は居なかった。
「よし」
タリス軍曹がサラの前に歩み出ると、膝を付いた。
サラと同じ目線で語りかける。
普段はとても見せない、穏やかな目だった。
「殿下。このロイド・タリス、生涯に一度の不敬をお許しくだせぇ」
「…………うん」
「俺ぁ今から、『人違い』をします。良いっすか?」
「…………うん。人違いは、誰にでもあるからなー」
決してふざけている雰囲気ではない。
タリス軍曹は、穏やかで優しい瞳をしていた。
まるで、父がレベッカを見るような。
サラが頷くと、タリス軍曹はサラをきつく抱きしめた。
「頑張ってくるからなぁ! 父ちゃん、お前と母ちゃんのために、立派に戦ってくるからなぁ! 身体に気をつけてな! 達者で暮らせよ! …………マチルダ!」
サラもまた、タリス軍曹の肩に手を回す。
「無理しないでね、父ちゃん。…………ありがとう」
「マチルダ……マチルダ……マチルダあっ…………!!」
「父ちゃーん……」
ビンセントはこの時、タリス軍曹の娘の名前を初めて知った。
サラと同年代の女の子、ということしか聞いていなかったが、休憩中など事あるごとに写真を取り出しては眺めていた。
写真を覗き込もうとしたり、冷やかそうとするものがいれば、彼はたちまち鬼軍曹と化したものである。
その形相は鬼のようでありながら、どこか温かいものが隠しきれていなかった。
まるで悪戯をした子供を叱るような、そんな顔だった。
「…………失礼しました。人違いです。殿下」
「いいんだよー。ごめんなー」
ビンセントはサラをおんぶすると、適当な紐で離れないようにくくる。
少し、余った。
「よこせ」
タリス軍曹があまった紐を銃剣で切ると、鉢巻のように頭に締める。
「どうよ!?」
「イカすぜ! おっさん!」
カーターが親指を立てると、二人はしばらくの間見つめ合い、やがて笑いあった。
タリス軍曹が檄を飛ばす。
「さぁイクぜ野郎ども!! お姫様の船出だ!! 見送りの紙テープと花束、忘れんじゃねぇぞ!」
全員が笑顔で頷く中、ヨーク少尉だけは冷静に指示を出していた。
「エイリー、マッキー、小銃擲弾を使うぞ。準備しろ!」
「はっ!」
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