第146話 決戦の時 その一
「あっ……あああっ!? ヤバイヤバイヤバイ、マジ堪忍……あおーっ!!」
ムーサ領主、ワイルド伯爵の屋敷の庭。
ビクター・ヨーク少尉は頭を抱えた。
なぜ、いつも自分の部下ばかりが問題を起こすのか。
「お・ま・え・はっ! いっぺん死んでこいっ!」
「うぐぐ……べ、別に良いでしょう! こ、好みの問題で……」
部下のタリス軍曹がハットン上等兵にバックブリーカーをかけている。
タリス軍曹は筋肉モリモリ、角刈りどじょう髭の中年。家に帰れば優しいお父さん。
ボールドウィン大佐の好敵手でもある。
「隊長! このバカヤロウになんとか言ってやってください! 不敬もいいところだっ!」
「ぐう……た、隊長……! た、たすけ……」
ハットン上等兵は、リーチェの戦いにおける英雄である。
あの時、ヨークの部隊は司令部との連絡を遮断され、孤立していた。
後にイザベラと判明する騎士の突撃で戦線は持ち直したものの、あくまでも一時しのぎでしかなかった。
降り注ぐ硝煙弾雨の中、通信機の回線を修理したのはハットンだ。まさしく英雄と言ってよい。
その後、彼はリーチェ大爆発によって脚に重傷を負う。
「…………」
彼は重度のロリコンであった。
生えたらもうダメらしい。
ブケートでサラ王女への愛情を暴露し、ボールドウィン大佐に窓から叩き出された事は報告を受けている。
今日はそのサラ王女が慰問に訪れるのだ。
ハットンは真っ白なスーツ姿で、近くにはバラの花束が落ちている。
ヨークは冷や汗を堪えられなかった。非常にまずい。
正直を言えば、あまりハットンとは関わりたくはなかった。
より正確に言えば、仲良くすることでハットンの同類と誤解されることを恐れていた。
兵士として、部下として非常に優秀な男だと思っているので、複雑な気分だ。
しかし、このまま放っておく訳にも行かない。
「ハットン。貴様に屋敷全ての便所掃除を命じる。そのふざけた格好も着替えろ。今すぐにだ」
「そ、そんな! 後生です、今日はサラ王女が!」
「復唱は?」
ハットンは世界のすべてが闇に包まれたかのような顔で復唱した。
「ハ……ハロルド・ハットン上等兵、屋敷の便所掃除に……掛かります……くうぅ……」
「よし。向こうの東屋も忘れるなよ。先にそっちからやれ」
むしろ、東屋こそが本命と言えた。
肩を落として彼は屋敷内に消える。
世界に平和が訪れた。
「さて、そろそろだ。全員、整列!」
なぜかチェンバレン中佐の姿が見えない。
おかげでヨークが号令をかけるハメになる。
ヨークの号令一下、全員が列を作り王女の到着を待つ。
各戦線から集められた精鋭だが、いかんせん集合は遅れに遅れている。
とても作戦の実行には足りなかった。
それでもなぜか士官は十二分に揃っていた。名を挙げる絶好の機会だからだ。
やがて王女一行の姿が見えたが、ヨークは溜息をつく。
「とても一国の王女には見えんな」
しかし、これが現在のエイプル王国の現状でもある。
サラ王女が乗っているのは、いささかくたびれたリヤカーの荷台。
全身包帯だらけのビンセントが同乗し、タンクトップ姿のボールドウィン大佐が引いていた。
大佐はこちらに気付くと手を振った。歯が光るのがここからでも見える。
エプロン姿のイザベラと、ジャージ姿のマーガレットが続く。
見慣れないスーツ姿の小柄な男もいた。
「みんなー、元気かー?」
サラ王女はリヤカーから降りると、両手を大きく振った。
服装はどうみてもそこら辺の小学生。プリーツの付いたサロペットスカートにブラウスだが、胸には『レベッカ・ビンセント』と書かれた名札が縫い付けられていた。
肩からかけているのは、どこかで見た生地のポーチ。
「おめかししなきゃダメって、レベッカが言うからなー。お古もらったんだー」
「そ、そうですか。サラ王女、ようこそお越しくださいました」
