第120話 ブケートの戦い
ブケートの町にある宿屋。
隣の空き地に男たちは集まっていた。
ブケート守備隊主催の腕相撲選手権は順調に進み、今まさに決勝戦の最終試合が始まろうとしていた。
樽を使った簡易テーブルを全員が固唾を呑んで見守っている。
二人の筋肉モリモリマッチョマンが身体を解しながら向かい合っていた。
「互いに一勝一敗だ。次でケリが付く。ヨーク少尉、お前の予想は?」
真剣な表情で腕組みをするチェンバレン中佐に、若干引きながらもヨークが答える。
「そうですね。俺の立場としてはタリス軍曹を応援したいところですが、純粋に予想となると……」
「ボールドウィン大佐、か」
ヨークは頷く。
「あの人は無茶苦茶です。筋肉のことしか頭にない。家に帰れば、妻と子供たちが待っている普通のお父さんであるタリスに、果たして……」
「さあな。だからこそ、負けられない戦いというものもある」
固唾を呑んでその時を待つが、不意にチェンバレン中佐が立ち上がる。
「おっと、そろそろ時間だ。侯爵に何か言われたら、試合は最後まで見たと伝えろ。感動したとか、なんかそれっぽい事を言っておけ」
「は、はあ。お気をつけて」
チェンバレン中佐も、本音では興味が無いらしい。
王都の参謀本部からの呼び出しである。
ブケートまではどうにか鉄道が運行しており、従兵のマッキーとともに足早に駅へ向かった。
数日で戻るはずだが、政情不安な現状である。帰還予定は未定であった。
形式上ボールドウィン大佐が司令官代理となるが、実際の指揮はタウンゼン少佐が取ることになる。
ボールドウィン大佐は侯爵だが、父親がスキャンダルでお家取り潰しとなり、平民として育った。
軍での経歴も、ごくごく一般的な兵士。それも輜重兵である。
指揮能力は全く無いし、その必要もない。
むしろ指揮官としては疑問符がつく。いや、人間として疑問符がつく。
筋肉こそ至高。筋肉こそが美しい。頭がおかしい。
おかげでヨーク自身が結果を見届ける羽目になった。
もちろん、ヨークとて本音では興味がない。
ただし、ボールドウィン侯爵を嫌っている訳ではない。
彼は筋肉至上主義という歪で汗臭く暑苦しく迷惑な価値観以外は、極めて常識的な好青年であった。
「おっさん、筋肉で俺に勝とうって発想がまずおかしいぜ。オレは『無敵の』カーター・ボールドウィンだ」
指を鳴らすボールドウィン大佐に、タリス軍曹は余裕のある笑みを返した。
「ふふん。あんたはつい先日まで平民だったはずだ。つまり、俺と同じ条件だ。ならば、俺の方がトレーニングにかけた時間は長いんだぜ」
「それはすなわち歳を考えろ、ってことだ。違うか?」
「ふふふ……若造が。アンタが『無敵』なら、さしずめ俺は『最強』ってところだ」
二人は樽の上で手を組む。
松葉杖をついたハットン上等兵が、その上に右手を重ねた。
「これで最後です。お二方、準備はよろしいですね?」
「たりめーよ! 早くしてくれッ!! なんか出そうだッ!!」
ハットンはカーターから一歩引いた。慌てて二人の拳から手を離し、尻を押さえている。
杖がなければ転倒していたかもしれない。
顔は若干青ざめ、目には涙が浮かんでいた。
「ち、違うんです! お、俺、そんなつもりじゃ……!」
「いいから早くしろッ!! たぶん心配は要らん! と思う!」
そこは断言してほしかった。何の心配かは考えないのが幸せだ。
タリス軍曹の剣幕に押され、ハットンは続ける。
「レディ……ファイッ!」
二人の腕に血管が浮き出し、顔全体を真っ赤にして腕相撲は開始された。
筋肉と筋肉のぶつかり合い。
腕力のみが全てを支配するこのフィールドで、今二人の全力がぶつかる。
「ぬおおおおおおあおおあああああぁああぁぁぁッッッ!!!!」
「うらあああああああぁぁぁぁあああああぁぁぁッッッ!!!!」
