第138話 影の功労者

「あ、あの……」


 イザベラはビンセントの額に自分の額を付けてきた。

 顔が近い。極めて近い。


「うん。熱は下がったみたいね」


 別の意味で熱が出そうである。


「先生に診てもらおう。乗って、乗って!」


 イザベラはリヤカーの荷台を叩いた。


「いりませんよ、杖があれば歩けます。……ゆっくりなら」


「えぇー? つまんない」


 とても残念そうである。


「…………」


 おそらく、サラはすでに魔法を使える程には回復しているはずだ。

 しかし、元々回復魔法は術者への負担が大きい。

 体調が万全であったとしても使えるのはせいぜい一日に三回。

 加えて、三回目を使えばしばらく寝込んでしまう。

 そうそう気軽に頼めるものではない。


 それだけではない。

 おそらくサラは、ビンセントを回復させることで、再び戦いに赴く事を嫌がっているのだ。

 そう簡単に回復魔法を使ってはくれないだろう。

 とても優しいお子様である。

 しかし、それゆえに歯がゆい。


「でもでもでも! 肩を貸すくらい良いでしょ?」


「いやまあ、その。……はい」


「やったーっ!」


 諸手を挙げて喜んでいる。そこまで喜ぶ事だろうか。

 イザベラに肩を貸してもらい、病院へ向かう。

 とても目立っているような気がしてならない。

 雑貨店の前で二人は立ち止まった。


「ねえねえ、これ、ブルースに似合うんじゃない?」


「いえ、全然」


 イザベラが指差したのは、レンズ部分がハート型、ツルがピンクのセルロイドという、とんでもないサングラスであった。

 レンズの左右にはヒマワリ型の飾りが付いている。


 これが似合う人間など、存在しない。


「でしょうね。言ってみただけ。でも、きっとお兄様なら似合うわね。買っちゃおーっと」


「やめましょう」


 これが似合う人間など、存在しない。


 イザベラは結局買ってしまった。


「あなたにはサングラスはいらないわ。あなたの目、見えなくなるもの」


「…………」


「お兄様には所詮このダサいのがお似合いよ。コソコソしなくていいのに」


 どことなく不機嫌そうだ。


 ◇ ◇ ◇



「私、夕食の買い物済ませてくるね。待合室で待ってて。一人で帰っちゃ、嫌よ」


 ビンセントを病院に送ると、イザベラは買い物に出かけた。

 待合室は割と空いており、順番はすぐに来る。


 医者が言うには、経過は良好である、とのこと。


「しかしブルース君、君も大した男だね」


「は?」


「いや、なんでもないよ。次だ」


 どうも腑に落ちないが、空いているとはいえ患者はまだまだたくさんいる。

 先生は忙しそうに次の患者の診察に移った。


 待合室で支払いの順番を待っていると、不意に声をかけられた。


「……ブルース?」


「……久しぶり……アナ」


 アナは大きなリュックサックを背負っていた。

 年月を経ても、彼女の美しさは変わらない。

 相変わらず、優しい笑顔をビンセントに向ける。


「アナはなぜここに?」


「私はね――」


 アナは軽く下を向き、自分のお腹を軽く撫でた。

 その目は傍目から見ても、誰より慈しみに満ちている。


「……二人目」


 ビンセントの胸に、こみ上げてくるものがあった。

 何のために戦ったのか?

 彼女の幸福を守りたかった。

 少なくとも、自分自身にはそう言い聞かせた。

 その実態が、同調圧力に屈して志願させられた地獄であったとしても。


 長く辛い塹壕での生活。

 無意味な、全くもって無意味な、怒号のための怒号。

 穴掘りのための穴掘り。

 暴力のための暴力。

 戦いのための戦い。

 決して無意味ではなかった。

 アナが居たからだ。

 たとえそれが、欺瞞であったとしても。


 だから、一言だけ。


「元気な子だといいね」


 アナは、満面の笑みを浮かべた。

 心の底から幸福そうな笑顔であった。


「…………」


 その笑顔が苦しい。

 彼女は知っているのだろうか。夫のアダムズが死んだことを。

 軍人の妻として気丈に振る舞っているのか、あるいはまだ知らないのか。


「ボロボロね」


「侯爵様とやりあってね」


「うふふ」


 アナは可笑しそうに口許を抑えた。

 冗談にしか聞こえないが、事実である。


「名誉の負傷ね。でも、生きていてくれて良かった。心配してたんだよ」


「…………ありがとう」


 アナの目を見られない。

 きっと、何も知らないのだ。

 いずれ戦死公報が届くだろう。今日か。明日か。明後日か。

 全ては事務方の都合次第だが、アナと子供がどんな顔をするのかと思うと、胸が締め付けられそうになる。


「ブルース・ビンセントさん」


「はい」


 名前を呼ばれ、カウンターへ。支払いを済ませる。

 ベンチに戻ると、アナは深々と頭を下げた。


「ブルース、ありがとう。なんてお礼をしたらいいのか……」


「え?」


 なんの心当たりも無い。

 アナと最後に会ったのは、出征の時。

 駅まで見送りに来てくれたのが最後だ。


「アダムズのこと」


「…………」


 やはり、知っていたらしい。

 掛ける言葉が見当たらなかった。

 最後まで勇敢に戦いました、的な事を言っても、何の慰めにもならない。

 アナは首を傾げる。


「彼を助けてくれて」


「えっ? アナ、それは……いったい?」


「えっ? あなたじゃないの?」


 会話がまるで噛み合わない。


「とにかく、会ってあげて」


「???」


 アナに手を引かれ、病室へ。


「!!」


 ベッドに横たわっているのは、全身に包帯を巻かれ、点滴を受けるアダムズであった。

 眠っていはいるが、胸が規則的に上下し、呼吸しているのが伺える。


「あなたが助けたって聞いたんだけど……」


 全く心当たりがない。

 助けようとした、の間違いではないだろうか。


「違うの? お馬さんが勝手に人助けをするなんて、あり得ないじゃない?」


「馬?」


「あなたの馬でしょ?」


「は?」


 アナが言うには、ここの医師の元に無人の馬が現れて、酷く興奮した様子で乗るように促したという。

 仕方なく馬に乗ると勝手に走り出し、ブケートへ続く峠に連れて行かれた。

 そこで、アダムズを始め十数人の負傷兵を発見したのだという。


「もう少し発見が遅れれば、助からなかったそうよ。亡くなった人も、たくさん居たって……」


「…………」


 もしかしたら、あり得るかもしれない。

 エクスペンダブル号は、馬にしては変な所がある。

 しかし、そこら辺はあまり気にしないほうが良いだろう。


「これ、お馬さんにあげてね。本当は後であなたの家に行くつもりだったのよ」


 アナはリュックサックを降ろすと、口を広げてみせた。

 中には、ニンジンがぎっしりと入っている。


 ◇ ◇ ◇


 タクシーに乗ってアナは帰っていった。

 見上げれば、空はあの時と同じ。

 雲一つない快晴の空を、沈みゆく夕日が金色に染めていく。

 嫌いだったはずの夕暮れ。

 不思議と、今はそうでもない。

 雨が嫌いだ、夕暮れが嫌いだ、と、少しワガママを言い過ぎたかもしれない。

 泣こうが笑おうが、空はこちらの都合などお構いなしだ。


 やがて、イザベラが戻ってきた。


「お待たせっ! 帰ろう……って、何よ、そのリュックは」


「ニンジンです」


「は? 何を言ってるの?」


 自分でも、よくわからなかった。

 夢だったのだろうか、と疑いたくなるが、肩にかかるニンジンの重さは本物だ。


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