第137話 天才と呼ばれた男
「お通りっさーい」
門番がいかにもやる気の無さそうな顔で形ばかりの敬礼をする。
男物のスーツに身を包んだキャロラインは、いともあっさりと王城の正門を通り抜けた。
城を訪れるのは随分と久しぶりだった。
ジョージ王の死によって、その庇護を受けていたロッドフォード家は、存在意義を事実上失ったのだ。
そのまま地下の研究開発エリアへ。
白衣を着た研究者たちが、慌ただしく行き来している。
その中の一人がキャロラインに気付いたようで、足早に駆け寄ってくる。
キャロラインはこの男を知っていた。
半年ほど前から、ロッドフォードの屋敷に出入りしていた男だ。
誰にも会おうとしないジェフリーの部屋を訪れては、何やら楽しそうに話していた。
友達がいるのなら、いずれ社会復帰のきっかけになるかもしれない。
キャロラインは呑気にそう思っていた。
黒髪に黒い瞳。痩せぎすで丸眼鏡を描けた短髪の男タニグチは、興奮した様子でキャロラインにバインダーを突きつけた。
よくわからない数式の羅列が書かれている。
「ジェフリー坊ちゃん! 設計の目処がやっと立ちましたぞ! あとは作成にかかるだけですっ!! フヒ、フヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
ジェフリーはタニグチに何かを作らせていたらしい。
タニグチは興奮した様子でまくし立てる。
「どうしてあんなモノを坊っちゃんがお持ちなのか! そんな事はどうだっていい! エイプル王国に来て苦節二十余年、この私めに夢を実現させるチャンスを与えてくださるとはッ!! 感謝感激、雨あられにございますゥ!! 気分は最高ォォォ!!」
「い、いや、大したことじゃ……」
「とんでもないッ!! 坊っちゃんの夢が私と同じと知ったあの日から! 夜ごとお屋敷で語り明かしたあの夢がッ!! もーうすぐ叶うのですぞおおおおおッッ!!」
タニグチは涙を流しながらキャロラインを抱きしめた。
何日も風呂に入らず研究を続けたのか、つん、と異臭がする。キャロラインは思わず顔をしかめた。
「ちょ、ちょっと!」
「さあ坊っちゃん! 私の研究室はこちらです! こちらに移動してからは初めてでしょ!? スゴイんです、ここ!!」
キャロラインはタニグチに手を引かれ、廊下の奥の部屋へと連れ込まれた。
「…………!」
思わず言葉を飲む。
本や資料の山、山、山。
天井近くまでそびえる本棚、資料棚は数百、いや数千のファイルが山積みだ。
だが、一番目を引くのは机の上。
マグカップや菓子、資料の紙束が積まれているのは他と同じだが、大きな長方形のガラス板が光を放ち、何やら図形や数式が浮かび上がっている。
ガラス板の前にはタイプライターのような鍵盤と、握り拳ほどの装置。
「いやー、パソコンがあるとは驚きました! おかげでソロバンと計算尺でやっていた計算が捗る、捗る! ビバ! コンピューターッ!! 設計だってCADを使って楽勝ですよ、楽勝ォ! ただプリンターは無いんで画面を書き写すことになりますけどね!」
「これ、何?」
「パソコンですよ、パソコン! Personal Computerです! 厳密にはPC/AT互換機ですが!」
「そ、そうなんだ。何に使うの?」
「何がしたいんですか?」
「えっ?」
タニグチの言っていることは、さっぱりわからない。
「ワープロ、表計算、製図も何でもござれ! これは必要に応じてApplicationをInstallすることで、極めて高い汎用性を持つのです! オルス帝国が持っている加減算しかできない機械式アナログ計算機など、これに比べればオモチャ以下ですオモチャ以下! 動くのを見ている分には楽しいですがっ! ただ、Internetへの接続ができないのでWebを利用したサービスは使えませんっ!」
「…………?」
思わず首をかしげる。何を言っているのかさっぱりだ。
パソコンとは、どうやら計算機の一種らしいということは何となくわかった。
「まあいいです。あとでいくらでも説明しますからっ!」
「そ、そう」
