第139話 密室
キャロラインは途方にくれていた。
エリックですら見破れなかった双子の入れ替わりを、あっさりと見抜く男が居たとは驚きだ。
あるいは、ジェフリーから入れ替わりのことを聞いていたのかもしれない。
とりあえず部屋の明かりを点けてみる。
本当に何もない空き部屋だ。
地下室なので窓もない。
「…………」
途方にくれていると、やがてドアがノックされた。
「やあ、姉さん。居心地はどう?」
ドア越しに響いたのは、よく知っている、そして久しぶりに聞く声だった。
「……ジェフリーだね。バカなことはやめようよ」
「バカなこと?」
ドア越しで見えないが、口調から嘲笑が伺えた。
「姉さんにはわからないよ。大切なひとを失うってことが、どんなことなのか」
「わかるよっ!! 誰よりもわかってるよっ!!」
キャロラインはドアを思い切り叩く。
いつの間にか涙が流れていた。
「ジェフリー! 君は知っているのかい!? スコットが、スコットが――」
死んだ、という言葉を使うのを躊躇した。
「聞いたよ。……亡くなったんだってね」
「――――!」
「僕だって、寂しいよ。姉さんは聞いてる? スコットを殺したオルスの飛行機。あれ、エリックを狙ってた、って噂もあるんだ」
たった一人の人間を殺すために爆撃機を送り込む。
そんな事があるだろうか。
にわかには信じがたい。たとえエリックであったとしても。
「だからって!」
「いずれにせよ、エリックを放置する訳にはいかない。大丈夫だよ、タニグチの最終兵器を使う前に、姉さんだけは助けてあげる。それまで、大人しくしていてよ」
「ジェフリー!」
キャロラインはドアを叩くが、足音は遠ざかっていくばかり。
再び、沈黙が訪れた。
「…………」
床は継ぎ目のないリノリウム。
天井を見上げる。格子状のシュラウドが一つ。
王城は、エイプル王国で唯一冷暖房が完備されている。
ジョージ王の遺産、と一般的に言われているが、実際はわからない。
「……空調のダクト、ねえ」
思いついた事は、まるで映画だ。
映画は庶民の娯楽として人気があり、カークマンもよく行っていた。
キャロラインもかつて一度だけ付いて行ったことがある。
その時観た作品はひどく難解で、それでいて上映時間も長かった。
途中で寝てしまったので終了後の会話のネタに困ると思ったが、カークマン本人もやっぱり寝ていたのだ。
今にして思えば、難しめの作品を観ている賢い人です、というアピールだったのかもしれない。
ビンセントとともに閉じ込められた地下道でも、暇つぶしに映画の話をしていたのを思い出す。
しかし、語られる作品は低俗な娯楽作だったし、何よりもキャロラインは彼らと違って甘々なラブロマンスが好きなのだった。
当然噛み合わない。
「…………」
キャロラインは女性としてはそれなりでも、やはり男性と比べて背が低い。
どうやっても手が届かないのだ。
踏み台になりそうなものも、当然無い。
「何かないか、何か……」
ポケットを探るが、大したものは入っていない。
男性はあまり鞄を持ち歩かないと思っているので、鞄の中身はほとんどポケットに入れてあった。
少しだらしないと思ってはいたが、体型をごまかせるというのもある。
財布。ハンカチ。ティッシュ。コンパクトミラー。チューブ入りハンドクリーム。リップクリーム。ソーイングセット。ミント味のタブレット菓子。絆創膏。香水の小瓶。爪やすり。クレンジング。万年筆。時計。頭痛薬。ヘアピン。例のあれ。
「……ろくなものがないな。いや、これだ」
腰のベルトを引き抜くと、ダクトにバックルを引っ掛けるべく、何度も何度も放り投げる。
「……よし」
やっと引っかかる。
時計を見ると、なんと三十分近くも経っていた。
全身が汗だくだ。
「よっ……と」
ダクトの口は、格子状のシュラウドで覆われている。
四方を留めたネジを、爪やすりを使って少しずつ回していく。
「つつ……」
落ちるのも何度目かわからない。
さすがにくたびれてくる。
「よし、外れた!」
大きな音を立ててシュラウドが落下する。
