第145話 ブルース・ビンセントの休日 その三
「そうそう、それで良いんだよ」
「本当? ウソ言ってないでしょうね」
イザベラがキャロラインに教わりながら、厨房に立って料理をしていた。
食欲をそそる、香ばしい香りが茶の間まで漂ってくる。
マーガレットはツン、と興味が無いふりをしながらも、チラチラと視線がイザベラの手元に向いている。
「あの、見せてもらえば良いのでは?」
「…………」
話しかけても返事がない。よほど集中しているようだ。
両親と妹は何やら言いたげだが、構わずに寛いでいる。
サラは相変わらず庭で猫と戯れていた。
「あの、マーガレットさん?」
ハッとしたようにマーガレットはビンセントに振り向いた。
「あら、ごめんあそばせ。明日乗る『サラ・アレクシアⅡ』の話でしたわね。六万トン級の豪華客船で、プールやカジノ、コンサートホールなんかもありますのよ」
「はぁ」
そんな話はしていない。
それに、現在では兵員輸送船として徴用されているので、そういった豪華設備は宛にできないだろう。
厨房からはキャロラインの厳しくも愛のこもった授業が聞こえてくる。
「大丈夫、あまり心配は要らないよ。なにせ、この『カレールウ』を使えば誰でもそれなりに作れちゃうんだから。たとえイザベラでもね」
「……キャロライン。あなた、いつも一言多いのよね」
「ごめんごめん、後は焦がさないように煮詰めるだけだよ」
二人が作っているのは、カレーライス。
これもまた、肉じゃが同様にジョージ王がレシピを開発したと言われている。
しかし、キャロラインの話を聞いてしまった以上、もう実際のところはわからない。
登場から三十年と経たずに、エイプル王国の国民食と言われるほどになっていた。
使われるスパイスをひと纏めにして使いやすくしたカレールウが、その普及を助けている。
カレーソースを乗せるライスも、かつては南方の一部地域で限定的に食べられるのみだったが、急速に生産量が増大した。
若い世代はこれを主食にする者も多いが、中高年は頑なに拒み続けている。
小麦に比べて収穫量が多いのも人気の秘密だが、エイプル王国は稲の栽培には少々寒すぎた。
素朴な疑問だったが、キャロラインがあっさりと答えてくれた。
「これはね、地球から持ち込まれた品種なんだって。寒冷地でも育つように品種改良されたものだとか」
「そうなんですか? 何でもありですね、地球って。この魔法王国よりも魔法の世界ですよ」
思わず呆れてしまう。
寒冷地で育つ稲。空気から作られる火薬と肥料。
エンジンも電気も、地球でははるか昔から実用化されていたという。
そして、一発で都市を廃墟に変える最終兵器。
「一回くらい、行ってみたい?」
「そうですね、興味はあります」
果たしてそれがいかなる世界なのか、確かに興味は尽きない。
しかし、そこから逃げ出した者が多くいる以上、決して楽園ではないのは確かだ。
トイレのドアが開き、カーターが戻ってくる。
じつに満足げな笑顔で、極めて上機嫌だ。
電灯の光を浴びて、歯が光る。
「ハッハッハ! いやあ、さすがオレ様だっ! うんこの色、形、キレも健康そのもの! 自分の健康状態の把握のために、お前らも毎日ちゃんとうんこチェックしろよッ!!」
「…………」
空気が凍り付く。
今作っているのはカレーなのだ。
マーガレットがその場の全員を代表して激怒した。
「不謹慎ですわ! いい加減になさい!」
「なんだ、便秘か!? このビール酵母の錠剤を飲め! 亜鉛の副作用でドバドバになるけどなっ!!」
「な訳ないでしょ!!」
マーガレットが顔を真赤にしてスリッパをカーターに投げつけた。
サラがビンセントの袖を引っ張る。
「ねーねー、ドバドバってなんだー?」
確かに亜鉛は人体に必須のミネラルだが、この場合サラには関係のないことだ。
しかし、サラは曇りのない瞳で、単純に疑問を口にしただけに過ぎない。
「そうですね……『気』的な何かでしょう」
◇ ◇ ◇
やがて、揃って夕食を食べる。
「ねえ、美味しい? 私が作ったのよ、私が!」
イザベラが身を乗り出してきた。
見ていた所、七割くらいはキャロラインがやった気がする。
「ええ、とても美味しいです。ありがとうございます」
カーターの話は忘れる事にして、食べ終わって一息ついた後のこと。
玄関の呼び鈴が鳴る。
ウィンドミルだ。
「お、カレーですか。いいなぁ」
チラチラとこちらを見るが、残念ながらもう残っていない。
「……わかってますよ、ええ、わかってます……」
とても寂しそうだ。
「ま、生きてればいいことあるよー」
サラが優しくウィンドミルの頭を撫でるが、その表情は晴れない。
