第124話 もう一人の召喚者 その二
三人並んでソファに腰を降ろす。
先生がテーブルに並べたのは、コーヒーでも紅茶でもない。ハーブティーらしく、独特の良い匂いがする。
「そちらの二人は初めてね。私はヤスコ・ニシナ。以前、チェンバレン家のお嬢様の家庭教師をしていたことがあるわ」
「ニシナ、だとー?」
サラが反応した。
「父様の残したメモに度々出てきた名前だなー。父様が手篭めにしようとして失敗したって話だなー」
英雄色を好む、だろうか。
先生の年齢からみて、相当な年齢差のはずだ。
「そうよ、サラちゃん。あなたが来るのを待っていたの。譲二が亡くなった報せを聞いた、その日からずっとね……」
そこでヤスコはカップを置く。
視線を下ろし、髪をかき上げた。
「本当はあなたが戴冠を済ませて女王になった時、こちらから伺う予定だったのよ。でも、クーデターで王城を追われたって、もっぱらの噂でしょ。それに、ブケートの町にリーチェを追われた兵隊さんがたくさん来て……戦況も芳しくないみたいで、もう会えないかも、と思っていたの」
もう、先の事は何もわからない。
情報を制限された一般市民とあっては、その不安も計り知れないだろう。
ヤスコはビンセントとマーガレットを交互に見た。
「今から、少しぶっ飛んだお話をします。でも、私はサラちゃんにお父様の事を話すのよ。余計な茶々は入れずにいてもらえると助かるわ」
ビンセントは黙って頷く。マーガレットも同様だ。
ヤスコは静かに話し始める。
すなわち、ジョージ王は本名を栗栖譲二といい、地球に住む平凡な一般人だった。
三十年前、マリア王女の魔法でフルメントムに召喚された譲二は、魔法陣を通して地球と通信可能だったノートパソコンを使って、様々な情報と知識を取り寄せた。
キャロラインから聞いた話と重なる。
当時は半信半疑だったが、別の口から同じ話を聞くとがぜん信憑性が増してくるものだ。
「私もね……地球人なの」
ヤスコは地球の学校に通う、ごく普通の少女だった。
同級生からの心無いいじめと失恋が重なり、落ち込んでいた所にとどめを刺す出来事が起こる。
父親の失業だ。
地球でも労働者は消耗品として酷使され、使い潰されるのは同じらしい。
ヤスコはアルバイトで家計を支えようとしたが、父親はなかなか次の仕事が決まらない。
会社の面接を何度受けても仕事が決まらない父は、やがて酒浸りの日々を過ごすようになっていった。
やがて母親は男を作って家を出ていき、学費は滞納、アパートの家賃も払えなくなり、毎日督促状が届く日々。
「ある日、私のSNSアカウントに譲二からメッセージが届いたの。異世界行きませんか、って」
全てに絶望したヤスコは、譲二とのやり取りで異世界に希望を見出した。
指定された時刻、指定された場所に赴くと、足元に魔法陣が浮かび上がり、気がつけばエイプル王国に来ていたという。
ヤスコを出迎えたのは、エイプル王国の王となっていた譲二。
「彼がこちらに持ち込むように指定したのは、スマートフォンやタブレットの類ね。さすがにコンピュータはこちらでは作れないし、壊れたら修理もできない」
「基礎工業力のちがいだなー」
「そうよ。これが実物」
ヤスコは机の上の宝石箱を開くと、古ぼけた手のひらほどの手帳を取り出した。
いや、手帳ではない。
革の表紙を開くと、そこには黒いガラス板があり、端に丸いボタンが付いている。
ヤスコがボタンを押すと、見たこともない文字が浮かび上がり、やがていかにもくたびれた中年男性の姿が写った。
総天然色の写真だ。現在の技術ではカラー写真は実用化できていない。
地球の技術力で作られた物であることは間違いない。
男の肌や髪の色は、ヤスコと同じ。
服装はスーツにネクタイだが、こちらと細かい色や形状が異る。父親だろう。
ヤスコがガラス板の上で指を滑らせると、別の写真が出てきた。
町並みの写真だ。
見たこともない超高層ビルや、斬新すぎるデザインの自動車が写っている。
看板や標識には、見たこともない象形文字が書かれていた。
