第128話 彼女と、彼女の夫 その二

 夕暮れ、街全体を見下ろす小高い丘で。

 悲しそうな目をしたアナを、一瞬で笑顔に変えた男。

 彼が死ねば、アナはどんな想いをするだろうか。

 考えるまでもない。

 アナの泣き顔は見たくない。泣かせてはいけない。 


 そして、ビンセントは絶対にエリックに勝てないだろう。

 たった今証明された通りだ。

 仮に戦車を持ち出したとしても勝てない。

 エリックの魔法は、攻守ともにエイプル軍のタイプⅡ戦車を圧倒的に凌駕している。

 ならば、方法は一つしか無い。


 ビンセントはゆっくりと膝を着き、両手も地面に着いた。そのまま頭を地面に擦り付ける。


「お、お願いです! どうか、彼らを見逃してやってください! そのアダムズは、こんど子供が――」


「ダメだな」


 視界が一瞬で真っ白に染まり、やがて激しい爆風が全身を包んだ。


「――――」


 顔を上げた時、そこに動くものは何一つなかった。


「お前が俺の立場でも、やっぱりこうするのが正解だと思うぞ」


 確かにそうだ。エリックは正しい。


 しかし。


「うおああああああああああッッ!!」


 ビンセントは走った。

 ひたすら走った。

 背中から魔法を食らうかもしれない、などとは考えなかった。

 土嚢の裏へと飛び込み、撃ち手の居なくなった機関銃の握把を握り、押金を押す。


「喰らえッ!!」


 ドラムのような音を立て、残っていた七・九二ミリ弾が毎分四百五十発の発射速度でエリックに向かう。


「裏切るか。ならば――」


 しかし、その全てが防御魔法に受け止められてしまう。

 エリックの右手が光り、ほぼタイムラグ無しでビンセントに何かが直撃した。

 何も見えなかった。風の魔法だろうか。

 ビンセントは体ごと吹き飛ばされ、立木に背中を強打した。


「――ッ!!」


 ボキリ、と何か折れる音が全身に反響する。

 同時に口から大量の血が流れ出た。

 立木が折れ、視界は回転し、顔面から地面に落ちる。


「ぐ……あ……」


 身体が動かない。


 立ち上がろうと地面に手を着こうとするが、力がまるで入らない。


「…………!!」


 やはり無謀だった。

 ただの平民が、最強の魔法使いであるエリック・フィッツジェラルド侯爵に戦いを挑むなど、無謀でしかなかったのだ。

 どうやらこれまでのようだった。

 このままではサラとの約束も守れない。

 カーターとの約束も守れない。

 キャロラインにもヨークにも会えないし、両親にも妹にも、イザベラにだって二度と会えない。


「ぐ…………」


 チキューは魂の還る場所ではなかった。

 だとしたら、人の魂はどこへ行くのだろうか。


 カークマンは勇敢に戦って死んだ。

 しかし、自分はどうだろうか。

 情けなく頭を下げ、任務を投げ出し、感情のままに戦いを挑んだ。

 カークマンと同じところへ行けるだろうか――


「…………?」


 しかし、とどめの一撃はいつまで待っても来なかった。

 震える右腕でどうにか上体を起こすと、そこには驚きの光景が広がっていた。


「エリック……お願い、もうやめて……! ブルースを殺すなら、わたくしだって…………!」


 マーガレットが、ビンセントが持っていた拳銃の銃口ををこめかみに当てていたのだ。

 全身が震え、止めどなく涙を流している。

 指は引き金にかかっていた。


「マーガレット。安全装置がかかったままだ」


「えっ?」


 近代的な銃には暴発を防ぐための安全装置が付いている。

 加えて言うならオートマチックなので、最初に薬室に弾を送り込まなければ撃てない。

 貴族は火薬を使った武器を忌諱するため、マーガレットが知らないのも無理はないと思われる。

 エリックの指先が光り、拳銃は茂みの奥へと飛んでいった。


「バカな真似をするな」


 マーガレットは力なくへたり込む。


