第117話 大切なひと

 ビンセントはサラに手を引かれ、カスタネの町を見下ろす小高い丘に連れてこられた。

 そこにあったのは、真新しい墓標。

 百合の花が供えられている。


 誰の墓か、何も言われなくてもわかる。


 丘から見下ろすカスタネの町は、いつもと同じ。

 平和そのものだ。

 しかし、山を越えた先にあるリーチェは消滅し、連合国にオルス帝国を加えた戦争は激化の途を辿っている。

 この一見平和なカスタネの町は、カークマンが守ったものだった。


「おまえの、友達だったんだろー?」


「はい。俺がいつも読んでるのと同じエロ本を、こいつも買ってて。短い間でしたが、友達でした」


 柔らかい風がそっと吹き、手向けられた花を揺らす。


「……百合が好き、って、こういう意味じゃないんですけどね」


「まーたおまえはー」


 サラは少し呆れたような表情を見せていたが、咎めることは無かった。

 ビンセントは足元に生えていたクローバーを一本摘むと、墓前に供える。


「今回はたまたまカークマンでしたが、俺が死んだ時に供えてほしいのは、これです。四つ葉じゃない、三つ葉のクローバー」


「……特別でもなんでもない、ただの雑草かー」


 そう呟くと少し考えた後、サラはビンセントを見上げた。


「うん、わたしもそれにしてくれよー」


「そういうことはお婆さんになってから、年下の人に言ってください」


 二人は顔を合わせると、どちらともなく微笑んだ。


 爆音高く一台のサイドカー……側車付きオートバイが近付いてくる。

 軍で偵察や連絡に使われているモデルだ。

 大型の車体は艶消しのオリーブドラブに塗られ、舟にはジェリ缶やスコップが括り付けられている。

 運転しているのはキャロライン。舟にはウィンドミルが青い顔をして乗っていた。

 キャロラインの服装は例によってライダースジャケットに乗馬ズボンだ。


「ウィンドミルのやつ、ずるいんだー。自分ばっかりバイクに乗って、わたしには買ってくれないんだもんなー」


 ビンセントから見れば、あまり羨ましくは思えない。

 ウィンドミルの顔を見れば乗り心地は想像がつく。真っ青な顔をして、紙袋に顔を突っ込んでいた。


「やあ、ブルース君。こっちに来ていると聞いてね」


 キャロラインはサイドカーから降りる。

 目はまだ腫れているが、その足取りは確かだった。

 キャロラインは手袋を脱いでビンセントの手を取ると、しっかりと握った。


「スコットのために啖呵を切ってくれたんだね。……聞こえてたよ」


「その、なんというか」


 半分くらいは、自分のためだった気がする。


「ありがとう。きっとスコットも喜んでる。でも、衛兵を殴るなんてやりすぎだよ」


「ご心配おかけしました」


 以前に比べれば、だいぶ顔色が良い。

 やがてキャロラインは手を放し、サラの前で膝を付く。


「殿下。僕は先に王都へと戻り、情報を集めます」


「どうすんだー?」


 キャロラインは顔を上げると、眉間に僅かに皺を寄せた。


「僕の弟……ジェフリーは…………マイオリスの一員です」


「おー、あのばかどもかー」


 マイオリス。

 王城を占拠したクーデター軍を指導していた連中だ。


「僕はジェフリーとしてマイオリスに入り込みます。他に幼馴染はおりませんし、ボディビルダーもボールドウィン侯爵以外知りません。……何もかも終わりにしましょう」


 ビンセントは耳を疑った。


「あの、今ボールドウィン侯爵って聞こえたんですけど……」


 フラフラとした足取りでウィンドミルがサイドカーから降りる。

 真っ青な顔は今にも死にそうだった。

 連日の激務に加え、乗り物酔いもあるのだろう。

 リーチェが陥落したことにより、鉄道で王都に向かう事はできない。


「うう……ボ、ボールドウィン家への処分は……て、撤回されました……侯爵位に復帰し……今は大佐として……ブケートで……チェンバレン中佐の補佐を……」


「は?」


 ビンセントがカスタネを離れている僅かな間に、周りの環境は大きく変わっていたようである。


「後は……総理に……お任せしています……わ、私は……王都に……」


「総理?」


 冒険者ギルドでマーガレットに絡んだ浮浪者同然の失業者が、変装したケラー首相だったという。

 開いた口が塞がらない。

 あれはどう見てもやる気のないオッサンだった。変装であれば、完璧すぎる。

 誰も気に留めないだろう。

 いつの間にかカスタネが臨時首都になっていたらしい。


「僕はね、今回初めて気付いたんだよ。大切な人を失うってのが、どんな事なのかね」


 キャロラインはカークマンの墓に膝をつくと、静かに祈った。


「僕と同じ気持ちを、たくさんの人が味わってたんだ。安全な王都に籠っている貴族には、やっぱりわからないんだよ。スコットは、僕にとって家族みたいなものだったんだ」


「ま、わたしも人のこと言えないしなー」


「現在政府を支配しているマイオリスは、現実を無視した理想主義者の集団です。彼らにマトモな政ができるとは思えない。現に、オルス帝国の参戦を招いてしまいました。王女殿下なくして、この国は立ち行きません」


「ムリすんなよー。いざとなったらさー、逃げても、……いいんだからなー?」


 キャロラインはサラに笑顔を返した。

 その笑顔は、逃げても良い、という言葉に対する明確な拒絶に見えた。

 彼女はきっと、何があっても逃げようとはしないだろう。


「ブルース君、もしもどこかでジェフリーに……僕と同じ顔をした男に出会ったら、決して油断しないで。それからね――」


 キャロラインはビンセントに顔を近づけると、誰にも聞こえないように耳打ちした。


「僕、本当は女の子もイケるんだ」


 自然に口が動いた。


「好きです。ぜひデートの現場に呼んでください。百合百合な景色を見せてください」


 キャロラインは悪戯っぽく笑うと、人差し指で額を突いてきた。


「でもそれ、僕自身を好きとは言ってないでしょ? お断りだよ…………今は」


 決意を秘めた笑顔で、キャロラインはサイドカーに跨る。

 力強くキックペダルを踏み下ろすと、V型二気筒エンジンが逞しい音を奏ではじめた。


「じゃあ、またね!」


 真っ青な顔のウィンドミルを乗せ、サイドカーは走り去った。


「おまえも大胆だなー。さー、わたしたちも行こうよー」


 サラに手を引かれ、ビンセントも冒険者ギルドを目指す。

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