第115話 カークマン

 ウィンドミルの取り計らいで冒険者ギルドの一室を貸してもらい、カークマンを運び込む。

 まるで眠っているような、とても穏やかな顔だった。


「ブルース君、これ」


 キャロラインが差し出したのは、イザベラがくれた勲章だ。

 サイダーの王冠は少し錆が浮き、リボンは端がほつれている。

 リーチェの塹壕に捨てたはずだった。


「スコットがね、君に渡すように、って」


「…………」


「絶対に大切なものだから、って」


「…………」


 ビンセントは受け取ると、勲章をポケットに納めた。

 余計な事をしてくれた。

 奇しくもカークマンの形見になってしまったので、捨てるに捨てられない。

 キャロラインは椅子に掛けると、サイドテーブルに頬杖を付く。視線は伏せたままだった。


「昔からそうなんだ、人の事ばっかり」


「…………」


「子供の頃だって、僕が割っちゃった花瓶をさ、さも自分がやったみたいに謝りに行って、僕の代わりにメイド長に怒られて…………バカだよね、頼んでもいないのに」


「…………」


 容易に想像がつく。

 カークマンは一見アホっぽいが、誠実で優しい男だった。


「今度のことだってさ、体にいくつも大穴が開いてるのに、僕のことばかり心配して!! 『お嬢様、ケガはないですね、良かった』って…………!!」


「…………」


「ほんと、バカだよ!  僕なんかをかばってさ……!」


 俯くキャロラインの声は震えている。

 彼女はビンセントと決して視線を合わせようとしなかった。


「カークマンはキャロラインさんを好きだったんですね」


「…………僕を?」


「ええ。好きでもない人の風呂を何度も覗くなんてありえないし、ましてやおかずにしてヌクなんて」


 実際には、必ずしもそうとは限らない。単なるスケベかもしれない。

 カークマンは胸の大きい女が好みだ、と言っていた。キャロラインは男の格好をしても違和感がないほど胸がない。

 

 あるいは、他にそういった想像ができる相手が居なかったのかもしれない。

 もしくは、キャロラインにセクハラ発言をして、恥ずかしがる様子を見たかったのかもしれない。だとすれば、なかなかに良い趣味だ。

 しかし、正解はわからない。確かめる方法は永遠に失われた。


「知り合って間もない俺が言うのもおこがましいですが……『男の子』ってのは、好きな女の子を守って戦うのが、やっぱり一番格好つけられるんです。だから……悔いはなかったと思います」


「……僕は……格好悪かったとしても、スコットに生きてて欲しかったよ」


「すみません。おこがましいことを」


 更に言えば、キャロラインもカークマンを好きだったのだろう。

 常識的に考えれば、あれほどのセクハラ発言を受け入れるなど考えにくい。

 カークマンだからこそ、怒りも嫌悪もしなかったのだ。


「キャロラインさん」


「何だい」


 キャロラインは泣かなかった。

 おそらく、ジェフリーとして過ごすうちに『男は泣かないもの』と思っているのだろう。

 しかし、それは違う。泣くときは泣く。


「……泣けるときは、泣いた方が良いです」


 ヨーク少尉の受け売りだった。しかし、本心からそう言った。

 どう見ても泣いているのに、涙一つこぼさないように頑張っているキャロラインを見ていられなかったのだ。


 キャロラインはカークマンに向き直ると、少し俯いた。目を伏せたままで言う。 


「ブルース君……あのさ……二人にして……くれるかな」


「はい」


 ビンセントは踵を返し、部屋を出た。

 後ろ手にドアを閉めると、やがて声にならない号泣が建物中に響いた。


 まるで、世界が終わってしまったかのような。そんな声だった。


 ◇ ◇ ◇


 ビンセントは広場のベンチに腰を下ろす。


 学院の学生らしい女の子が二人、楽し気に歩いていた。


「エリック様がこの町を敵機の襲撃から救ったんだって!」


「素敵! やっぱりエリック様は最高よねぇ」


 確かに最後の一機に止めを刺したのはエリックだ。

 しかし、釈然としない。


「見て! エリック様よ!」


 女の子たちは、ポケットに手を入れながら悠然と歩くエリックに駆け寄った。


「エリック様! 町を救っていただいて、ありがとうございます!」


「私怖くて! もうどうなる事かと! さすがエリック様!」


 誰もがエリックに賞賛の言葉を送る。

 いつの間にかエリックの周りには人だかりができ、次々と喝采を送った。

 みんな女の子だ。耳を塞ぎたくなる。

 いや、実際に塞いでいた。

 しかし言葉は手の隙間から容赦なく流れ込んでくる。

 ビンセントは長年銃を使い続けたことで、日常生活に支障はないものの、特に右耳の聴力がかなり低下していた。

 しかし幾度となく回復魔法を受けるうち、徐々に回復していたようだ。

 おかげで聞きたくないことも聞こえてくる。


「エリック様、ありがとうございます!」


「あなたのお陰で、町は救われました!」


「もう、最高です! ステキ!」


 気が付けばビンセントは突っかかっていた。


「違うッ! 違う違う違うッ! この町を救ったのは! ただの平民の! 名もない兵隊だ! あんたらが安全地帯でのんびりと! 愛だの恋だの! 付き合っただの別れただの言っている間に! 愛も希望も夢も何もかも捨てて! 泥にまみれて! 銃弾の雨の中で! それでも誇りをもって! 勇気を振り絞って! 命まで捨てて最後の最後まで戦い抜いたんだ! なのにあんたら、アイツに感謝の一言も無いのかよぉぉおおおおぉぉぉおおッッ!!!!」


 思わず涙が流れる。

 女の子たちは怪訝な視線を向けていた。

 ビンセント自身、なぜ自分がこんなにムキになっているのかわからなかった。

 以前なら、決してこんな事は言わなかったはずだ。

 兵士が戦いで死ぬことなど、当たり前のことだ。いつから、こうなったのだろう。


「あんたらが安穏と生きていられるのは、誰のおかげだッ!! ただの平民、スコット・カークマン一等兵だ!! あいつが町を守ったんだ! 反論は認めないからなッ!!」


 女の子たちは怯えていた。

 誰かが後ろからビンセントの肩を掴む。


「おい、平民ふぜいが貴族のお嬢様を怒鳴りつけるな! ちょっと来い!」


 警ら中の二人組の衛兵だった。


「うるせえ! あんたらに何がわかる!」


 思わず手が出た。

 衛兵は痛そうに頬をさすっている。


「…………逮捕だ。公務執行妨害、暴行の現行犯でな」


 冷たく重い手錠がビンセントの手首にはめられる。

 これが、この国の現実だ。


「滅んじまえよ、こんな国!!」


 エリックはポケットに手を入れたまま、感情の読めない瞳でビンセントを見つめていた。

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