タニグチは机の上にった、握り拳ほどの装置を動かす。
連動してガラス板の中の矢印が動き、何やら爆弾のような絵が浮かび上がった。
「これですよ、これ! もう、坊っちゃんになら掘られても良いとすら私は思ったのです! 昔は私もこれで便座を作ろうとしたんですが、取り上げられちゃって!」
「う、うん、そんなことはしないよ。僕は女の子が好きなんだ」
正確にはしない、ではなく、できない。
キャロラインにはちんこが無いのだ。逆の心配はある。
「私もねェ、地球ではクズ扱いでしたよ。誰も私を認めようとはしなかった。私の才能に嫉妬したんだ! あの能無しども! あいつらこそ本当のクズだっ!」
「うん、そうだね」
「ああ! さすが坊っちゃんッ! ありがとーうございまァす!!」
タニグチは身体全体で喜びと興奮を表した。
踊りだすかとすら思ったが、意外にもどっしりと椅子に腰を落とす。
あっさりと話したが、タニグチは地球人らしい。
キャロラインの父が召喚した三百人の一人だ。
「でもね、異世界に来てもさっぱりだったんですよ。誰も私の言うことを信じない。科学文明の産物だって、みんな平民でも使えるマジックアイテムくらいにしか思ってない! 誰も私の偉大さを理解しようとしなかったっ! それどころか、何を作ってもジョージ王の功績になってしまうッ!! 王の死後でも変わらずそうなんだっ!」
「うん、大変だったね。タニグチはすごいなぁ」
「ああ! 坊っちゃん!」
タニグチは椅子から飛び降りるように跪き、額を床に擦り付けた。
「私をそんなふうに思っていただいたとは! このタニグチ、坊っちゃんにお詫びせねばなりませんっ!」
「え?」
「ジェフリー坊ちゃんが、あのエリックのクソ野郎にローズお嬢様を寝取られ! ヤツをブッ殺せる武器を、と相談を受けたものの! 無理です! バケモノですよ、エリックは! なんであんな人間が存在するんだ、クソがっ!」
「う、うん、僕はやっぱり火薬が好きじゃないからね」
貴族は火薬を忌諱する。
便所の土で作られた平民の武器、という認識がまだまだ強かった。
キャロライン自身はそうでもないが、ジェフリーはやはりそう思っているらしい。
「……?」
タニグチは一瞬首を傾げたが、すぐに元の表情に戻る。
「――まあ、とにかくですよ! 私は正直、恋敵に報復とかどーうでも良かったっ! 自分がやりたくても出来なかった研究をさせてくれる、そのためにあなたを利用したのですっ! 申し訳ありませんッ!!」
タニグチはさらに床に額を擦り付けた。
「か、顔を上げてよ」
「どうせならエリックを玉座に上げて、それで国ごと吹っ飛ばすというアイデア、さっっっすがに引きましたが! どれだけ怨念抱えてるんですかっ!!」
「ま、まあそのくらいやりたいよね」
どうやらこれがクーデターの真相らしい。
やはり、マイオリスの目的はエリックを王にすることだったのだ。
そして、ジェフリーが主導的な役割を果たしている。
「大丈夫です! この事は誰にも言っていませんから! 私もエリックの野郎大大大っ嫌いなんで! イケメンチートハーレム野郎は死ぬべきです、常識で考えて当たり前! エリック死すべし! 慈悲は無用っ!!」
「そう、良かった」
マイオリスも一枚板ではないらしい。
言うなれば、ジェフリーは獅子心中の虫というところだ。
「申し訳ありません、坊っちゃん! 私は坊っちゃんの覚悟を疑っていたのです!」
タニグチはやっと顔を上げた。
キャロラインの手を取って、頬に擦り付ける。
タニグチの頬は、涙で濡れていた。
しかし、涙を拭うと途端に恐ろしさすら感じる、狂気を帯びた真顔になった。
「……『プルトニウム』を出していただいた時、私は坊っちゃんの決意が本物なのだと確信しました。あんな物がどうしてここにあるのか、おそらくはジョージ王が生前何らかの方法で地球から取り寄せたのでしょうが」
「……プルト……ニウム……」
また聞きなれない言葉だ。しかし、不穏な言葉であることは間違いない。
話しぶりも豹変していた。
氷のような視線。感情の無い口調。冷徹な態度は、今までとまるで別人だ。
タニグチは無言で一枚の紙を差し出す。
