第144話 ブルース・ビンセントの休日 その二

 昼頃。

 キャロラインは窓際の椅子に腰掛けると、パラパラと本をめくりはじめた。

 時折ニヤついたり、目を丸くしたりしている。


「何を読んでいるんです?」


「料理のレシピ本があったからね。借りてるよ」


「意外ですね」


 キャロラインは本を閉じると立ち上がった。


「僕もあんまり大したものは出来ないけど。本を見てたらお腹減っちゃった。厨房借りてもいいかい?」


「ご自由にどうぞ。しかし、お貴族様が料理ですか?」


「ジョージ王もよく料理をしていたそうだよ。もっとも、元々身分が低かったのと、毒殺を恐れてってのが大きいみたいだね」


「世知辛いですね……」


 キャロラインは厨房に入ると、やがてトントンと包丁の音がリズムよく響き出す。

 炒めるような音、煮込むような音。

 かなり手慣れているようだった。

 やがて、とても食欲をそそる匂いが漂ってくる。


 三十分ほど経った頃だ。


「お待たせ。一緒に食べようよ」


「ありがとうございます。いただきます」


 とても良い匂いがする。思わず生唾を飲み込んだ。

 肉とタマネギ、ニンジン、ジャガイモを煮込んだものだ。

『肉じゃが』という名前だが、これもまたジョージ王がレシピを開発したという。

 実際にはわからないが、一般にはそう信じられている。


 トレイを即席のテーブルに置くと、キャロラインはスプーンで肉じゃがを掬い、ビンセントに突きつけてきた。


「はい、あーん」


 絶妙に首を傾けた見上げる視線に、思わず赤面してしまう。


「ひ、一人で食えますよ」


「えいっ」


「ムガ……」


 昆布から出汁を取り、砂糖と酒で味を整えた肉じゃがは、母が子供の頃いつも作ってくれたのとほとんど同じだ。


「すごく……美味しいです」


「正直に言っても良いんだよ? 僕は、君のお母さんほど上手には作れないからね」


「いえ、素直に美味しいですよ。なんというか、とても懐かしい味で、安らぐというか……」


「そう、よかった。今は何よりも体力を付けるべきだよ、君は」


 キャロラインはスプーンを置くと、窓際に腰掛けて自分の分を食べはじめる。

 やがておもむろに手をかざすと、小鳥が飛んできて手のひらに降り立った。

 小鳥はイモか何かをついばんでいるようだ。

 小鳥に視線を向けたまま、キャロラインは聞いてきた。


「ねえ、もしも……もしもだよ。新しい世界で、人生をやり直せるとしたら……どうする?」


 リーチェが吹き飛んだ時、暗い地下のトンネルで同じ話をした事を思い出す。

 あの時、カークマンは躊躇なく答えた。

 スコット・カークマンが良い、と。

 しかし、ビンセントは答えることができなかったのだ。

 今なら答えられる。


「俺も、カークマンと同じ意見です。悲しいことも、苦しいことも、理不尽なこともたくさんありましたけど……それでも、俺はブルース・ビンセントが良いです」


「君は平民だ。社会の底辺で、遅かれ早かれ再び戦いに駆り出される。使い捨ての消耗品だよ。…………それでもかい?」


「…………それでも、です」


 旅の終わりに、失っていた意識を取り戻した時、最初に目にしたのは妹と両親だった。

 父親のトニー、母親のモニカ、妹のレベッカ。

 この三人こそが、ビンセントが戦う真の理由だったのだ。

 これは、欺瞞でも自己暗示でもない。

 素直な心から、そう思った。


「タニグチも、そう思えるようなら良かったんだけど。彼は故郷を捨てて、新しい世界でやり直したかった。でも、やっぱり上手く行かなかったんだ」


「…………」


「周りの環境もあるだろうね。地球では、彼を理解しようとする人は居なかった。それでも彼が天才なのは間違いないよ。ジェフリーと出会ってしまったのがいけなかった」


「…………」


「タニグチが『原子爆弾』を完成させるまでには、まだいくらかの猶予がある。その前に、何とかしなければならない」


 原子爆弾。たった一発で都市を完全に破壊し、汚染によって死の世界を作り出す最終兵器。

 全く想像もつかないが、使われればこの家も破壊されるという。

 父も、祖父も、そのまた祖父も。

 ビンセント家は、古くからこの家で商売を営んでいた。


「…………」


 薪屋の前はなぜか鍛冶屋で、その前はなぜか小麦の卸売をしていたという。

 まるで一貫性がない。

 経営が向いていないのだろうか。


「しかし、いったいどうすれば……仮に皇帝が和議に応じたとして、そこから先はエイプルの国内問題です。帝国軍は宛にできませんよ」


