第119話 裸の猿

「山頂だ。休憩にするぞ」


 エリックはパーキングブレーキを引くと、エンジンを切った。

 そのまま座席をリクライニングさせ、ダッシュボードに足を乗せる。


「展望台がありますの。見に行きませんこと?」


 マーガレットに連れられ、ビンセントとサラは展望台へ。

 右手を見ればカスタネ、左を見ればこれから向かうブケートが見えた。

 そして、正面には巨大なクレーター。リーチェだ。


「……………………」


 全員が言葉を失う。

 上から全体を眺めるのは、これが初めてだった。

 全ては瓦礫となって吹き飛び、巨大な穴の底には今も無数の犠牲者が眠っているはずだ。


 小型の飛行機が飛び回っているのが見えた。

 草原を滑走路にしているのだろう。

 航続距離の短い戦闘機がカスタネに現れたのは、この為だったようだ。


「ここから見れば、どこの国も同じですわ。立っている旗なんて、見えませんもの。そう……思わない?」


「ええ。まったくです」


「きっと将来は、土地や資源を巡って争うようなことは無くなりますわ。平和が来るの……」


 サラがビンセントの袖を引っ張る。


「ねーねー、おしっこするから付いてきてよー」


「はぁ」


 公衆トイレなど無い。

 当然茂みの奥へ行くことになる。

 マーガレットが軽く頭を抱えた。


「サラ様、もう少し上品に言ってくださいませ。お姫様ですのよ?」


「おー? 例えばなんて言うんだー?」


「そうですわね、お花摘み、とか」


「ダム決壊させてくるー」


 ◇ ◇ ◇


 本来なら女性であるマーガレットが付いてくるべきだったろう。

 しかし、マーガレットとて伯爵令嬢である。王女とはいえお子様のトイレに付き合うという発想は無かったらしい。


 茂みの奥に来ると、サラはしゃがみこんだ。

 ビンセントはサラに背を向けると、銃剣を抜いて周囲を警戒する。

 万に一つも無いだろうが、一応念のためだ。


「お前と初めて会った時も、わたしはおしっこしてたんだよなー。ロリコンのおしっこマニアのブルースー」


「違います」


 背を向けたままで答える。サラは続けた。


「わたしが本当におしっこしに来たと思ってるのかー?」


「違うんですか?」


「ブルースー、おまえさー」


 そこでサラは一度言葉を切った。


「マイオリスって、知ってるかー?」


「名前と、今回のクーデターの黒幕らしい、ということしか」


 サラはビンセントにマイオリスの事を掻い摘んで説明した。

 ルクレシオンの一派であること。

 王都の王立学院のキャンパスを根城として過激思想に傾倒した団体であること。

 今回のクーデターで第三連隊を指導した疑いが強いこと。

 メンバーは人数を含め一切不明で、首謀者も不明なこと。


「あいつらさー、貴族も平民もない世界を目指してるって話しなんだけどさー」


 それ自体は必ずしも悪いことだけではないはずだ。

 しかし、クーデターというやり方は過激すぎた。

 立派な理想を掲げても実績を伴っておらず、結局より多くの血を流している。


「政権奪取そのものが目的だったのでしょうか」


「たぶんなー。本当にできるとは思ってなかったみたいなんだよー」


 ふざけた話だ。

 しかし、首謀者もメンバーも不明とあっては、やりにくい。

 あるいは、見知った者の中にマイオリスが居るかもしれないのだ。

 ルクレシオン加入者全員が容疑者となる。

 その中には、イザベラやマーガレットも含まれるのだ。

 マイオリスが実権を握る王都ではなく、直前にあるムーサが目的地なのもそのためだ。

 王都には王立学院のキャンパスと寮がある。


「これは何となくというかさー、推測なんだけどさー。あいつらが本来目指してたのってさー」


 サラの口から溢れた言葉に、ビンセントは耳を疑う。


「………………なんですか、世界征服とか。漫画じゃあるまいし」


 あまりに幼稚で、非現実的な言葉だった。


「ふつうそう思うよなー? でもなー、こう考えたらどうだー? 自分たちの望む価値観を基準にした新しい世界を作る、ってのはー?」


「価値観……?」


「正義、と言えばいいのかなー。でも――」


 そこでサラは言葉を切った。


「その正義が見えてこないんだよー。近いのはやっぱりあれかなー」


 サラの口から、とんでもない言葉が出た。


「――個人崇拝……ですか?」


「たぶんなー、マイオリスは少数だよー。何も知らない平民が戦力の中心だなー」


 サラはそこで言葉を切り、俯いて視線を降ろす。

 とても不安げな表情だった。


「はっきり言うとなー、あの二人がマイオリスじゃない、っていう保証もないからなー」


「…………」


「おまえは平民だし、ヘンな背後関係もないし、何より今までなんども助けてくれただろー? おまえに裏切られ……いや、見限られるようなら、わたしもエイプル王国もオシマイだー」


