第四章 ムーサ・グラフィティ

第129話 ムーサの町へ

 すでに日が暮れつつある。マーガレットは急いでいた。


 口ではああ言っていたが、一刻も早く手当しなければビンセントは危険だ。

 本来であれば一緒に連れていきたい所であったが、サラを置いていく訳には行かない。

 あれだけの重傷であれば回復魔法に期待するしか無く、サラにもしものことがあってはビンセントも助からない。


 本音を言えば、サラを犠牲にしてでもビンセントを助けたかった。

 しかし、自力で動けないビンセントを背負っての移動はマーガレットの力では不可能だ。

 一刻も早く街に行き、医者を呼ぶか病院に収容しなければならない。

 サラの回復魔法が使えない以上、今できることはそれだけだった。


「……イザベラなら、二人とも担いで行くんでしょうね……! あの脳筋娘のマネはできませんわ」


 森を抜け、ムーサの町へ。

 人通りはさほど多くはない、典型的な地方都市である。

 街に入ると、商店が連なった一角があった。

 最初に目に入った商店のドアを叩く。すでに営業は終了しているようだ。


「お願いです! 開けてくださいまし!」


 どんな人物が出てくるかは考えなかった。金貨を何枚か持っており、いざとなれば買収することもできる。


「はいはーい、どちら様?」


 若い女の声が奥から響く。

 声の感じでは優しく、人当たりが良さそうな感じだ。期待できる。


「ちょっと、手を貸してくださいまし! お願いですわ!」


「いま空けますよ~」


 扉が開いた。


「…………」


「…………」


 女と目が合うと、すぐに扉を閉められた。鍵をかける音が響く。

 更には玄関の電灯が消えた。

 マーガレットはさらに激しく扉を叩いた。


「ちょ、ちょっと! なんであなたがここにいますの!?」


「うるさいわね! 帰ってよ、近所迷惑だから。私は忙しいの。他を当たって。あなたはせいぜい逆ハーレム状態で揺れる乙女心に酔っていなさい。そして相手を決められずに、グダグダしているうちに周りの男が一人、また一人と結婚していき、ああヤバイ、仕方がない、こいつで妥協してやってもいいか、と思った男にも相手にされず結局婚期を逃して、毎晩安酒を煽りながらペット相手に語りかける寂しい女になるといいわ。親の視線は気にしなくていいわよ。じきに慣れるから。だから早く行って。とっとと行って」


 妙に具体的で、考えうる限り最大限に酷い言われようだが、マーガレットは更に強く扉を叩き続ける。


「開けなさい! 開けて! 酷すぎませんこと? わたくしを何だと思っってますの! というか、あなた、何様のつもりですの!? わたくしがいつ逆ハーに溜息なんてつきましたの!」


 更に扉を叩く力を強める。返事は更に容赦のないものだった。


「自分の胸に聞いてみれば! その貧相な胸に! この、まな板!」


「誰がまな板ですの! 普通ですわ、普通! あなたこそ肩こり自慢はいい加減にしてくださいまし! それどころじゃありませんの! 訳は後でたっぷり説明しますわ! 怪我人がいますの! せめてサラ様だけでも! …………イザベラっ!!」


 鍵が開き、ドアが開く。


「なぜサラ様がここに?」


 イザベラは少し汚れたエプロンで手を拭いながら、マーガレットの足元を見た。サラはマーガレットの足元でぐったりしている。


「これはどういう事!? マーガレット! あなたが付いていながら!」


 イザベラはマーガレットの胸ぐらを掴むと、強く揺する。


「ど、どうしたの? イザベラさん」


 奥から気弱そうな中年の女性が出てきた。焦げ茶の長髪を後ろで一束に纏めている。

 女性は二人に構うこと無く、サラを見た。


「大変! 怪我してる! 早く奥に運んでちょうだい!」


 女性は奥に駆け戻った。

 イザベラも奥へ駆けていく。


「マーガレット! 早く奥へ運んで! お義母様! 私は薬箱を出してきます!」


 イザベラがさらりととんでもないことを言った。


「……お……お義母様、ですって?」


 マーガレットは店の看板を見た。


「……ビンセント薪店……!? じゃあ、……じゃあここは……!」


「早くして!」


 イザベラはマーガレットを奥に引き込むと、サラを抱きかかえる。

 色々と言いたいことはあるし、考えることもある。

 しかし、今はその余裕がない。


「イザベラ! 自動車はありませんの!?」


「あるわけないじゃない馬鹿!」


「馬車は!?」


「無い! 配達はリヤカーで充分よ! 私なら! あなたと違って!」


「馬は!?」


「私が乗ってきた馬がいるわ、それがどうしたのよ!」


「借りますわ」


「裏よ! 勝手にすれば!」


 ◇ ◇ ◇


 マーガレットは裏手に回ると、いささか歳を食った斑の牡馬が草を食んでいる。


「ブホッ! クックック……」


 その馬は、なぜか地面に置かれた雑誌に時折視線を向けては奇妙な笑い声を上げていた。

 それどころか、器用に口でページをめくっている。

 何かと思えば、競馬の情報誌だ。

 最近売り出し中の若い牝馬が大きくクローズアップされた特集記事が組まれていた。

 紙の材料は木なので、後で食べるつもりなのだろう。

 しかし、かつての紙とは違い現代の紙は化学薬品が多く使われ、食用には適さない。


「頼みますわよ、ええと……エクスペンダブル、でしたっけ?」


「ハァ!?」


 エクスペンダブルは馬にしては異様な声を上げた。

 耳を後ろに伏せ、目がつり上がっている。

 それどころか、眉間には皺が寄り、額には血管が浮かんでいる。

 どうやら、マーガレットはあまり好かれてはいないらしい。


「な、何ですの!? 馬のくせに!」


「ケッ!」


 エクスペンダブルはマーガレットに尻を向けると、ぷう、と屁をこいた。


「く、臭ぁ……!」


 思わず鼻をつまむ。草食動物のくせに、何を食べているのだろうか。

 通常、馬の屁がこんなに臭いことはあり得ない。

 そして、マーガレットなどお構いなしに草を食べ始める。


「お、お願い! 力を貸して! ブルースが危ないの!」


「ファッ!?」


 エクスペンダブルは目を丸くすると、足早に物置の前へ行き、地面を前足でドンドン、と叩いた。


「フォオオオ!」


「ひ、開けって言ってますの?」


 扉を開くと、そこには鞍と手綱が入っていた。

 なぜか足元には安酒の空き瓶もある。

 エクスペンダブルはマーガレットに向き直り、少しかがむ。

 馬具を取り付けて乗れ、ということらしい。


「あ、ありがとう」


 マーガレットは馬具を取り付けると、手綱を握る。


「頼みますわ! エクスペンダブル!」


「ムハーッ!!」


 エクスペンダブルは蹄の音も高く、マーガレットを乗せて走り出した。

 かなり老いた馬で、毛並みもさほど良いとはいえないが、騎手の言うことをよく聞く。

 そして、何よりも速い。かなりの老体と思われるが、まるで老いを感じない。

 まるで風のようだ。


「この調子ならすぐに着きますわね。頑張って」


 マーガレットは息を呑んだ。


「……? ペットに……語りかける……? まさか、このわたくしが……」

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