第132話 鏡の中の自分 その二
医者がハサミでビンセントの服を切っている。
骨折の疑いがあり、そのまま脱がすことはできないのだ。
医者は顔をしかめた。
「殿下。イザベラさん。マーガレットさん。部屋の外へ出て頂けますか?」
三人は顔を見合わせた。
「ちょっとね、彼もあんまり女の子には見られたくないと思うから」
「何でよ! ちんこ見るチャンスじゃない!」
マーガレットは思い切りスリッパでイザベラを叩いた。
医者は苦笑いするが、ドアを指差す。
「お医者様の言うことくらい聞いたら?」
マーガレットは立ち上がった。しかし、サラは裾を引っ張ってそれを止める。
「サラ様?」
「せんせー。こいつらは見たほうがいいと思うんだよなー」
「しかし……けっこう刺激が」
サラはかぶりを振る。
「だめだよー。こいつら、何も知らないんだからなー」
医者はしばらく考えていたが、やがて頷くとビンセントの服を剥がしていく。
誰もが息を呑んだ。
ビンセントの身体のおおよそ半分は、醜いケロイド状の火傷の痕で覆われていた。
「これが、この戦争の現実ですよ。リーチェで使われたのはびらん性のガスで、マスクも防護服も侵食する厄介なものです」
マーガレットは思わず目を逸らしてしまう。
思った以上に痛々しかった。
今にして思えば、ビンセントはどんな時でも長袖を着ていた。
誰にも肌を晒そうとしなかったのだ。
しかし、イザベラはビンセントに歩み寄り、膝をつくと穏やかな顔でその髪を撫でた。
「知ってたわ。見たことは無かったけど」
「リーチェは、確かに地獄よ。あんな所に行くなんて、もう絶対に嫌。死なないほうがおかしい、そんな世界よ、狂ってるわ。……でも、誰かが行かなきゃならないの」
イザベラもまた、目に涙をたたえていた。
傷を優しく撫でる。
意識のないビンセントに、傍らで見守るマーガレットに、優しく、とても優しく語りかけた。
「……ブルースは、私たちの代わりに、そんな地獄に行ってくれたの。この傷は、そこで負ったものでしょう? ブルースが居なかったら、誰が行ったというの?」
「イザベラ……」
マーガレットは目を逸らした自分を恥じた。
「そうですわ。これは、わたくしたちのために負った傷ですの。わたくしたちが……付けたのと同じなですわ。それを怖がるような、そんな無責任な女ではなくてよ」
医者も寂しそうに笑った。
「そうですか、良かった」
医者はテキパキと傷口を縫合し、骨折箇所に添え木を当て、包帯を巻いていく。
手当はモニカも手伝った。
専門家に任せるのが一番良い。マーガレットもイザベラも、治療を見守る。
ものの一時間で、全身包帯だらけのミイラ男が誕生した。
「これで大丈夫。治療には時間が掛かるから、定期的に通院しなさい。容態が急変したら、すぐに連絡を頼むよ。夜中でもいいからね」
医者は道具をカバンに詰め直しながら呟いた。
「若いってのは、良いものだ。ブルース君は幸せだね。いや、不幸……なのかな? 私も昔は……いや、言うまい。寝た子を起こす事になりかねん」
遠い目をして医者は立ち上がる。
白衣が儚げに揺れた。
「では、お大事に」
玄関のドアがゆっくりと閉じた。
イザベラが踵を返すと、まるで楽しみにしていた雑誌の発売日のような笑顔だった。
「さ、お義母様が戻らないうちにうちに、ちんこ見ようっと」
「ちょ、お待ちなさい!!」
◆ ◆ ◆
ムーサから王都までのタクシー代金は、銀貨十枚。
地球の価値で言えば、おおよそ一万円ほど。隣町である。
それでも、王都の一般的な労働者の日当二日分。
もしビンセントなら、汽車を使うかここまで歩こうとするはずだ。
彼は非常にケチでみみっちい男だった。エリックもかつてはそうだったのだ。
そういう所も、じつに気に食わない。
「ありがとうございましたー!」
気前よく多めに渡すと、青い顔をしていた運転手は途端に笑顔になる。
タクシーは走り去った。
「……ん?」
屋敷が妙に賑やかだ。
エリックが王都の屋敷の門をくぐると、メイドたちが列になって傅いていた。
帰宅の連絡などしていないはずだ。
「お帰りなさいませ。旦那様」
おそらく、王都で使用人の誰かに目撃されたのだろう。
大した問題ではない。
エイプル王国は自動車の普及が地球より大幅に遅れており、タクシーであっても誰が乗っているのかがかなり気にされる。
「ご苦労」
メイドの制服も野暮ったかったので、エリックが自らデザインした。