ヨークはハットンが置いて行った花束をサラに差し出した。
添えられたカードは魔法で焼き捨ててある。
書かれた内容は、とてもお子様に見せられる物ではない。
ヨークは決して魔法が得意ではなかった。
唯一使える火属性魔法も、火炎放射器には劣るのだ。
「わーい」
サラは嬉しそうに花束を受け取った。
問題は、問題にしなければ問題ではない。
その場に居る全員、花束に視線を向けようとはしなかった。
◆ ◆ ◆
ワイルド伯爵が歓迎の意を述べると、庭でバーベキュー大会が始まった。
ビンセントも予備品の新しい制服を受け取ったが、どうも中古品らしい。
バーベキューの臭いがつくのも気になる。
軍が主催なので、将、下士官と兵士はテーブルや焼台が分かれている。
それでもヨーク少尉だけは、兵士と同じ台を使っていた。
「どうもあっちは落ち着かなくてな。なんというか、お前らをあからさまに見下ろした態度が気に食わん」
イザベラとマーガレットも、ビンセントが乗ってきたリヤカーに腰を下ろしていた。
「ガブッ、モグモグ……おいしいわ、これ!」
「もう少し上品に食べられませんの?」
イザベラは大口を開けて串に齧り付き、マーガレットは串から抜いて皿に移し、そこからフォークで食べている。
キャロラインは立ったまま食べていた。
ビンセントは立ち上がって席を譲ろうとする。
「いいから、いいから。君が座りなよ」
「しかしですね……」
ビンセントがキャロラインに席を譲ろうとするが、彼女はそれを固辞する。
「事情を知らない人の前では男で通したいからね。レディ・ファーストとか、困るんだ」
「なんか、すいません」
そう言われてはどうしようもない。
「おー、大したもんだなー!」
サラも兵士向けの焼台で、タリス軍曹が串を回すのを興味深そうに眺めていた。
「いえいえ、滅相もない。はいどうぞ、殿下」
「おー、ありがとなー!」
サラは口の周りをベタベタにしながら肉にかじりつく。
タリス軍曹が、普段は絶対に見せないような笑顔を向けた。
「おいしー」
「おじさんにも、殿下くらいの娘がいるんすよ」
「そうなのかー? ホモじゃなかったんだー!?」
その場に居た全員が苦笑いしてしまう。
なお、タリス軍曹はごく一部の『そのテの人』から、熱狂的な支持を受けているらしかった。
「……もう、何年も会っていませんがね」
「ふーん。でもさー、会いたいだろー?」
タリス軍曹は頬を緩めながらも遠い目をした。
それでいて串を返す手を緩めることもない。
「そりゃあもう! この戦いが終われば、殿下のために戦った俺は英雄だ。そうなれば、あいつらも肩身の狭い思いをしなくて済む……」
タリス家にも色々事情があるらしい。
ビンセントにも何となく想像がつく。
みんな、同じなのだ。
タリス軍曹は、徴兵義務をとっくに終えた予備役だったという。
大陸戦争勃発に伴って軍に復帰したタリス軍曹は、各戦線を転戦し、鬼神の如き活躍を見せたと聞く。
ビンセントの知る限り、国は志願兵の募集も予備役の復帰も、一度も強制していない。
普段通り、徴兵検査を受けた者の中から抽選で兵士を集めている。
戦時体制ということで選ばれる確率が大きく上がっているが、それだけだ。
しかし、現実には志願者が続出している。
志願しない者には、社会的な制裁が下されるからだ。
ビンセントのように。
悲しい事に、敵は神聖エイプルや連合軍だけではない。
誰も望んで殺し合いなどしたくはない。
しかし、それでもやらなければならない。
「だいじょうぶだよー、わたし、今夜からオルス帝国に行くんだー。戦争、終わらせちゃうもんねー。そうすれば……」
「俺達は神聖エイプルだけを相手に戦える、って訳っすね。頼みますよ!」
二人はにっこりと笑いあった。
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