第136話 領主の館

 ムーサと王都を隔てるビリデの山は、原生林の中に公園があった。

 いくつかの遊具が設置され、住民の憩いの場として、ハイキングやスポーツの練習にも使われる。


 その奥には領主の館があった。

 その一室。ワイルド伯爵は空のワイングラスをテーブルに置いた。



「…………」



 領主、ワイルド伯爵は今回のクーデターに際し、表向きは中立を保っていた。

 ケラー派にもロイ派にも属さず、領地の経営に専念。

 領地を持つ貴族の多くがそうしていた。

 立場を保留し、勝ち馬に乗るためだ。


 しかし、ムーサはあまりにも王都に近い。隣である。

 中立とはすなわち、ロイを筆頭とする新政府に属さない、という意味に取られかねなかった。

 時間稼ぎにも限界がある。


 正統政府からの使者、ウィンドミルが現れたのは数日前。

 暗殺説が出ていたサラ王女の生存が確認され、ムーサ市内に潜伏しているという。

 その時点で、ワイルド伯爵はやっとケラー派に付くことを決断した。

 しかし、その場所までは知らせてこない。国家機密だという。


「まあ、最近イザベラ嬢が暴れている、あの薪屋だろうがな……」


 頭のおかしい貴族が薪屋の嫁と言い張っている、というのがもっぱらの噂であった。

 小学生でも知っている。

 平民相手にやりたい放題らしいが、不思議と子供を中心に好かれていた。

 精神年齢が近いのだろう。


 本人は王女の勅命だから仕方なく、と言っているらしいが、どう見てもノリノリだそうだ。

 実際にはケラーの正統政府に体よく利用されているに過ぎない。

 王女を助けた平民の兵士への生贄とすることで、平民からの支持を得よう、というプロパガンダである。


「……まあ、いいか」


 チェンバレン家は長男のスティーブが継ぐことになっている。

 誰にとっても不利益はなかった。

 それよりも、重大なことがある。


 この屋敷が、王都奪還作戦を行うために各地から集められた精鋭部隊の集合場所になっているのだ。


 全員が王家に固い忠誠を誓った貴族たちだった。総勢百名。

 加えて、各戦線から少しずつ兵士を集めている。

 イザベラを生贄にしたことで、平民の兵士も士気が高かった。


「これだけ魔法使いを集めれば、さしものフィッツジェラルドとて、ひとたまりもあるまい? なあ、スティーブ」


「おっしゃる通りです」


 チェンバレン中佐は深々と頭を下げる。


「期待しておるぞ」


「お任せください。必ずや、王家に楯突いた謀反者を討ち取って見せましょう」


 ◆ ◆ ◆


 スティーブは屋敷の廊下を歩いていた。

 窓からはムーサの町が見える。


「…………ハァ」


 思わず溜息を付いた。

 王都の参謀本部に出向いてお説教を受けた後、実家に戻ると両親は大切な話があるという。


 イザベラが政治的な理由で平民の嫁に行かされると聞いた時、あまりのショックに丸一日寝込んだものである。


 例の薪屋の向かいにある喫茶店で三日三晩張り込みを続けたが、なぜかイザベラは生き生きとしてとても楽しそうであった。

 近所の子供を集めて野球をしたり、老人とチェスをしたりと、大人気である。


 家人の留守中に忍び込んでみると、イザベラの大好きなホモ本が大量に置かれた部屋があった。

 娘のレベッカと趣味が合うのであれば、多少は気も紛れる事だろう。


 その際、ついうっかり女将――モニカの下着を盗んでしまったが、一枚だけだから大丈夫だ。

 洗濯場に放置する方にも問題がある。


「私は悪くない! 平民ごときに、何を遠慮する必要がある!」


 思わず口に出ていた。

 ポケットに手を入れ、感触を確かめる。

 人妻のパンツである。しかも、顔と素性がわかっている。

 加えて洗濯前に回収できたのは僥倖だった。

 洗ってしまえば、その価値は半減以下である。


 スティーブは年上にしか興味がなかった。

 婚約者のヤスコも年上だが、贅沢を言えばもう少し熟成させたいところである。


 一応、ビンセント家の貯金箱に相当額の銀貨を入れてきたので、文句を言われる筋合いはない。


「私は正常だ! ケラー首相のような、異常者ではないっ!」


 思わず壁を叩く。誰に向けての言葉だろうか。


 ケラー首相が人妻にしばかれる事を無常の喜びにしている事は、エイプル王国の上級貴族なら誰もが知っている。

 当然、一般国民には秘匿されていた。


「……問題は、金だ」


 別の日に再び忍び込んで帳簿を調べると、売上が年々下がっているらしいことがわかった。

 近所の平民を脅し――説得して薪を注文するように頼んだが、一時しのぎにしかならない。

 イザベラの性格から考えて、実家に金を無心することはギリギリ土壇場まで無いだろう。