 キャロラインの面はすでに割れている。

 再び潜入して、タニグチをどうにかすることは難しいだろう。


「…………わからない。でも……君と一緒なら、きっと何とかなる。根拠なんて無いけど、そう思うんだ。いや――」


 キャロラインは目を細めた。


「……そう、思いたいんだ。スコットが君を信じたように、僕も君を信じたい」


「買いかぶりすぎですよ。俺は、ただの平民です」


「でもほら、私が居るじゃない? 火属性魔法のエキスパートよ、これでもね」


 声のした方に視線を向けると、イザベラが肉じゃがを美味そうに食べていた。

 お下品にも、鍋を抱えてそこから直接すすっている。


「イザベラさん……」


「うん、これは美味しいわ。悔しいくらい。私だってね、お料理勉強してるんだから。このくらいすぐよ、すぐ!」


 イザベラは悔しそうな顔をしつつも、スプーンを持つ手が止まることはない。

 キャロラインは軽く溜息をついた。


「太るよ……また」


「だって、これをお義父様とお義母様が食べて『キャロラインさんがウチの嫁に来てくれたら良いのに』とか言ったら困るもん! なにこれ美味しい、腹立つわ! いい加減になさいよ!」



 ◆ ◆ ◆



「おっちゃん! とりあえずビールッ!!」


「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」


 ビンセント薪店の向かいには『琥珀亭』という喫茶店がある。

 夜間はバーとして営業しており、町の人々の憩いの場になっていた。

 カーターは以前ビンセント家に遊びに来たことがあり、その時もこの店に来ている。


「よーし! じゃあいつもの席は……なんだ埋まっているのか!」


 カーターはやむを得ず店内中央のテーブルに掛けた。


「…………?」


 いつも座る窓際の席に、身なりの良い男が掛けている。

 カーターを見ないようにしているのかのように、窓の外を凝視していた。

 帽子を目深に被り、顔は見えない。

 やがてバーテンがアイスコーヒーをトレイに乗せて男の元へと持っていく。


「お待たせしました。それからこれを。向かいの薪屋さんからです」


 バーテンが取り出したのは、サングラスであった。

 ハート型のレンズに、ピンクのツル。ヒマワリのアクセントまでついていた。


「ハッハッハ! あんた、随分イカしたサングラスをもらったな!」


「…………」


 男は何も答えない。

 カーターは面白がって男の座るボックス席に移った。

 男は、顔を伏せると帽子のつばをさらに引き下げる。


「きっと似合うぜ! こういうのはな、何を付けるかじゃねぇ。誰が付けるかだ! アンタなら使いこなせるだろうぜ!」


「…………」


 男は黙って顔を伏せたままだ。

 額に汗が浮かんでいた。


「恥ずかしがることァない! 絶対カッコイイからよ! どれ……」


 カーターはテーブルの上のサングラスを手に取り、男の顔にかけようとした。


「よ、よせっ!」


 どこかで聞いた声にそっくりだ。


「アンタ、オレの知り合いにそっくりだ! 世の中には似た人も居るもんだぜ! ハッハッハ!」


「…………」


 男は目を合わせようとしない。

 極度の人見知りらしかった。

 決して恥ずかしがるような顔ではない。女性にもモテる事だろう。


「明日は久しぶりにチェンバレン中佐に会うからな! アンタ、会ってみないか? あまりのそっくりさに、きっとビックリするぜ!?」


「いや、いい」


 男はテーブルの上に銀貨を置くと、そそくさと出口へ向かった。


「そうか、残念だ! またどこかで会おうぜ! ハッハッハ!」


「!」


 しかし、男がドアを開けようとするが、外から入ろうとした客が先に開いた。

 空けたのは、マーガレットだ。


「…………スティーブ? なぜあなたがここに居ますの?」


 どうやらマーガレットは、男をチェンバレン中佐と勘違いしているらしい。

 ここは誤解を解いておくのが親切というものだろう。


「ハッハッハ、マーガなんとか、こんな所にチェンバレン中佐が居るわけがないだろう! 安酒を飲んで二日酔いになったらどうだ」


「本人ですわ。どう見ても。……ちょ、ちょっと!」


 男は全速力で走り去った。

 女性と話すことも出来ないとは、ずいぶん内気な男であった。

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