「さて……ではあの裏切り者を始末するか」


 エリックがこちらに向けて歩いてくる。

 その目には、何の感情も伺えない。

 一歩。また一歩。


「残念だ、ビンセント。お前は平民にしてはなかなかやる奴だ、と思っていたんだが」


 エリックがこちらに手をかざす。

 真っ赤な魔法陣が浮き上がった。

 本当に、今度こそもう終わりだ。こちらは一歩も動くことができないし、武器もない。


「エリックーッ!」


 サラが叫ぶと、エリックは足を止めて振り向く。


「おまえはクビだーっ! わたしの前から消えちゃえーっ!!」


 サラは痛みをこらえたまま、ぐちゃぐちゃな泣き顔で叫んでいた。


「きこえなかったのかーっ! おまえはクビだーーーーっっ!!!!」


 エリックはポケットに手をいれると、しばし立ち尽くした。

 何か考えているようだ。

 やがて、呆れ顔で溜息をつく。


「やれやれだ。後悔するぞ」


 そのままエリックは踵を返し、歩き出した。

 しかし、数歩歩いた所で立ち止まる。


「マーガレット。…………俺と来ないか?」


「わたくし、贅沢なんですの。……一山いくらの『使い捨ての消耗品』になるのは、ご免ですわ」


「……そんな事はさせない、と言っても……お前はきっと、聞かないだろうな」


 エリックは一瞬だけビンセントの目を見ると、そのまま歩き去った。


「…………」


 ビンセントは全身の力が抜け、再び地面に顔を擦り付ける。


 意識が遠ざかりつつあった。

 マーガレットの小説、というよりも手記によれば、エリックはマイオリスの中心人物だ。

 にも関わらず、サラを守ろうとした。

 だとすれば、事実上マイオリスは無関係という可能性が高い。

 やはり女たちが主力で、エリックへのサプライズを企画していたのだろう。

 更に言えば、何となくだが……中心的な主犯はローズと思われた。


「ブルースっ! しっかりして! ブルースっ!」


 マーガレットが泣きながらビンセントを抱き起こした。


「マーガレットさん……すみません……」


「どうしてあんな無茶をっ!!」


「アダムズさんは……俺の初恋の人の……夫なんです……」


 マーガレットは何とも形容し難い表情だった。

 いつの間にかサラも覗き込んでいた。


「こまかいハナシは後で聞くよー、まずは傷を……」


 サラは手のひらをビンセントに向けた。山吹色の輝きを持つ魔法陣が浮かび上がると……かき消えた。

 同時にサラが倒れる。


「サラ様っ!!」


「い、痛いよぉ……ええ~ん……」


 サラの右足は、目も当てられないほどに腫れていた。

 これでは高度な精神集中を要する回復魔法は使えないだろう。


「ごめんよぉ~……魔法……使えないよ~」


 サラは泣き顔で謝るが、謝りたいのはビンセントの方だった。


「すいません、サラさん……俺が……悪かったんです……」


 震える手でサラの頭を撫でる。


「マーガレットさん……お願いです……サラさんを連れて……ムーサへゲフッ!!」


「ブルースっ!」


 血が気管に入ったのか、激しくむせる。目の前がチカチカするし、酷く気分が悪い。

 熱もあるようだ。

 おそらく、肋骨が何本か、それに左の鎖骨が折れている。


 しかし、ここはサラを優先してもらわなければならない。

 サラは痛みを押してビンセントに魔法を使おうとしてくれた。

 その気持だけで、じゅうぶんだった。


「お、俺は大丈夫……死には……しません……後で……助けを……」


「あなただって、かなり重傷ですわ! 放ってなんて!」


「お願い……です……」


 マーガレットは唇を噛みしめると、サラを抱きかかえて立ち上がった。


「すぐに戻りますわ! あなたはそこを動かないで! 良いですわね!」




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