第122話 葛藤 その二
ビンセントはカーターに無理矢理連れ出され、近くの酒場に来てしまった。
サラも一緒だ。
リーチェから撤退してきた将兵はブケート守備隊に合流し、町の人口は急激に膨れ上がった。
一軒しかない酒場は想定外の大繁盛である。
しかし、さすが侯爵で大佐だけはあり、兵士たちが座っていたテーブルを空けてくれた。
職権乱用だ。
「何でも好きな物を頼めッ! オレの奢りだッ!!」
「そうだな、スパゲッティでも頼もうか」
「炭水化物はダメだッ!! 鶏肉にしろッ!」
好きな物を頼め、と言われたような気がするが、気のせいだったらしい。
結局カーターが全部頼んでしまい、まるでスポーツ選手の食事のような料理が次々と並ぶ。
鶏肉料理がお好みなのは知っていたが、それはカロリーが低く高タンパクだから、らしい。
好みよりもトレーニングの効率を優先する、狂気にほかならない。
ビンセントとて嫌いではないので、特に異論はないのだが……。
「俺さ……このままで、良いのかな?」
「ダメだッ! 筋肉が足りんッ!」
カーターは力瘤を見せつけてくる。構わずにビンセントは続けた。
「カスタネを襲って落下傘で脱出した操縦士を、殺せなかった。以前は、こんな事無かったんだ。……どうかしちまったのかな、俺」
「ふむ」
カーターは腕組みをすると、少し考える仕草をした。
不本意ではある。
遺憾でもある。
しかし、ビンセントに悩み事を相談できる相手というのは、カーターくらいしか居なかった。
「相棒、お前さァ……」
「うん?」
「死ぬの、怖くなっただろ? だから殺すのも躊躇するんだ」
確かにそうだ。
誰もが声も上げずに死んでいく中、いつか自分自身も死んでいくもの、と達観していたはずが、いつの間にか死ぬのが怖くなってきている。
「…………」
黙るビンセントに、カーターは続けた。
「良いんだぜ。何もおかしい事じゃねぇ。誰だって本当は、殺し合いなんかやりたかねぇんだ。つまり、お前さんは命の価値に気付いた、って訳よ」
「命の……価値?」
「ああ! 『使い捨ての消耗品』を卒業したのかもな! 一見弱くなったように見えても、別方向に強くなった訳だぜ!」
「…………」
カーターの言うことは、正直を言うとよくわからない。
しかし、明確な説明はできないが、とてもしっくり来る言葉だった。
カーターは鶏の足を掴むと、勢い良く齧りつく。
「自分を大事にしねぇで、何を守れるよ!? このおチビちゃんも守らなきゃな!」
カーターはプチプチと枝豆を食べ続けるサラの頭を撫でる。
皿の上には枝豆のサヤが山を作っていた。
「言うじゃないかー、エラくなったものだなー?」
「コイツぁ失礼しました、ハッハッハ!」
口ではそう言いつつも、カーターは笑顔を崩さない。まるで反省していないのは明らかだ。
照明を浴びて白い歯が光る。
「わたしだって、いつまでもおチビちゃんじゃないからなー? おまえはおまえで好きなように生きるがいいよー」
サラはビンセントの頭に手を乗せる。
優しく撫でてくれるが、その手は鶏肉の脂でギトギトだった。
「なあ相棒、さっきの続きだ。オレはなぁ、死ぬんなら試合会場のスポットライトを浴びながら、と決めているんだ」
「…………?」
「最後の最後まで、ボディビルダーとして戦う! これがオレの生き様だッ! だからソイツも、死ぬんなら空の上で、と思っているはずだッ!」
余談だが、カーターは筋肉と魔力が比例すると考えているフシがある。
複数の研究者から明確に否定されているはずだが、カーターの魔力は実際に鍛錬に応じて伸びているそうだ。
精神的なものが大きいのだろう。
「次に会ったらよ、遠慮なく撃ち落とせッ! 身体を鍛えれば訳はないッ!」
そう言うと、カーターのタンクトップはプチプチとほつれはじめた。
座りつつも全身の筋肉に力を入れているらしい。
血管が浮き出る。
「そうだな……ありがとう」
本当は他にも相談したいことがあった。