この戦いに、参加者総勢六十人から集められた銀貨がかかっている。
誰しも腕自慢ばかりだったが、この二人の前に全員が十秒と持たずに敗れた。
それほどに二人は強かった。
とはいえ、ヨークはあくまでも付き合いと割り切っていたし、同様に考えて参加した者も多いだろう。
「ヤバイヤバイヤバイッ!! もう出る、マジで出りゅうううううう!!」
「ん゛あ゛ああぁああ出る出る出る出るッ!! あっ、あっ、アッー!!」
ナニが出るのかは、深く追求してはいけない。
なんかこう、『気』的な何かだと思う。そう信じたい。
タリス軍曹は平民であり、魔法が出ることは無いという事実は置いておく。
『無敵』と『最強』の戦いらしいが、『最低』と『最悪』の方が似合っている。
「キモいですわね、相変わらず」
「なーーーーッ!?」
派手な音を立ててテーブルにしていた樽が砕け、結果は引き分けとなる。
氷のように冷めた目をした巻き毛の女が二人を見下ろしていた。
「なんでアンタがいるんだッ! マーガレット・ウィンターソンッ!!」
「ごきげんよう。ブルースとサラ様も来ていますわ。……ついでにエリックもね」
エリックと呼ばれた男はポケットに手を入れたまま、立木に背を預けていた。
「や、やべっ」
マーガレットはまだヨークに気が付いてはいない。
物音を立てないように気を付けながら、その場を離れようとする。
またホモ小説のネタにされてはかなわない。
「お久しぶりですわね、ビクター」
「…………ど、どうも」
見つかった。
◆ ◆ ◆
「ビンセント、よく生きていてくれた。素直に嬉しいぞ」
「はっ、隊長もご無事で何よりです。ただ――」
ビンセントはヨーク少尉にカークマンの事を報告する。
話しているうちに、カークマンの笑顔が脳裏に蘇る。
涙腺が思わず緩みそうになった。しかし、情けない姿は見せられない。
「最後の最後まで、カークマンは勇敢に戦いました。それだけは断言します」
「……わかった。今はお前の任務に集中しろ。健闘を祈る」
「はっ!」
ビンセントは挙手の礼を取る。
「ビンセント。……王女殿下を頼むぞ。俺の、命の恩人だ」
「恩人?」
「トマトス湖で、瀕死だった俺を助けて頂いた」
やはり、ジャスミンの婚約者はヨークだったのだ。
確かにビンセントはヨークの顔を見ている。
しかし、顔は知ってますけど忘れてました、などと言う必要は全く無い。
「相棒おおおおおおおおおおああああああッッッッ!!!!」
「ひっ!?」
目を見開き、全力で駆け寄るカーターに戦慄しつつも一応は手を振る。
「よ、ようカーターうぶっ!」
カーターの無駄に逞しい腕がビンセントを極めてキツく抱きしめる。
呼吸ができず、肋骨が悲鳴を上げた。
「オレはもうッ!! お前が死んだとばかり! 良かった! 本当おおおおおにッ! 良かったッ!! オレはもう、お前を離さんからなッ!!」
「そ、それはちょっと勘弁かな……」
カーターは滝のような涙を流していた。
非常に汗臭い。げんなりするが、ビンセントとてカーターが生きているという希望は持っていなかった。
素直に嬉しかった。ビンセントは軽くカーターの背中を叩く。
「ホモだー。ホモがいるぞー」
「違います」
サラが楽しそうに周りを跳ね回る。もちろん否定することも忘れない。
「ホモの専門家がいるのになー」
「わたくし、もっとこう耽美なのが好きですの。筋肉ダルマは暑苦しくて」
意外にもマーガレットの反応は冷ややかだ。
何か違うらしい。どうでも良かった。
「部屋はあるのかっ!? いやどうでもいい! 今夜はオレの部屋に泊まるんだッ!」
「えええ……? なんか、やだなぁ」
サラがにっこりとカーターの脚にしがみついた。
どうやら逃げ場はないらしい。
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