第142話 戦いのかたち
「――つまり、ジェフリーはエリックをこの国の王にし、そこで最終兵器を使って国ごと吹き飛ばそうとしているのです」
キャロラインの話は想像を遥かに超えるものだった。
それならば確かにエリックを葬りされる上に、一度玉座に上げてからというのだから、復讐としては極めて効果的だ。
じつに陰惨である。
「なるほどなー、たしかにイカれてるなー」
サラは腕組みをして何か考えているようだが、やがて部屋の隅にある木箱の蓋を開けた。
木箱は工具類を収めるもので、倉庫に同様のものがたくさんあるので気にも留めなかったものだ。
驚くべき中身に、ビンセントは息を呑んだ。
「これは……電話ですか!? なぜ、こんなものが俺の家に……」
国の施設か、貴族の中でも特に裕福な者の家にしか電話は敷設されていない。
その上、月々の基本料に加え、十分で労働者の日当が吹き飛ぶ通話料がかかるのだ。
何でもない事のようにサラは言う。
「ニコラスが言ってた『協力者』って、トニーだからなー」
「お、親父が……?」
「……もしもしー? わたしー。……そーなんだー、ちょうどよかったなー。うん、うん。……ごはんー? 食べてるよー。……だいじょうぶだよー、お菓子ばっかり食べてないもんねー。……にしし、そんなんじゃないよー……」
父のトニー・ビンセントは、どこからどう見てもただの薪屋のおじさんである。
実の息子から見ても、その点は疑いがない。
「私が推したのよ! もうビンセント家の者は一族郎党、誰一人チェンバレンから逃れられないわ!」
イザベラは鼻息も荒く、胸を張って得意気だ。
「な、何ということを……!」
余計なことをしてくれた。
平民相手にやりたい放題である。
これは極めて危険なギャンブルだ。
もしもエリックが玉座に留まった場合、ビンセント家は前体制に協力したとして粛清の対象になる。
「同じよ。その最終兵器が使われれば、もうエイプル王国自体、消滅だもの」
「そ、それはそうですが!」
その情報を手に入れたのは、たった今のはずだ。
イザベラは首を傾げた。
「ねぇ、誰もブルースに言ってないの? 今度パパとママが娘をよろしく、って挨拶に来るのよ」
「そ、そんなっ……!!」
「なんですって!?」
マーガレットも目をひん剥いていた。
もちろん何も聞いていない。
全てはビンセントの頭越しに決められたことである。
「…………」
常軌を逸した言動に思えるが、ジョージ王登場以前の王侯貴族は政略結婚が当然であった。
そして、そのために国家間での複雑な同盟関係が結ばれ、いつの間にか中央大陸はオルス帝国を盟主とする『同盟国』と、ピネプル共和国を盟主とする『連合国』に二分されていたのだ。
ジョージ王の暗殺をきっかけに、歴史上最大の戦い、大陸戦争は勃発する事になる。
マーガレットはイザベラの襟を掴む。
「あなたねえ! 人の都合も気持ちも聞かずに、何やってますの!」
「あのねえ、正統政府は『物語』を欲しがっているの。それも、劇的な。ブルースはただの平民、一介の兵隊さんよ。はっきり言ってこの国では底辺も底辺なの」
「…………」
けっこうな言われようである。
「そのド底辺がよ? 王女であるサラ様を守って勇敢に戦い抜き、私みたいな貴族の娘を娶ったともなれば! 一体どれだけの平民が感激して正統政府を支持するかわからないわ! 希望という名の餌ね、これ以上無いプロパガンダ! 踊れ愚民ども! ふひひひひ!」
マーガレットを論破したためか、イザベラは余裕の表情だ。口許から涎が垂れた。
「べ、べつに伯爵家ならウィンターソン家でもよろしいのではなくて!?」
「ケケケ、残念ながら手遅れね! もう、私の意思ではどうにもならないわ! 文句があるなら正当政府に言ってちょうだい! 正当政府に!」
キャロラインが呆れた表情で俯いた。
「その辺はともかく、この店もギリギリ被害範囲に入ってるよ。どっちにしろマイオリスを倒さないと、この国はおしまいだ」
その場の全員が黙る。
何やら長話をしていたサラの声だけが聞こえていたが、やがて受話器を置いた。
「なんかねー、ウィンドミルこっちに来るんだってー。予定だと朝には来てるはずなんだけどなー。何かあったのかなー?」
◇ ◇ ◇
程なくして、一台の自転車が店の前に停まった。
乗っていたのは、何とウィンドミルだ。
「いやあ、王都からここまで半日もかかってしまいました。いえね? 領主の館に寄った後、ビリデ山の公園で休憩しようと思ったんですよ。でもうっかり寝ていたなんて、そんなマヌケなことはしません」
誰もそんな事は聞いていなかった。
ちなみに汽車だと一時間ほどである。
ウィンドミルの風貌は明らかにやつれていた。
「汽車が完全運休でしてね、遅くなりました」
「電話したらもう出たっていうからさー。えらいぞー。ちゃんと来られたなー」
サラはウィンドミルの頭を撫でた。チョコレートの付いた手だが、あえてそれを言う必要はない。
「さて……事態は思ったよりも深刻なのです。まず、ジェシー・ロイ新首相が粛清されました」
「は?」
ジェシー・ロイ。クーデターで失脚したニコラス・ケラー首相の後任として、総理大臣の座にあるはずである。
事実上の最高権力者だが、その評判は悪く、オルス帝国の参戦までも招いてしまった。
「それどころか、エリック・フィッツジェラルドが……」
ウィンドミルは拳を強く握りしめた。