「何か、何か手はないのか……」


「どうしたのぉ? スティーブ」


「うおっ!?」


 振り返ると、そこにいたのはノーラ・ギボン。


 ミステリアスな雰囲気をまとう、妖艶な美女である。

 彼女も今回の作戦に参加する予定だ。

 なお、王立学院ではイザベラの同級生である。

 浪人も留年もしていないというのであれば、絶対に年齢を詐称しているとしか思えない。

 この仮説に、スティーブは絶対の自信があった。


「――この懐中時計を賭けてもいい」


「えっ?」


 うっかり口に出ていた。


「な、何でもないっ!」


「そーお? 変な人ねぇ。ところでぇ……」


 ノーラはスティーブの胸に人差し指をつつ、と這わせた。


「全員が集まるのってぇ、いつだったかしら?」


「ええと、……いつだっけ」


 イザベラのことを考えていて、それどころではなかったのだ。

 しばらくして、やっと思い出す。


「……魔法使いはおおよそ三日後には揃う。しかし、平民の兵士がまだ足りないからな、作戦の決行はもう少し先だ」


 前線からあまりにも大量に兵を引いては、肝心の戦線が総崩れになってしまう。


「そう……少し、暑いわねぇ」


 ノーラはシャツのボタンをいくつか外し、色気たっぷりの流し目を送ってくるが、いかんせんスティーブの好みから言えば若すぎる。

 襟元から覗く張りのある胸と、シャツの上からでもわかる引き締まったウエストは、むしろスティーブを萎えさせた。

 彼女は言うなれば、食べごろの果実だろう。


 しかし、スティーブは果物は熟成させなければ食べる気になれない。

 食べられなくなる寸前が一番美味いのだ。


 モニカは確かに美しかった。しかし、彼女にはトニーがいる。スティーブにも、ヤスコがいる。


 ジョージ王の意向でヤスコと交際し、やがて婚約するに至ったが、スティーブ自身の好みから言えばそれでも若すぎた。


 しかし、結局大切なのは中身である。妥協も大切なことだった。

 人間は誰でも歳を取る。ならば、待てば良い。


「暑ければ脱げ。知り合いの上級貴族は何度もワイセツ物陳列罪で逮捕されている。気をつけることだ」


 あえて名は伏せたが、当然カーター・ボールドウィン侯爵である。


 ノーラになど構っている暇など無かった。

 実際の作戦は専任の士官が考えるので、スティーブの出番は当分の間、無い。

 ならば、兄としてやるべきことをやるだけだ。


 今日も薪屋の向かいの『琥珀亭』に行き、妹を見守らなければならない。


 ◆ ◆ ◆


「これか」


 エリックが線路の上で見上げるのは、在来線一編成くらいはありそうな超巨大な大砲。

『ビッグ・ジョージ』という名前らしい。

 技術士官が概要を説明してくれた。


「口径は二百八十三ミリ、初速千百二十メートル毎秒で最大射程は六十キロ、有効射程……つまり命中が期待できるのはその半分、といったところでしょうか」


「ほほう?」


 技術士官は自身ありげだ。


「飛行機とやらと違い、天候に左右されずに運用可能ですので、攻城戦においては無敵です。そのかわり、線路の敷設が必要という欠点がありますが……」


「だろうな」


 列車砲とはなかなか面白いものを保有している。


 地球でも過去の大戦争で使われたらしい。映画で見たことがある。

 この世界の技術水準は、おおよそ二十世紀初頭、第一次世界大戦レベル。

 王城を砲撃し、精鋭の近衛騎士団を一瞬で壊滅させたのも、この砲だ。

 彼らは魔法に頼りすぎた。


 一般的な貴族の魔法など、地球の技術を流入して作られた兵器の前には、ただの手品にすぎない。

 並の魔法使いよりも、平民の集団戦術のほうがよほど脅威だ。

 この国の貴族は、火器というものを軽視しすぎている。


 地球の武器は、刃物以外はとにかく火薬。そう言っても過言ではないほどだ。

 とはいえ、地球には魔法がない、という点は考慮する必要がある。


「この大砲、ムーサに届くか?」


「もちろんです。ムーサ市内であれば、特定の建物を狙って破壊することも可能です」


「なるほど」


 この『ビッグ・ジョージ』は、元々リーチェで使われていたらしいが、修理のために引き上げられていた。


 マイオリスの指導の元、第三連隊がこれで王城を砲撃したものの、応急修理の無理がたたって再び故障したという。


 ノーラの報告によると、ムーサ領主の館にエイプル軍の精鋭が集まっているらしい。

 旧エイプル王国の残党が、城を奪還すべく動いているそうだ。

 あらかじめ潰しておくに越したことはない。


「使えるようにしておけ」


「はっ!」

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