ふと本棚に目をやると、同じような文字で書かれた背表紙があった。
「日本語よ。私の国の文字……」
ヤスコの話の通りなら、地球とはこんな物を一介の女学生が持てるほど科学文明の進んだ世界らしかった。
しかし、決して楽園ではないらしい。
指を滑らせるごとに、写真は次々と切り替わっていく。
静かな森。
微笑みを浮かべたな黄金像。
不思議な雰囲気を漂わせる、神殿のような施設。
整った形の美しい山。
どこまでも続く、夕日に輝く海。
お馴染みの料理が映った。
ハンバーグやオムライス、カツ丼などだ。
「料理はね、けっこう再現している人がいるの。お米があるのは嬉しいわね……あ、ごめんなさい……」
ヤスコはハンカチで目元を拭った。
「!?」
不意にブザーが鳴り出し、乾電池のような絵文字が浮かび上がった。
赤く点滅している。
「電池切れよ。リチウムイオン電池も、使うたびにどんどん劣化していくから。寿命ね」
きれいな国だった。
文明も進んで、豊かな自然に囲まれた、楽園のような世界に見えた。
しかし、決して楽園ではないらしい。
ヤスコは、そこから逃げたくて仕方がなかったという。
「……初めは私も、お伽噺みたいな剣と魔法の世界に胸踊っていたのだけれど、……変よね、いつの間にか地球の事ばかり考えるようになってたの。中でも……向こうに残してきたお父さんの事が、心配でたまらなくなって。変よね」
ビンセントは、とても笑う気になれなかった。
リーチェの塹壕の底でも、両親と妹の事を忘れたことは一度たりともない。
「譲二も本心では帰りたかったのでしょうね。でも、王様になっちゃったから、そうも行かない。だから私を呼んだのよ。地球の女と会いたがったのね」
「……好みじゃなかったのかー?」
「ええ。私、年下にしか興味ないの。譲二はもう、けっこうオジサンだったから」
結局、ヤスコは地球に帰れなかった。
「理由はいくつかあるわ。まず、転移魔法に使う魔石が、ほとんど採れなくなってきたの。それから譲二に従って、召喚魔法を使っていたロッドフォード卿が病気で亡くなったのよ。後継者となる子供たちは、まだ小さかった」
キャロラインとジェフリーの事だ。
現在ではすでに魔法を習得しているようだが、魔石の不足は如何ともしがたい。
「やがて、サラちゃんが産まれて。譲二も腹をくくったのか、もう地球のことは口にしなくなったの。私はお城を出て、自由気ままに振る舞ったわ。漫画はまだ珍しかったけど、私の数少ない特技だったから。私は工業の近代化には不要な存在だった、というのもあるわね」
そして、紆余曲折を経てチェンバレン家の家庭教師となっていたようである。
それこそお伽噺のような恋物語の末、嫡男のスティーブと婚約が決まったそうだ。
未来の伯爵夫人である。
「その時、スティーブは――」
「そこで私は――」
出会いから婚約に至るまでの波乱万丈の物語は、あまりの甘さに胃がもたれそうになる。
マーガレットとサラはうっとりとその話を聞いていた。
「だから、私は帰れなくても平気なの」
ヤスコは微笑んだ。強がりなのか、本心なのかはわからない。
百戦錬磨の恋愛のプロの心情は、ビンセントのような素人には測りようがなかった。
「後で知ったんだけど、譲二の口利きがあったみたいね。チェンバレン伯爵は譲二の臣下だったから。手の届く所に置いておきたかったのかしらね」
そこまで言うと、ヤスコはカップのお茶を飲み干した。
すでに完全に冷めているだろう。
「サラちゃん、いつかフルメントムに行きなさい。ロッドフォード家の人を連れてね。廃坑に譲二の遺言があるわ」
◇ ◇ ◇
車に戻ると、エリックは本から顔を上げた。
「……もういいのか」
「ええ」
「なら、とっとと乗れよ」
三人は自動車に乗り込む。
エリックの運転はプロも顔負けだが、今回はなぜか酷く荒い。
「どうかしたんですか、エリックさん」
「……俺は、あいつが嫌いなんだ。やっぱり、寄るんじゃなかったぜ」
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