第118話 旅立ちの時
ビンセントは冒険者ギルドのロビーで、ここ数日の新聞に目を通す。
坑道爆破によって町そのものが消滅したリーチェの事も、敵機の侵入を許したカスタネの事も、一切触れられていない。
むしろ、エイプル軍は各地で快進撃を続けていると、でかでかと報道されている。
勝利に次ぐ勝利。そういうことになっていた。
さすがのサラも呆れたらしい。
「こんな記事ばっかり読んでたらさー、マトモな判断なんてできないよなー」
「…………」
ビンセントは言葉を失った。
事態は想像以上に深刻なようだ。ニュースが全く宛てにならない。
情報源はこれしかないため、軍人以外の貴族が楽観的なのも頷ける。
ウィンドミルも胃潰瘍になる訳だ。
入口のドアが開く。
「よう、兄ちゃん。久しぶりだな」
「あの……総理……ですよね?」
冒険者ギルド。またの名を臨時首相官邸。
酒を飲みながらギャンブルに耽っていた浮浪者ことケラー首相は、今回珍しく酒を飲んでいない。
服装だって相変わらず異臭のするボロをまとい、薄くなった髪はボサボサ、薄汚れた顔は無精髭が伸び放題だ。
「そうだ。俺こそが元・内閣総理大臣、ニコラス・ケラーだぞ、よく覚えておけぃ。二階で計画を説明するぞコノヤロー」
確かに、新聞の写真で見たケラー首相に見えなくもないが、言われなければ気付かない。
あまりにも浮浪者スタイルが似合いすぎていた。あるいは、もともと心の何処かでこういった暮らしに憧れていたのかもしれない。
二階の一室に入ると、そこにはマーガレットとエリックが無言で待っていた。
お互いに部屋の端と端で背を向け合い、一切会話していない。
極めて重い空気だった。
やはりこの二人には何かある。
「よーし。始めるぞーぃ」
ケラー首相が机に地図を広げた。計画は極めてシンプルだ。
リーチェ方面には行けないので、ブラシカ山脈を北上してブケートを経由。そのまま西へ向かい、王都にほど近いムーサへ。
移動にはエリックの自動車を使用し、途中で一泊。
ムーサ到着後は協力者に匿ってもらい、待機。
やがて臨時編成された特殊部隊が王城を制圧し、サラは王都に凱旋する。
「リーチェが吹っ飛んじまったからな、なかなか予定通りには行かないわな。でもま、こんな感じだぜ。質問は?」
ビンセントは黙っていた。軍隊においては質問は許されない。
それはトラバース分隊のローカルルールだったかもしれない。
ヨーク分隊の場合は不明だが、隊長のヨーク少尉は消息不明である。
代わりに声を上げたのはマーガレットだ。
「協力者というのは誰ですの?」
「知る必要はない。向こうから接触がある」
そっけない答えだった。続いてエリック。
「具体的な経路は? 宿泊場所ってのはどこだ」
「臨機応変に対応せよ」
質問の意味があるのか疑問だ。
続いてサラが手を挙げる。
「好きなシチュエーションはー?」
「ボンテージの人妻にムチでしばかれるのが最高であります。もちろん私は荒縄で縛っていただき、ロウソクを垂らされるのが理想であります。なお、欠かすことのできないメイン・ディッシュとして言葉責め、これは外せません。口汚く罵られれば罵られるほど私は大きな悦びを感じるのです。ただ繰り返しになりますが、人妻でなければなりません。理由は言わずもがな、背徳感と夫がいつ現れるかというスリル。つまり、時間帯としては平日の午後が最良であります。以前、忘れ物を取りに夫が帰宅した事があり、その時はタンスの中に隠れてやり過ごしたのですが、あの感覚が忘れられません」
「病院行こうなー?」
「ええ、最近肝臓がちょっと」
そうじゃない。そういう意味じゃない。
ちなみにビンセントの母親は元看護師である。当然人妻だ。
「ビンセント一等兵。お前はコイツを使え」
ケラー首相が机に置いたのは、鞘に収められた銃剣だった。