しかし、サラの前では言いづらい。
「ブルースー、おまえさー、他にも悩んでるんだろー?」
「な、何の話ですか」
「この国に、守る価値があるのか、ってことだよー」
「…………」
サラは不安げな瞳で鶏の骨を弄ぶ。どうやら、全てお見通しだったらしい。
さすがに一国の王女である。少しだけ不安そうな顔をしていた。
「ハッハッハ、相棒、どうした?」
カーターがバンバンと背中を叩いてくる。痛い。
「さっきの話と同じだぜ! 迷ったら、原点に立ち返れ! ご両親と妹さん、そして美しい筋肉のために戦う価値は十二分にあるッ!」
ビンセントは顔を上げる。
「それだけじゃ足りないか? だったら加えて、ビンセント薪店のために戦えッ! ムーサの町ために戦えッ! オレとサラさんとイザベラさんと、マーガなんとかのために戦えッ! 死んだ戦友の想いを背負って戦えッ! お前の筋肉のために戦えッ! オレはッ!」
カーターはビンセントの肩を抱き寄せる。汗臭い。
「お前と! エミリーや教会のガキども! そしてオレの筋肉のために戦ってきたし、これからもそうするぜッ! 細かいことは戦争が終わってから考えろッ!」
あまりにも、あまりにも暑苦しいカーターの熱弁に、ビンセントの心は動かされつつあった。
カーターは確かに頭がおかしいが、その全てが間違っている訳ではない。
筋肉云々を抜きにすれば、確かに誰よりも貴族らしいかもしれない。
ノブレス・オブリージュ。
カーターは確かに実力と実績が伴っている。
「…………」
かと言って、素直に肯定するのは憚られた。
それを正直に言ってしまうと、筋トレとプロテインの摂取を強要されてしまう。
カーターは取扱に注意の必要な男だった。
「ま、参考にするよ。ありがとな」
「オウケイ!」
真っ白な歯が再び光った。
少なくとも、今は。
同じテーブルで枝豆と鶏肉、オレンジジュースを楽しむ小さな王女のために戦うべきだ。
「……いいんだよな、これで」
ビンセントはコップに注がれたオレンジジュースを飲み干した。
「あ、あの……」
松葉杖をついたハットン上等兵がテーブルに現れた。
跪こうとするが、脚を怪我して上手くいかないようだ。
「そのままでいいよー」
サラが言うと、ハットンは姿勢を正す。
「王女殿下ッ! 自分は、ハロルド・ハットン上等兵であります! お受け取りくださいッ!」
そう言うと、ハットンは深く頭を下げ、一通の封筒をサラに差し出す。
ビンセントは息を呑んだ。これは直訴だ。
王族に対する直訴は、内閣を相手にしない、という意思表示である。
ジョージ王登場以前であれば、死刑になってもおかしくはなかった。
「おー」
しかしサラはあっさりと受け取ってしまう。
そのまま何事もなく封を切って中身を読む。
「……………………」
周囲に凍り付いた空気が漂う。
確かに新首相であるジェシー・ロイの評判は悪く、同盟国オルス帝国の参戦を招いた。
エイプル王国は孤立しており、建国以来の危機だ。
サラによる親政を望む声も多い。
「つまりだなー、ハットンー」
「ははあっ!」
ハットンは頭を更に深く下げる。
脚が健常であれば、五体投地をしていただろう。
「気持ちはうれしいけどなー、ロリコンはヘンタイだからなー?」
「しかし! 自分は今現在の殿下を、心より敬愛しております! お子様だから良いのですっ! 大人の女性ではダメなんです! 生えたらもう駄目ですっっ!!!!」
「病院行こうなー?」
◇ ◇ ◇
カーターはビールのジョッキを掲げると、大声で叫んだ。
「サァみんなッ! エイプル王国に乾杯だッ!!」
いつの間にか始まった大騒ぎの宴会は、深夜まで続いた。
割れた窓からの、少し冷たい夜風も心地よい。
カーターによって窓から放り出されたハットンは、涙を流しながら翌朝までそこで眠り続けた。
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