第121話 葛藤 その一

「……………………」


 マーガレットは言葉を飲み込んだ。

 宿はリーチェから退却してきた二十連隊の幹部や士官がほとんど占拠しており、確保できた部屋は一つしかなかったのだ。

 室内にはベッドが二つ、机が一つ。


 ちら、と視線をエリックにやる。

 彼はベッドに腰掛け、読書に耽っていた。

 長い睫毛が時折揺れる。

 視線に気付いたのか、エリックは顔を上げた。


「どうした? マーガレット」


 あの夜、エリックの部屋に行かなかったことについて、彼は何も言わない。

 飛行機が不意に襲ってきたので、仕方がないと思っているのだろう。

 実際には、マーガレットは冒険者ギルドで平民に混じって安酒を煽りながら、朝まで過ごした。

 目が覚めるとなぜか奥の事務所で、半裸の受付嬢が光の消えた目で床を眺め続けていた。 理由はわからない。


「ううん、何でもありませんわ。ちょっと買い出しに」


 マーガレットは目を逸らし、廊下に出る。

 少し不自然だったかもしれない。

 しかし、二人っきりというのはとても耐えられなかった。


 足早に廊下を歩くと、曲がり角で男とぶつかりそうなになる。

 ビクター・ヨーク少尉だった。


「し、失礼」


 目を逸らし、冷や汗を浮かべながら通り過ぎようとするヨーク少尉の腕を掴む。


「な、何ですか。ボクはこれから報告書を……」


 顔中に、いや全身からほとばしる『嫌なやつに遭った』感。

 ある意味では当然かも知れない。

 マーガレットは以前、彼と婚約者のジャスミンをモデルに『兄貴とオレの優雅なる日々』を書いている。

 ジャスミンには比較的好評だったが、キャラクターの性別を変えて男同士にしてしまったため、ヨーク少尉からの評価は決して高くない。

 前半三分の一で挫折したらしい。


「ビクター、少し付き合いなさい」


「うへぇ…………」


 ◇ ◇ ◇


 代用品のタンポポコーヒーを飲み干すと、ヨーク少尉はカップをテーブルに静かに置く。

 宿からほど近いカフェ。夜間はバーとして営業しているこの店は、兵士や士官でごった返していた。

 酷い喧騒だが、このブケートの町には他の選択肢が殆ど無い。


「いや、それはどうなんですか。頭大丈夫ですか?」


「……だったら何ですの。お人形で遊んでいるくせに」


「そ、それは関係無いでしょう。今はあなたの話をしているんですよ」


 マーガレットは、ヨーク少尉に反論できなかった。

 つい無関係な個人攻撃に走ってしまう。


「ボクは関係ないっちゃ関係ないんですけどね、絶対良くないでしょうね」


「……………………」


「色々あって混乱しているのでしょう。でも、あなたは思考を整理するのに最適な方法というものを持っているはずだ」


「思考を……整理?」


 ヨーク少尉は手近な兵士を呼び止めた。


「エイリー。ちょっと来てくれ」


「はっ」


 エイリーと呼ばれた兵士は、髪が長くスマートで、どう見ても女にしか見えないが、喉仏があるし声も低い。

 階級は上等兵とのことである。


「彼女の部屋にタイプライターを届けてくれ。紙とインクリボンもな」


「かしこまりました」


 ◇ ◇ ◇


 エイリー上等兵が抱える機械は、タイプライターといって鍵盤を押すだけで紙に文字を書ける便利なものだ。

 これもまた、科学文明の産物である。

 以前から同様の装置はあった。

 しかし、それは魔力を持たない者には使えないマジックアイテムであった。

 ジョージ王……あるいは他の誰かかもしれないが、地球の技術で機械じかけの誰にでも使えるものが登場し、魔法仕様は博物館や一部のコレクターが保有するに留まる。


 エリックと同じ部屋であれば、些か集中し難い。

 カーターに頼み込んでどうにかしてもらうしかないが、廊下でエリックと鉢合わせる。


「俺は用事ができた。朝には戻るから、部屋はお前が使え。じゃあな」