新兵器の諸元表らしかった。
「――――!」
今までの常識を完全に覆す、あまりにも桁外れの威力にキャロラインは絶句する。
「かなり少なく見積もった威力です。私の故郷でも過去に大きな戦争で使われ、一発で都市が消滅しました。それを二回使われ、私の祖国は降伏したのです」
タニグチの顔に影が差した。僅かな表情の変化だが、直感で嘘や誇張ではないことがわかる。
タニグチは『マウス』というらしいコンピューターの操作装置を動かすと、ガラス板に王都周辺の地図が浮かび上がった。
「通常なら運搬手段が問題になりますが、王都の中であればどこでも同じです。ビリデ山のこちら側であれば、どこで起爆しても王城は消滅しますからね」
地図に重ねて同心円が表示される。
書かれている文字は読めないが、同心円は王都の全てを、いや周辺のいくつかの町までも収めていた。
「中心部の円が完全消滅、および深刻な放射能汚染。ここまでが建物が倒壊、炎上。だいたいこの辺りまで窓が割れたりします。王都は汚染によって、当分の間、人が住めない地域になるでしょうね」
「…………」
常識はずれの威力だった。
ビリデ山を無視すれば、ムーサまで被害範囲にある。
放射能という聞きなれない言葉も不安を掻き立てた。
「ただ、プルトニウムの濃縮が出来ないので、実験できないのは不安ではありますがね。人工元素ですので、原子炉がないと如何ともしがたい。あの量だと、現状作れるのは一発こっきりです。ご了承ください。起爆に使われる爆薬の材料は、ハーバー・ボッシュ法……こちらで言う、ジョージ・クリス法で空気中の窒素その他から作られています。便所の土は使っておりません」
タニグチは突き刺さるような視線をキャロラインに向けてくる。
「ともに完成させましょう。『原子爆弾』を」
キャロラインは冷や汗をこらえるのに必死だった。
ジェフリーがここまで大それた事を考えていたとは、思いもしなかったのだ。
出されたコーヒーの味もよくわからなかったし、普段であれば気になってしまう洗っていないカップに注がれていたのも気付かなかった。
「まだまだこんなものじゃありませんよっ! こちらへどうぞっ!」
まだ何かあるらしい。
タニグチに手を引かれ、廊下に出る。
階段を降りると、ひと気のないフロアへ連れてこられた。
タニグチはポケットから鍵束を出すと、鍵穴に差し込む。
「ここです! お入りください!」
キャロラインは押し込まれるように部屋に入るが、そこは何もない空き部屋だった。
「ここは……?」
ドアが勢い良く閉まり、鍵をかける音がした。
ドアノブに手をかけるが、動かない。
「何をするんだ! タニグチ!」
扉越しにタニグチの声が響く。
「いえね? 先程感極まってあなたを抱きしめてしまった時、なぜかちんこが反応したんです。私はホモじゃないはずなのに、ついに目覚めてしまったか、と軽く絶望しました」
「!?」
「ですが、仮説には検証が必要です。あなたの手を取るとね、しなやかで細い上にジェフリー坊っちゃんの手首にあった傷がない。つまりね、あなたはキャロラインお嬢様、ということになる。そこで大人しくしていてください。何で坊っちゃんの服を着ているのか知りませんけどね、本物のジェフリー坊ちゃんの邪魔をされてはかないませんから」
「だったらなぜ、僕に話したんだ!」
タニグチは一瞬黙ったが、元のように勢い良く話し出す。
「だって、私の話をウンウンと聞いてくれたじゃないですか! 楽しくて、つい調子に乗ってしまったんですよ! 私だって、若い娘さんが自分の得意分野の話を聞いてくれれば楽しいんですっ! 伊達にちんこ未使用をこじらせちゃいない! もうすぐ亡くなったあなたのお父様の年齢を超えちゃうんですよ、私はっ! ……でもまあ、ここに居る限り話しても話さなくても同じですよ。では、ごきげんよう、お嬢様」
足音が遠ざかっていく。
「やれやれだ。油断しすぎたな……」
キャロラインは座り込み、頭を抱えるしかできなかった。
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