第127話 彼女と、彼女の夫 その一
「どうした? ビンセント。顔色が悪いようだが」
不意にエリックが話しかけてきたので、ビンセントの心臓は飛び上がった。
ビンセントはかぶりを振って落ち着こうとした。
エリックがその気になれば、敵う者はまずいない。
わざわざだまし討ちをする必要など、全く無いはずだ。
これは、知らないと考えるのが合理的ではないだろうか。
「いえ…………平気です」
そもそもマーガレットはなぜ迷うのだろうか、それがまず理解に苦しむ。
他の女を排除したいとは思わないのだろうか。
あるいは、そのつもりなのかもしれない。
血を見ることになりかねない。
「そうか。なら――」
エリックがそう言いかけた時だ。
耳をつんざく轟音と衝撃波が下から突き上げるように全身に叩きつけられた。
天地が逆転し、程なくしてもう一度強い衝撃が襲ってくる。
降り注ぐ細かい土砂が口の中に入り、ジャリジャリする。
「うう……?」
何が起こったか、さっぱりわからなかった。
目の前には埃まみれになったサラの頭頂部。
半ば無意識に抱きしめていたようだ。
どうやら車が横転したらしい。しかし、道には何もなかったはずである。
いや、見えない武器には心当たりがある。
かつて、ビンセントもリーチェで使ったことがある。
「……まさか……地雷か? サラさん、怪我は――」
心臓が跳ね上がるような感覚。
サラの頭から、一筋の血が流れていた。
「ん……」
息はあるようだ。しかし、頭を打っているならあまり動かさない方が良い。
「なんですの、これ……?」
マーガレットがどうにかシートベルトを外し、助手席から這い出そうとしていた。
彼女も無事らしい。
「やれやれだ。やってくれたな」
エリックはすでに、無傷で悠々と立っている。
傷どころか、汚れ一つ無い。
そして、その視線の先には目深に鉄棒を被った兵士たち。
人数はざっと五十人弱、一個小隊といった所だ。
有刺鉄線と土嚢で作った簡易陣地には、機関銃が据え付けられている。
「撃てッ!」
指揮官の号令下、兵士たちは一斉射撃を仕掛けてきた。
機関銃がドラムのような音を奏で、小銃がそれを追従する。
ビンセントはサラを抱きしめ、身体を丸めた。弾が当たらないことを祈るしかない。
「ブルースー……」
「サラさん!?」
サラの声は弱弱しく、途切れ途切れだ。
「痛い……痛いよぉ…………」
見れば、右の足首が真っ赤になって腫れている。
どこかで挟んだか、あるいは爆発や落下の当たり所が悪かったか。
しかし、悪いが今は我慢してもらうしかない。
とにかくサラを、特に頭を抱きしめる。
自分の身体で防げる弾などたかが知れているが、それでも直撃よりはマシなはずだ。
銃撃は続く。一秒が一分に感じるほどだった。
ボディに当たる弾は、軽量なボディを紙のように貫いた。
タイヤが弾け、ラジエーターからは勢い良く湯気が吹き出し、硝煙と砂塵が視界を覆い尽くす。
「撃ち方やめ! ……やったか!? 確認しろ!」
どうやら身体には当たらなかったらしい。
きつく閉じた目を恐る恐る開く。
一陣の風が吹き、煙を晴らした。
「どうした? もう終わりか?」
エリックはポケットに両手を入れたまま、眼前に巨大な青の魔方陣を浮かべていた。
カーターと同じ色、防御魔法だ。視界を埋め尽くすほどの銃弾を受け止めている。
おかげでこちらには一発も弾が当たっていない。
指揮官も兵たちも、顔面蒼白になっている。
「クソッ、化け物! 擲弾筒!」
「させるかよ」
ふと、気付く。敵の指揮官の声に、どこか聞き覚えがあるのだ。
エリックは右手をかざすと魔方陣を一瞬で浮かべ、そこからまばゆい一筋の光を放った。
ビンセントがサラを強く抱きしめると同時に、断末魔の叫びと共に指揮官を中心に大爆発が起こった。
熱風はビンセントの眉を焦がさんとする勢いだ。
「…………」
しばしの沈黙。
やがて、幾つものうめき声が聞こえてきた。
サラをそっと寝かし、ビンセントは立ち上がる。
「――――!!」
思わず息を呑んだ。
額から流れる血を抑えきれない者。
手足があり得ない方向に向いている者。
腹に大穴が空いて虚しく宙を引っ掻く者。
そして、大半の者はピクリとも動かない。
「い、痛い……」
「ああああ脚が……!」
「か、母ちゃん……」
「た、助けてくれ……! 許してくれ……!」
目を背けたくなる地獄絵図だ。
マーガレットは尻もちをつき、自分の両肩を抱きしめて小刻みに震えている。
どうやら怪我は無いらしいが、顔面は蒼白だ。
やはり刺激が強かったらしい。
ククピタの時とは違い、相手との距離がかなり近い。
顔面を血だらけにした指揮官と目が合った。やはり、知った顔だ。
「――アダムズさん……?」
間違いない。近所の下級貴族の次男坊だ。
祖父の代からの、ビンセント薪店の顧客でもあった。
現在でも、毎週父が薪の配達に行っているはずだ。
エリックは首を傾げた。
「ずいぶん生きているヤツがいるな? ……なるほど、土嚢か」
土嚢が盾になって即死を免れた者がかなり居るらしい。
土嚢は銃弾をも受け止める。原始的だが、防御には必需品だ。
ビンセントも一日中土嚢に土を詰める作業を繰り返し続けた日々があった。
「やれやれだな」
ポケットに手を入れたまま、エリックは右手をかざす。
新たな魔法陣が宙に浮き上がった。色は赤。炎の魔法の準備動作だ。
エリックほどの実力者であれば、魔法陣も呪文の詠唱も必要ない筈である。精度を上げて一人ずつ狙い撃ちにするつもりだろう。
「待て!」
「……なんだ? ビンセント」
「もう……じゅうぶんでしょう!」
エリックは眉間に皺を寄せた。
「お前まさか、こいつらに情けをかけようってんじゃないだろうな? 俺達を殺そうとした相手だ。生きて返せば、必ず禍根を残す事になる。俺達の任務を忘れるな」
ビンセントは立ち上がった。
「そ、それはそうですが……!」
「俺達の任務は何だ? 使命は何だ? そのために必要なことは何だ? そんな甘いことを言っていれば、死ぬのは自分だ。お前が一番よくわかっているんじゃないのか?」
「確かに、そうなんですが……!」
「そもそもお前が言うな、って話だ。お前、今までに何十人、いや何百人殺してきた? 敵だから良いのか? だったらこいつらも敵だぞ」
「…………」
「どうしたんだ、お前らしくもない。以前のお前なら、躊躇なくやったはずだ」
一切の反論ができない。
エリックの言うことは、全て正しかった。彼らを殺すのが正しい。
いつからだろうか。人を殺すことに躊躇を覚えるようになったのは。
個人的にはアダムズは必ずしも仲が良かったとは言えないが、店と客としては昔からの付き合いだ。
結婚してもうすぐ二人目の子供が生まれると聞いている。
以前帰省した時、偶然道で会ってその時に聞いたのだ。
その時、アダムズはかつての態度を詫びた。
安全な王都の部隊に配属となったらしく、最前線のリーチェで戦うビンセントを気遣ってくれたのだ。
膝が震える。何よりも。アダムズは。
ビンセントの初恋の女性である、アナの夫だ。
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