第126話 兄貴とオレの悩ましき日々 その二

 ハンドルを握るエリックが、バックミラー越しにビンセントを見てきた。


「おいビンセント、お前さっきから何を読んでいるんだ?」


「マーガレット・ウィンターソン先生の新作です」


 ミラー越しにエリックの眉間に皺が寄るのが見えた。


「まさか、男同士の恋愛ものじゃないだろうな」


「仰る通りです」


「……お前、二度と俺の前に現れるな。目障りだ」


「ご勘弁を」


 本音を言えば、ぜひともそうありたい。正直を言って、エリックは苦手だ。

 好き嫌いに理由など無いのだろうが、嫉妬という言葉は使いたくない。

 エリックはビンセントに無いものを、全て持っている。

 顔もよく、大金持ちの貴族で、ひたすら女性にモテる。

 その上、ローズという美しい恋人がいるのだ。

 カスタネでの夜会の後、食堂のトイレでの出来事は間違いなくトラウマだ。

 

 マーガレットは相変わらず黙っている。ビンセントは原稿を読み進めた。


 小説の内容はこうだ。


 貴族の主人公は、魔法の才能がまるで無かった。

 そこで父親の親友の息子を紹介される。

 同い年のその少年は、天才だった。

 生後一年で言葉を覚え、三歳までには家中の魔術書を読破、高度な魔法を使えるようになっていたのだ。

 小学校に入る頃には、小遣い稼ぎと称して親に内緒で冒険者をやっていたという。

 彼の指導は適切で、主人公は程なくして魔法を使えるようになった。

 主人公の父親が外国に赴任する事になり、二人はしばし別れることになる。

 しかし、互いの両親は子供たちを結婚させようと話していた。


「…………」


 致命的に矛盾した設定である。

 この作品に女性キャラクターは登場しない。結婚など不可能だ。

 少なくとも、エイプル王国の法律ではそうなっている。

 原稿と一緒に渡された赤鉛筆で、その旨を記入した。


 なお、かつては貴族は貴族同士、平民は平民同士でしか結婚できなかった。

 しかしジョージとマリア王女を結婚させるために先王が法律を変え、現在では身分を問わず結婚することが可能だ。

 少なくとも法律上はそうなっている。

 しかし、なぜか同時に一夫多妻制が解禁され、平民男性の生涯未婚率は跳ね上がった。

 貴族の男性のもとに平民の女性が殺到したのだ。


 ページをめくる。


 二人が婚約関係にある事を知ったのは、王立学『園』に入った年だった。

 当初主人公は反発したが、彼の人柄に触れるうち、徐々に惹かれていく。

 しかし、勝手に決められた結婚などまっぴらだと強がり、主人公は逃げるように外国に留学するのだった。


「…………?」


 ビンセントは首を傾げる。

 どこかで聞いたような話だ。

 そう、例えば助手席で頬杖を突いている人から。

 まさか、と思いつつページをめくる。


 帰国した主人公に告げられたのは、彼からの一方的な婚約破棄だった。


「…………」


 間違いない。

 主人公のモデルはマーガレット、相手の男はエリックだ。

 王立学園は王立学院。主人公の親友はイザベラだろうか。

 ページをめくる。


 彼を忘れるために、当てつけとして主人公は平民の男に接近する。

 平民の男は親友のお気に入りだったが、主人公の無茶な要求によく応え、獅子奮迅の活躍で盗賊に襲われていた村を救う。

 彼こそ間違いなく英雄、勇者と言って良い。

 主人公は心奪われ、その平民の妻になっても良いとすら思っていた。


「…………」


 後半になると、もうマーガレット自身、ホモ本という設定を忘れているようである。

 なにせ主人公の親友はイザヤという男のはずなのに、一部の場面で普通にイザベラになっている。

 徹夜をすると、こういうことになる。

 念のため赤鉛筆でチェックするが、どうやらこれは出版を前提とした作品では無さそうだ。

 ページをめくる。


 元・婚約者には新しい恋人が居た。

 彼への想いは、とっくに振り切っていたはずだった。自分自身、心からそう思っていた。

 しかし、元・婚約者と新しい恋人が寝室を共にしている所に出くわしてしまう。

 その現実を受け入れられず、主人公は親友に泣きついてしまう。

 親友は相手の男に殴り込みをかけるが、返り討ちにあって戻ってくる。


「…………」


 このくだりは知らない。

 さらにページを進める。


 戦地へと向かった平民の男を追って、親友は姿を消す。

 残された主人公は、男の本命の恋人から驚愕の提案をなされた。


「?」


 先程出てきた恋人とは別人らしい。

 気になってページを遡るが、やはり別人だ。名前も口調も、外見の描写も異なる。


「!!」


 本命の恋人は、男のハーレムに加わることを提案してきた。

 彼こそがこの国の王に相応しいとして、女たちは手下の兵士を動員し、クーデターを起こして王女を追放したのだ。


 男が主人公との婚約を破棄したのは、女たちの不穏な様子に気付いて主人公を遠ざけるため。

 加えて、主人公の父親が衛兵隊の総司令だったからだ。


 全ては、その男のために。

 もうすぐ男の誕生日だ。

 女たちは、サプライズプレゼントとして玉座と王冠を用意することにしたのだった。


 悩んだ主人公は、今までのことを手紙にしたため、偶然再会した平民の男に渡す。


「……………………」


 そこで物語は終わっていた。

 全身に冷や汗が流れる。


 つまり。


 クーデターを起こしたのは。


 正面に目をやる。

 エリックは我関せず、とハンドルを握っていた。


「……………………」


 エリックの本命の恋人といえば、やはりローズと思われる。

 たくさんの恋人が居るらしいが、そう思ったのはカスタネで最初に入った食堂。

 そこに飾られた絵のモデルが、ローズだからだ。

 それだけではない。クーデターの中心人物もローズだったらしい。

 エリックをこの国の王にするため。

 ビンセントは生唾を飲む。


 実際、エリックは関係しているのだろうか。

 そこは書かれていない。サプライズを狙っているのであれば、知らない可能性もある。

 しかし、本当に無関係で何も知らない、ということはあるだろうか。

 さすがに不自然だ。


 エイプル王国正統政府は、あろうことかクーデターを起こしたマイオリスの事実上の首領を、王女の護衛にしてしまったということになる。

 つまり、マイオリスとはエリックのハーレムメンバーが中核となった組織だ。


「…………」


 歯の根が合わない。

 周囲は森。

 急角度のつづら折りが続く。

 ムーサへ至る最後の峠道を下りに入った所だった。


 極めて楽観的な予想、あるいは願望とは、エリックは無関係であり、おイタをした女たちを諌めること。


「…………」


 あり得ない。

 そんな話は都合が良すぎる。


 しかし、今までに出会った貴族たちは、前線の常識からは信じられないほどに呑気だった。

 今日と同じ明日が、いつまでも続くと何の疑いもなく信じていた。

 彼らだけが悪いわけではない。

 情報を操作し、呑気なニュースを発信した者にも責任がある。


 だが、果たして……。




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