同時に落下し、尻餅をつきながらキャロラインは天井を見上げた。
すでに二時間ほど経っていた。
今度はダクト開口部の端に三十分かけてベルトを引っ掛け、覗き込んでみる。
「そんな――」
ダクト内部は、前後とも頑丈な鉄格子で完全に分断されていた。
加えて、その奥はいくつものダンパーで仕切られている。
非常時には遠隔操作または手動で閉鎖できるようだった。
中を通って移動など、できそうにない。
当然だ。ここはエイプル王国の中枢、そんな杜撰なセキュリティ・ホールなどある訳がない。
「――――」
キャロラインは力なく座り込む。
全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
「!?」
何の前触れもなく、扉が開いた。
「ドリス……? なぜここに?」
ドリス・ノーサム。
キャロラインの『元・恋人』。ただし、ドリスはキャロラインの事をジェフリーだと思っているはずだ。
ドリスは無言でドアを後ろ手に閉めると、キャロラインに詰め寄った。
顔は赤くなり、唇は震え、額には青筋が浮かんでいる。
「あの……ドリス?」
「ヴァッッッカじゃないの!? 何やってるのよ、もう!!」
「いやあ、色々あってね――」
無言でドリスはキャロラインを抱きしめた。
完全に不意打ちだ。
「逃げて。殺されちゃう。あなたとは別れたはずだけど、さすがに死なれちゃ後味が悪いわ」
「……いいのかい?」
「ふん! あなたが目障りなだけよ」
ドリスは人差し指でキャロラインの額を突いた。
「あなたなんかねぇ、エリックの足元にも及ばないんだから! せいぜい隠れて大人しくしていることね! こっちよ!」
ドリスに手を引かれ、部屋の外へ。
すでに遅い時刻なので、廊下に人通りはない。
階段を登り、地上へ。警備の衛兵とすれ違うが、彼は不思議と目を逸らす。
舌打ちの音が聞こえた。
おそらく、新しい城の主が気に入らないのだろう。
裏門の警備を担当する衛兵も同様だった。
二人を見ていながら、見ないふりをする。
あっさりと外へ出た。
近くの路地に駆け込み、一息つく。
「あ、ありがとう、ドリス」
ドリスはプイ、と顔を逸らす。
こちらの顔を見ないままで、呟くように言った。
「もうすぐ、エリックがこの国の王様になるわ。クーデターを起こしたマイオリスは、そのための団体……いえ、団体ってのも変ね。全員エリックの妻になるから」
「……ドリス、君もかい?」
ドリスはキャロラインに向き直る。
その目には、涙が光っていた。
「だって……だって仕方がないじゃない! あなたは……あなたは女の子なんだもの!」
「……知っていたのか」
「そうよ。でも勘違いしないで。あなたが嫌いになった訳じゃないの」
「エリックが望んだから?」
ドリスは目を伏せた。
「サザーランド教授が実際の計画を作ったわ。あの人、エリックをカトー様の生まれ変わりだと思ってる」
確かにロッドフォード家の古い記録によれば、該当する記述があった。
英雄カトー様は魔神ヤマダと相打ちになり、神々の住む世界『チキュー』へと消えた。
少なくとも伝説ではそうなっているが、記述の内容はロッドフォード家の先祖が関与しているとも取れた。
この事は王家を含め、完全に門外不出である。
「君もそう思う?」
ドリスは答えなかった。
一瞬口を開いて何かを言いかけたが、再び背を向ける。
「早く行って。エイプルを出て、二度と戻らないで」
彼女は再び視線を下げると、キャロラインに背を向けた。
「ドリス。……ありがとう。でも、君は……君は本当に、それでいいのかい? 幸せになれるのかい?」
「関係ないでしょ。さよなら、ジェフリー……いいえ、キャロライン」
ドリスの声は震えていた。
「ごめん」
キャロラインは暗闇が支配する路地の、更に奥へと駆け込む。
今成すべきことは、一刻も早くムーサに向かうこと。
最終兵器の情報をサラに伝えなければならない。
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