第135話 おまじない

 王都からほど近い田舎町、フルメントム。


 その町外れにある、麦畑に囲まれた一軒の教会。

 ここは孤児院を運営しており、今はエミリーをはじめエドガー、グレン、サム、ローラの五人が暮らしている。

 かつてここに住んでいたカーター・ボールドウィンは、更なる肉体美を求め、孤児院を出て軍に入った。

 そして給料の大半を仕送りしてくれ、それどころか休暇のたびに教会に帰り、子供たちと遊んでくれたのだ。

 エミリーは、そんなカーターにきょうだい以上の愛情を感じていた。


 ある日、カーターはトレーニングの帰り、驚くべき客を連れてきた。

 戦友のビンセント一等兵。女騎士イザベラ。そして、サラ王女。


 この教会はクーデターで王城を追われたサラ王女を追い詰めんとする軍隊と、三人の戦士が激突した場所だ。

 エミリーはサラ王女を狙う軍隊の人質になっていた。

 

 しかし、軍隊はカーターが誇る筋肉の前に敗れ去った。

 カーターはその筋肉で王女を守るべく旅に出る。


「ふうん……今度はムーサ。大変ね」


 エミリー・ホイットマンは、電報の文面を三度読み返した。


「??」


 前半は良いが、後半の意味がわからない。


「見せてー! 早くー!」


 年長のエドガーと弟分のグレンが騒ぐ。

 カーターの事が知りたくてたまらないようだ。


「はい。読める?」


「バカにするなよー! ええと、『ムーサキンム、タイサシヨウシン』だって! すっげー!」


 グレンは飛び上がって大喜びだ。

 エドガーも目を丸くする。


「おいおい、何かの間違いじゃないの? 大佐って、すっげー偉い人だぜ?」


 最後に会った時の階級は一等兵だったはずだ。


「ねえ、エドガー。それって、どのくらい偉いの?」


「カーター兄ちゃん、前まで一等兵だったろ? 下から二番目さ! それが上等兵、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐ときて大佐! 十一階級昇進とか、何やったんだろう?」


「…………!?」


 エミリーは気が遠くなりそうだった。

 何かの間違いだとは思う。

 再び玄関のベルが鳴った。


「エミリー・ホイットマンさんですね?」


「はい」


「現金書留です。こちらにサインを。……結構です。それでは」


 郵便局員が持ってきたのは、やたら重そうな麻袋。

 伝票に記された送り主の名は、やはり『カーター・ボールドウィン』だった。


「ま……まさか……」


 エミリーは袋を開いた。


「あわわ……」


 これは夢だ。夢に決まっている。

 カーターは筋肉にしか興味がないはずだ。すなわち、筋肉は愛。

 エドガーとグレンも覗き込むと、感嘆の声を上げた。


「さすが大佐だね! 平民だと何年たっても曹長までしか行けないんだ! きっと、爵位を取り戻したんだよ! ボールドウィン侯爵家が復活したんだ! カーター兄ちゃんは貴族に戻ったんだ!」


 グレンが興奮気味にまくし立てるが、エドガーは首を傾げた。


「でも、一体何をやったんだろう? 軍隊のボディビル大会で優勝したのかな? きっと優勝賞金だよ! さすが兄ちゃんだ!」


 エミリーは頭痛をこらえながら、金貨の山を金庫にしまった。

 ボディビル大会優勝の功績を湛え、爵位を復活。

 果たして、そんなことがあり得るだろうか?

 エミリーには軍隊のことはよくわからない。貴族社会の事もわからない。

 だが、とりあえずそれだけは無いだろう。常識で考えて。


 エミリーは事務机に掛けると、コップの水を一気に飲んだ。


「…………」


 割れていた事務所の窓は、すでに修復が終わっている。

 教会全体の修復も、ほぼ完了していた。

 あとは建築業者が作業に使った資材や道具を搬出するだけだ。

 イザベラという女騎士が置いて行った金貨のおかげである。


「……これって、やっぱり……」


 一番考えうるのは、サラ王女に関わる何か。

 あれ以来、軍隊が攻めてくるなどということはなく、平穏無事に過ごしていた。

 クーデターが起こって王女が追放されたという話だったが、下々の者には何の情報も降りてこない。



 慌ただしい足音が響き、サムが扉を叩くように開いた。

 サムはエドガーとグレンよりも年下で、一番小さいローラにお兄ちゃんぶりたい年頃だ。


「エミリー姉ちゃん! ローラが、ローラが!」


「どうしたの!?」


 酷い慌てようで、何やら良くない事が起こったのだとわかる。

 サムに手を引かれ、子供部屋へ。


「大変!」


 ローラが真っ赤な顔でうなされていた。

 目の焦点は合っておらず、汗だらけで呼吸は乱れ、とても苦しそうだ。

 額に手を当てると、とんでもない高熱だ。

 膝を見ると、擦り傷が炎症を起こし、グジュグジュと膿んでいた。

 傷口から悪魔が入り込み、呪いによって人を病気にすると聞いたことがある。


「サム、エドガーかグレンに伝えて! お医者様を呼ぶように、って!」


「うん!」


 サムは大慌てで部屋を出て行く。

 エミリーはローラの手を握りしめると、必死に祈った。


「ああ、神様、カトー様! なにとぞローラに救いを! 私はどうなっても構いません……!」


 子供の頃から唯一の特技だった『おまじない』。

 昔、カーターが崖から落ちて大怪我をした時も、そうしたのだ。

 エミリーの手のひらから山吹色の光が溢れ出し、ローラの炎症は引いていった。


 ◇ ◇ ◇



 早速金貨が役に立った。

 医者は簡単な診察をして帰っていく。

 栄養のある食事を与え、じゅうぶんな休養を取らせること。

 医者の指示はそれだけだった。


「姉ちゃんのおまじないが効いたんだ!」


 サムも安心したようだ。

 エドガーがふとこぼす。


「ねえ、もしかして姉ちゃんのおまじないって、魔法なんじゃ?」


「何言ってるの。魔法を使えるのはお貴族様だけよ」


「そりゃそうか!」


 エミリーは、ただの孤児だ。

 ある日、教会の玄関に籠に入ったまま捨てられていたという。

 当然、両親の顔は知らない。

 バートン神父が親代わりに育ててくれたのだ。

 そのバートン神父も、前線に従軍神父として出征していた。

 もう、何年も帰っていない。


 エミリーは自室に戻ると、机に突っ伏した。

 全身がだるい。

 このおまじないを使うと、いつもこうだ。

 少し、休みたかった。


「私が……しっかりしなきゃ。…………兄さん……会いたい……」



 ◇ ◇ ◇


 政府の役人を名乗る男が現れたのは、翌日のことである。

 エミリーを迎えに来たという。


「侯爵閣下といえば……おわかりでしょう?」


「!」


 お家取り潰し前のボールドウィン家といえば、侯爵である。

 何よりも、一等兵から大佐への昇進など絶対にあり得ない。

 やはりカーターは爵位を取り戻したのだ。


「すぐに支度します! 少しお待ちを!」


 カーターに会いたい気持ちが何よりも強かった。

 やはり心細かったのだ。

 弟たちはまだ子供だが、身の回りのことは一通りできるし、お金もじゅうぶんにある。

 万が一の時はバイト先の店を頼るよう言い残し、エミリーは豪勢な馬車に乗り込んだ。


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