聞いたところによると、奥さんが実家に帰ってしまったらしい。
気を取り直したのか、ウィンドミルは続けた。
「皆さん、明日の出港前ですが、何か予定はありますか? 王都奪還部隊の集合が進んでおりますので、サラ様を連れてぜひ慰問に来ていただければ、と」
ウィンドミルの話によると、ムーサ領主のワイルド伯爵の屋敷に王都奪還のための精鋭部隊を集めているという。
指揮官となる貴族の士官九十九名はすでに集合を完了。
これにカーターを加え計百名。
一個大隊を編成し、兵士六百名を指揮して王城を急襲するという。
この件はカーターからも一応は聞いているが、詳細は機密らしく話してはくれなかった。
「貴族が多いな?」
カーターの疑問ももっともだ。
この規模であれば、通常は将校、下士官を合わせて七十名ほどがエイプル軍の標準的な編成である。
ウィンドミルは申し訳なさそうに頭を掻く。
「情けないことですが……政治的な理由でして。王城奪還などという、これ以上ない『イベント』に志願者が殺到しまして」
名を挙げる絶好の機会、というわけだ。
「しかも、その殆どがろくな経験もない若造ときたか?」
「おっしゃる通りです、ボールドウィン閣下」
「ケッ! 気に入らねぇ。そんで手柄はテメェの物かよ!?」
「お怒りはごもっともです。しかし、その浮ついた若者を叱咤激励いただくのも、平民から大貴族になった閣下のお仕事のうちかと」
「なりたくてなった訳じゃねぇけどよ。金が必要だったからな」
侯爵とはいえカーターは領地や金融資産を持っていないので、軍から渡される給料だけが収入の全てだ。
兵卒の頃から給料の大半を育った孤児院に送金していた。
孤児院の運営は苦しいと聞く。
フルメントム教会は責任者のバートン神父が従軍神父として出征し、今は実質的にエミリーが取り仕切っている。
エドガー、グレン、サム、ローラも、まだまだ手のかかる年頃だ。
生活費や学費を、寄付とエミリーのアルバイトだけで賄うのは苦しいだろう。
「実際の主力は平民の兵士となるでしょう。各地から精鋭を集めております。そう、あなたがいたブケート守備隊から引き抜いた部隊も。彼らも屋敷に到着していますよ」
「ほう。知った顔に会えるかもな?」
「ヨーク少尉とその部下も来ています」
「ほほう?」
カーターが身を乗り出す。
何やら興味が湧いたらしい。
なお、今後到着する収容しきれない兵士は、ムーサ市内の宿や民家に分散して泊まる予定だという。
「マイオリスも指導者層は貴族ですが、実働部隊は平民ばかりです。銃は魔法より強し、ですよ」
カーターは腕を組む。
「タリスのおっさんとは腕相撲の決着がまだだしな! オレはいいけど、サラさんどうするよ?」
「ハットンがいるなら行かなーい」
サラはぷう、と頬を膨らませる。
一介の兵士が自国の王女にここまで嫌われるのも、そうそう無いことだろう。
確かにサラをハットンに近付けるのはよろしくない。
漢ハットン上等兵、生えた女に興味なし。よくクビにならないものである。
ウィンドミルはイザベラに話を振った。
「イザベラ様はいかがですか? 指揮官はチェンバレン中佐です」
「ハァ!? 大事な仕事なのに何遊んでるのよ、お兄様は! これはちょっとキツく言っておかないと家の恥だわ、恥!」
どうやら行く気になったらしい。
マーガレットは口許に手を当てて嬉しそうだ。
「おほほ、スティーブが不祥事を起こして更迭される光景、ぜひ見たいですわ。オホホホホ!」
「なんですって!?」
取っ組み合いが始まる。
イザベラはここ数日、プロレスに熱中しているらしい。
プロレスは格闘技というより、格闘を題材にしたエンターテインメント・ショーだと言っても過言ではない。
「あっ……や……やめ……あぁっ……」
イザベラが卍固めでマーガレットを責め立てると、聞いているぶんにはなぜか艶っぽく聞こえる喘ぎ声が響いた。
結論を言えば、二人とも行くらしい。
あえて二人を無視するかのように、キャロラインが聞いてくる。
「ブルース君、君はどうする?」
「そうですね、俺も行きます。ヨーク少尉とか、タリス軍曹とか、顔を見たいですから」
「じゃあ僕も」
キャロラインも参加だ。
「……………………」
サラがますます頬を膨らませた。
顔が真っ赤になり、全身が小刻みに震えている。
お留守番が気に入らないのだろうか。
「わ、わたしも行くもんねー! お、おまえら放っておいたら、何しでかすかわからないからなー!」
情けないことだが、全くもって同意せざるを得ない。
特にカーターは危険だ。
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