「衛兵隊に行って小銃を借りようと思ったんだがよぉ、お前相当嫌われてんのな!」
「はぁ」
ケラー首相は眉間に皺を寄せ、腕組みをする。
「予備なんか無い! の一点張りだ。それでもどうにか頼み込んで、コイツを借りてきた。この俺様が頭を下げたってのにこれだ。まぁ、丸腰よりはマシだと思ってくれ」
「…………はぁ」
銃のない平民が、戦いで何の役に立つというのか。
鞘から抜いてみると、所々に錆が浮いている。ろくに手入れもされず放置されていた予備品らしかった。
とはいえ、戦いに関して言えばエリックが居るので心配はないと思われた。
ケラー首相もそう思ったのだろう。
なにせ、手負いとは言え戦闘機まで撃墜した男だ。
エリックは無言で腕組みをしつつ、窓の外を眺めていた。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドの裏手に停まっているのは、真っ赤なオープンのスポーツカー。
流線型の車体は高名なデザイナーが手がけた物だそうで、鋭角と曲線が有機的に結合した完成度の高いものだ。
運転免許があるのはエリックだけ。
運転はエリック、助手席にはマーガレット。後部座席にサラとビンセントが座る事になる。
なお、エイプル王国では右ハンドル左側通行である。
「豆菓子とー、ビスケットとー、キャラメルとー、チョコとー、干物とー、あとサイダーとオレンジジュースもあるよー」
サラは山ほどのお菓子を抱えて車に乗り込む。
「トランクに入れたらどうだ」
エリックがそう言うと、サラはお菓子を抱きかかえる。
「やだもんねー。そんなことしたら取り出せないじゃんかよー」
トランクには各自の荷物が入るが、ビンセントの持ち物は魔法瓶改造の容器と、ペタンコな肩がけ鞄だけだ。
鞄はキャンバス地の軍放出品で、本来は防毒マスクを入れるためのもの。
中身は歯ブラシ一本だけだ。
一応荷物の倉庫出しを保養所の管理人に頼んだが、取り出しに一週間かかるという。
とても出発には間に合わない。
元々大したものは入っていないので諦める。
「んじゃ、行くか」
エリックは運転席にかけると、鍵を差し込む。
この車には『セルフスターター』という装置が付いており、エンジンにクランク棒を差し込んで回さずとも、電動モーターの力でエンジンを始動できるという。
甲高い音を立ててセルが回り、エンジンは目を覚ました。
滑るようにして発進すると、町の人々の注目を一身に集めた。
カスタネは貴族が多いが、それでも自動車を持っている者は少なかったのだ。
平民で自動車を持っているのは更に少なく、ほとんどがトラックやタクシーの運転手に限られる。
「やっぱり速いなー。もう、馬車の時代じゃないかもなー」
エリックの運転は見事なもので、流れるように変速機を操作し、ハンドルを回す。
ものの数分でカスタネの町を後にした。
山に囲まれた畑の中を通るあぜ道の風景が、流れるようにして通り過ぎる。
「最初の目的地はブケートだ。時間が中途半端になるが、やむを得ん。付いたら自由行動だ。宿は確保している」
道路上に掲げられた案内板の表示に、ビンセントは思わず目を伏せた。
分岐を左に行けばブケートだが、右に行けばリーチェ。
聞いた話ではリーチェは完全に消滅し、オルス帝国の前進基地が構築されつつあるという。
「…………」
しかし、カスタネはあまりにものどかだった。
頭上に敵機の蹂躙を許してなお、何も変わることはない。
ビンセントは繰り返し考えてしまう。
一体、カークマンは何のために死んだのか。この国に、守るべき価値があるのか。
「峠越えをするぞ。揺れるから気をつけろ」
後部座席からマーガレットの表情は見えないが、無言のままいつまでも巻き毛を指で梳いていた。
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