黒のミニスカートにフリル付きのエプロン、黒のストッキングはガーターベルトで吊るようになっている。
地球時代に観たお気に入りのアニメで、ヒロインが着用していたものを再現したのだ。
町の喫茶店が真似をして売上を大幅に伸ばしたと言うが、知ったことではない。
こちらには本物が居るのだ。
メイドはステータスだ。
五分ほど歩いてやっと玄関に辿り着くと、そこには女たちが待っていた。
「お帰りなさい!」
「待ってたわ!」
「エリック!」
レイラ。ドリー。メイ。ノーラ。エミー。マイラ。ドリス。そしてローズ。
皆、エリックの恋人たちだ。
生前、何気なくネカフェで読んだ少女漫画。
それに出てくる、いけ好かないイケメンキャラを真似ると、なぜか彼女たちは頬を染め、やがて自分から恋人になりたいと言い出してきた。
最初は驚いた。
先王がジョージとマリア王女を結婚させる際、身分による結婚制限撤廃と同時に一夫多妻制を解禁したという。
エリック自身にはそんな気はなかったのだが、一人、また一人と増えていき、やがて結託してローテーションで恋人になる、という話にまでなっていた。
しかし、たまに複数で楽しみたい時もある。
その時は苛烈な女の戦いが繰り広げられるのだ。
なるべく平等に扱うつもりなので、調整は苦労する。
「どうしたんだ、お前たち。揃いも揃って」
ローズがエリックの腕にしがみ付く。
順番をつける気はないが、ローズが一番好みだった。
スタイルも最高だし、誰よりもエリックを想ってくれる。
何よりも、地球時代に好きだったアニメのヒロインに瓜二つだ。
そのキャラの絵を描いたが、カスタネの食堂の親父がどうしても、というので譲ったのだ。
背景が故郷のリーチェだから、と言われればやむを得ない。
絵はまた描けば良い。
「うふふ……」
エリックに会えたのが嬉しいのか、ローズは顔をクシャクシャにして笑った。
確かにエリックの好みにピッタリだ。
ただし、ローズは膜付きではなかった。
そこが不満といえば不満だが、それを言う資格もない。
エリックもノーラに喰われていたのだ。無論、性的な意味で。
なお、ノーラはどう考えても年齢詐称っぽいが、違うらしい。
さすが異世界、何でもありだ。
ダイエットに成功したイザベラに、ちょっかいを出したのもそのためだ。
やはり新品が良い。
しかし、どうやらビンセントと親密らしい。あれは間違いなくヤッている。
よほどのヘタレか、身体に問題……インポか、大火傷で肌を晒せないとかでなければ確実だ。
ならばもう、どうでも良い。
そもそもイザベラは将来リバウンドしてデブに戻る可能性もある。
少し前に転がり込んできたルシアも、最後には子持ち――しかも二人、と判明した。
冗談ではない。他人の子供など、育てる気は全く無い。
自分から出ていってくれたのは、運が良かった。新しいパトロンが見つかったらしい。
ローズは満面の笑みを浮かべていた。
「もうすぐ、あなたの誕生日じゃない? 少し早いけど、わたしたちね、あなたにプレゼントがあるの」
「なんだ、覚えていたのか」
表面上はそっけない態度を取るが、素直に嬉しかった。
地球時代は、女の子に祝ってもらった事などなかったのだ。
メイド服姿のマイラが、ビロウドの布が乗ったトレイを差し出す。
彼女は元々はマーガレットの家、ウィンターソン家のメイドだった。
紆余曲折を経て今はフィッツジェラルド家にいるが、マイラの方から言い出した事だ。
ローズが布をどける。
姿を表したのは、プラチナに無数の宝石をあしらった王冠であった。
「エイプルの王様は、あなたにこそ相応しいわ。受け取ってくれる?」
「……………………」
サプライズなプレゼントにしては、やけに豪勢だった。
エリックが内心ドン引きするほど。
マーガレットの父は衛兵隊の総司令。
こんなアウトローの集団を囲っていては、婚約関係などとても維持できるものではない。
エリックは婚約破棄という選択の正解を確信した。
自由に生きることができなくなってしまう。
「まあ、それも悪くないな」
力を持つものは、それを行使する権利と義務がある。
面倒ではあるが、せっかくの異世界だ。
行ける所まで成り上がってみるのも悪くないだろう。
こんなことは地球では絶対に不可能だ。
「でも、まずは飯、風呂、寝る、だな」
これだけは生前から何も変わらない。
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