拳はプルプルと震え、顔を真っ赤にして額には青筋が浮かんでいる。
何事も仕事と割り切り、事務的に全てを進めるウィンドミルにしては異例である。
彼はそのまま拳をテーブルに振り下ろした。
「あの裏切り者が! 自ら王を名乗り、『神聖エイプル王国』の成立を宣言したのです!!」
「は?」
それは、恐れていた最悪の事態である。
エイプルの分裂を意味していた。
「明日の新聞には宣言の要旨が載るでしょう。王都の貴族も次々と恭順の意思を示しています。そのため、予定していた作戦も変更を余儀なくされました」
「承認した国はあるのかー?」
サラの問いにウィンドミルはかぶりを振る。
「現在、各国に使者を送り出す準備中です。外務省の官僚が牛歩戦術で時間稼ぎをしてくれていますが、いつまで持つか……。一国でも承認すれば、エイプル王国に後はありません」
事態は思った以上に緊迫している。
「殿下にお願いがございます」
「おー、この際だ、何でも言ってみろー?」
「オルス帝国に向かい、帝国との和議を! 現在、帝国とピネプル共和国の間で休戦協定が協議中です。そこに割り込み、救援を求めるしかありません!」
「タダじゃ誰も相手にしてくれないぞー」
ウィンドミルは鞄に手をいれると、何やら見たことのない物を取り出した。
直径十二センチほどの白い円盤で、中央には穴が開いている。
反対側は青く乱反射する、不思議な素材でできていた。
全体はガラスに似たケースで覆われている。
「ジョージ王の遺産です。これを渡せば、皇帝も考えてくれるでしょう」
「ふーん?」
サラは新しい肩がけのポーチに円盤を収めた。
もちろんただの円盤ではないだろう。
地球の技術で作られた何かだ。そして、それには大国を動かす価値がある。
「これかー? モニカが作ってくれたんだよー。かわいいだろー」
ポーチのアッシュグレーの生地は、どこかで見たことがある。
ビンセントが着ていた軍の制服だ。
医者に切られてしまったため使えなくなったが、汚れていない部分を再利用したようだ。
襟元に使われていた赤い布で、太陽やチューリップのアップリケが付けられていた。
「それはそうと、どうやって帝都に向かうんだよー。リーチェ近辺は近づけないぞー?」
ウィンドミルは不敵な笑みを浮かべる。
「こんなこともあろうかと、予備プランとして『サラ・アレクシア号』を呼び寄せておきました」
「おー、わたしの船呼んだのかー? いつ行くんだー?」
さすが王家らしく、船を持っているらしい。
「明後日にはムーサ港に到着するかと。制海権は連合軍側ですが、停戦の協議中ということもあり、辿り着ける可能性は高いでしょう」
ウィンドミルはビンセントたちに恭しく頭を下げた。
「皆様におかれましては、引き続き殿下の護衛をお願いできれば、と」
ビンセントとしても異論はない。
しかし、思いもよらない方向から横やりが入った。
本当に予想外だったのだ。
「サラ様を……一人の孤児として、私たち夫婦が引き取る……というのではいけませんか?」
茶の間の入口に立っていたのは、母のモニカだった。
「それは……いったいどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味です。サラ様は、まだ子供なんですよ!」
母はウィンドミルに詰め寄った。
背中が震えている。
「こんな小さな子に危険なことをやらせて、情けなくないのですか! 私たち大人がいがみ合いばかりしていては、必ずや心に消えない傷を残してしまいます!」
母も当然平民であり、貴族に意見できる立場ではない。
本来であれば止めるべきだろう。
しかしビンセントは躊躇した。内心、自分でも同じことを思っていたのだ。
母はサラのもとへ行くと、目を丸くしているサラを抱きしめる。
「サラ様は王女である前に、一人の人間の女の子なんです。ご両親を亡くし、家を追われた子供なんです。親の愛が必要だと……思いませんか?」
「し、しかしですね」
狼狽えるウィンドミルを無視して、母はサラに語りかけた。
「ね? サラ様。私たちの子供になりましょう? ずっと一緒にご飯食べて、お風呂に入って。学校に行って、お友達も作りましょう。そりゃあ……お城に比べれば質素な暮らしだけど」
「モニカー」
サラも母の首に手を回し、胸に頬をこすり付けた。
「うん。ありがとなー。わたしも、それが一番いいなー」
「ね? そうしましょう?」
「でもなー」
サラは母から離れると、その頭を愛おしそうに撫でた。
今までに見たことのない、穏やかな笑顔だった。
誰も口を挟める者は居なかった。
「最終兵器つかわれちゃったら、その夢もオシマイなんだー。それにやっぱり、わたしは王女だからなー」
母の目尻が震えだし、大粒の涙が一筋だけこぼれ落ちた。
「か、母さ――」
思わず手を伸ばす。
しかし母は、それを払いのけるかのような真っすぐな視線を返してきた。
「ブルースっ!!」
「う、うん」
「あなたが、サラ様を守りなさい! 何があっても、誇りを持って、最後の最後まで、命を懸けて戦いなさい! …………いいわね?」
やはり母は強かった。
思わず笑みがこぼれる。
「ああ、……任せてよ。バッチリだ」
親の言いつけは、守らなければならない。
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