 足早に去っていく。

 マーガレットにとっては好都合だ。

 カーターあたりに頼んで場所を確保してもらう腹積もりだったが、そのまま自分の部屋を使える。


「こちらの机でよろしいですか」


「ええ、構いませんわ」


 エイリー上等兵は手際よくタイプライターをセットすると、敬礼をして部屋を出て行く。

 マーガレットはドアに鍵を掛けた。

 ビンセントとサラは、カーターの部屋に泊まるので問題はない。


「さて……と」



 ◆ ◆ ◆



 カーターの部屋は、豪勢にも個室であった。

 ごく普通の宿の一室のはずだ。

 しかし、なぜだろうか。何か違和感がある。


「…………」


 違和感の正体は、壁に飾られた額絵だ。

 ボディービルの何とかというポーズを取った、筋肉モリモリマッチョマンの肖像画である。

 無駄に上手い。鉛筆で精密に描かれた絵は、写真と見まごうばかりである。

 作者のサインは、『カーター・ボールドウィン』。

 元々飾られていたらしい、花瓶に活けられた花の絵は、棚の上に無造作に置かれていた。


 驚くべき点はそれだけではない。

 カーターの絵には『売約済み、手を触れないでください』と書かれた紙が貼ってあった。

 世の中には色々な人がいるものだ。


「オレたちの再会も、きっと運命だったんだ。初めて会った時だって――」


 カーターは遠い目をするが、ビンセントは当時の記憶があまりない。

 半ば無意識に行動していたのだろう。

 サラは興味深そうな視線を向けてくる。


「あの時、オレはバカだった。筋肉こそが全てで、それさえあれば何でも解決すると思ってたんだ」


 今とどう違うのかと思ったが、ビンセントは黙って話を聞く。


「今とどうちがうんだよー」


 しかし、サラが代わりに言ってしまった。

 サラはビンセントの膝の上に乗り、豆菓子を喋んでいる。


「相棒が財布落としたぞ、って言ったからオレは身を屈めたんスよ。そしたら、ちょうど頭のあった位置に銃弾が刺さったんす」


「ほほー?」


「そんなことも、……あったか?」


「おうよ! お陰でオレは命拾いしたって訳よ! お前は当時ガリだった。今もそうだが、ガリに命を救われたんだ! わかるか? オレのショックがよ!」


「アホだなー」


 サラは笑っていたが、その時を境にカーターの態度は変わったのは間違いない。

 尊大でこちらを見下ろしたような雰囲気が無くなったのだ。

 時を同じくして、カーターはビンセントを相棒と呼びはじめた。

 しかし、その少し後の毒ガス攻撃の印象があまりにも強く、忘れていたらしい。


「筋肉だけが全てじゃない、と思ったよ。だがな、それはオレの過去を否定する事にはならないって訳よ!」


 ビンセントは顔を上げた。

 何かが、引っかかった。それは、決して悪いことではない。

 ヘドロの底に沈んだ心に、水面から垂らされた釣り針が引っかけられたかのような、そんな気分だった。


「確かに筋肉は素晴らしいッ! オレは当時も今も、そう思っているッ! だが万能じゃねぇ! 筋肉でどうにもならない問題は絶対にあるんだッ!! お陰で視野が広がったぜ!」


「それはそれ、これはこれ、って訳かー」


 どこかで聞いた言葉だ。

 具体的には父親の他、野ションしていた女を助けた時に、ビンタされながら聞いた言葉だ。


「…………なるほどな」


 カーターは満面の笑みで新しいポーズを披露した。

 背中を反らしながら右の拳をズボンの前ポケットに入れ、そのまま上へ突き上げるというオリジナルの技らしい。

 サラが膝の上で手を叩く。


「キレテルー」


 自慢の大胸筋がピクピクと動いた。


「さあ相棒! お前もボディビルダーになるんだッッ!!」


「いや、それは無理」


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