 国に対して色々不満はあるが、それはサラの責任ではない。

 王女ではある。しかし、一人のお子様であることも間違いない。

 それよりも、マーガレットやエリックが完全に信用できない、という懸念の方が重要である。


「俺は……王女殿下ではなく、サラさんのために来たんです。一人の人間として、友達として来たんです。だから、大丈夫ですよ」


 嘘だった。武器は銃剣一本だけ。

 裏切りはともかく、刺客が襲ってきた場合でも、サラどころか自分自身を守ることもできないだろう。

 しかし、それを正直に言っても不安にさせるだけだ。

 相手は子供。年長者として安心させる義務がある。


「うん、ありがとなー」


 不意に銃声が響く。自動車のある方、すなわちマーガレットたちが居た方向だった。

 一瞬迷ったが、幸いここは茂みの中だ。隠れるにはもってこいである。


「サラさん、ここでじっとしていてください! 何かあったら、大声を出して!」


 ◆ ◆ ◆


 エリックの風魔法で弾丸は逸れ、そのまま魔法は男に直撃する。

 男はコマのように宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 生きてはいるようだが、動かない。


「大丈夫か、マーガレット」


「え、ええ……」


 男は革製の上下に白いマフラー、皮の帽子にはゴーグル。


「お前、カスタネを襲った飛行機のパイロットだな。パラシュートで脱出した奴か」


 見れば、まだあどけなさの残る少年だった。

 マーガレットよりも年下だ。

 オルス帝国では、人材の枯渇で徴兵年齢を引き下げたと聞いている。

 魔力を感じないので、平民らしい。肩にはオルス帝国の紋章が刺繍されていた。

 肘と膝は血だらけで、マーガレットは思わず目を背けた。


「く、くそう……! 魔法使いかよ!」


 どうやら自動車を奪って逃げようとしていたらしかった。

 マーガレットは少年が落とした拳銃を拾う。

 大型の自動拳銃だ。


「…………」


 重かった。

 引き金を引くだけで、並の魔法を大きく凌駕する弾丸を撃ち出す、科学が産んだ機械じかけの武器。

 魔法陣も呪文も必要ない。それどころか一切の魔力を必要としない、平民のための武器。

 実際の重さ以上に重く感じた。


「さて、こいつをどうするか…………アイツに任せるか」


 エリックの視線の先には、銃剣を握りしめたビンセントが俯いて立っていた。

 震える足取りで。ゆっくりと近付いてくる。


「…………」


 その表情は、まるで地獄の鬼のようだった。

 怒りと悲しみ、憎しみに満ちていた。

 きつく唇を噛み、銃剣を持つ手も震えている。


「お前が……お前がカークマンを……」


 あまりの剣幕に、マーガレットは後ずさった。

 こんな表情は見たことがない。マーガレットの知るビンセントは、穏やかで怒り狂うなどあり得なかったはずだ。


 ビンセントは銃剣を持つ手を振り上げると――


「やめてえええェェェッ!!」


 目を閉じ、思わず叫んだ。

 頭では理解している。ビンセントは兵士だ。敵を殺すのが仕事だ。

 しかし、目の前で無抵抗の相手を、それも年端も行かない少年を殺すところは見たくなかった。


「クソッ!」


 ビンセントはそのまま銃剣を鞘に戻した。まるで涙を流さずに泣いているような、そんな表情だった。


「行けよ」


「…………」


 少年は腰が抜けているのか、動かない。


「次に合えば殺す! 早く行け!」


「ち、ちくしょう……!」


 少年は覚束ない足取りで転がるように走り出すと、茂みの奥へと消えていった。

 ビンセントは深く俯き、絞り出すようにしてこぼした。


「お互い様だよな……俺だって、お前の仲間を……たくさん殺したんだ」


「良いのか? アイツを生きて返せば、また飛行機に乗って襲ってくるそ。いったい何人の人を殺すか、わからないぜ」


 エリックがそう言うと、ビンセントは悲しそうな笑みを浮かべる。

 気がつけば、ビンセントの背中をサラが不安げな瞳で掴んでいた。


「わかっていますよ。でも――」


 そう言うと、ビンセントは茂みの奥へと視線をやる。


「お子様の前で、人殺しなんてできませんよ。ねえ? サラさん……」


「よけいな気をつかいおってー。しかたがないやつだなー」


 口ではそう言いつつも、サラは嬉しそうだった。

 これで、良かったのだ。

 マーガレットは安心し、ビンセントに拳銃を手渡した。

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