第112話 急変

 キャロラインはベッドに横たわるカークマンに……何をするでもなく、すぐに彼は目を覚ました。

 マーガレットの裸体を見て、というよりは疲労と緊張から一遍に開放され、気が緩んだのだろう。

 カークマンは戸惑いながらも周囲をキョロキョロと見渡した。


「ここ……どこっすか?」


「カスタネの王立学院の保養所。僕の部屋だよ」


「意外っすね! お屋敷のお嬢様の部屋、なまら乙女ちっくなのに! お人形の一つも無い! 俺、以前密かにお嬢様のお人形のスカートを――」


 これ以上言わせる必要はないので、キャロラインは続ける。


「ここではジェフリーで通っているからね。仕方がないよ。君も皆の前では僕のこと、ジェフリーって呼んでおくれよ」


 本物のジェフリーが部屋から出てこなくなってずいぶん経つ。

 長いこと顔を合わせてはいない。

 使用人が言うには、食事は取っているそうなのでその点は安心だが……。


 ロッドフォード家はジョージ王に協力して多くの召喚を行った名家だ。

 体面を重んじるのもやむを得ない。

 しかし、本来であれば入れ替わりは一時的なものだったはずだ。

 それがここまで長期化するとは、キャロライン自身思ってもみなかった。


 自分自身の腕に触れる。

 女らしい細腕。ジェフリーは男性としてはかなり華奢で小柄だ。

 だからこのような入れ替わりが起こり得たが、一目で見抜いた者もいる。

 あるいは、他にも正体に気付いている者もいるかもしれない。


 不意にカークマンが真剣な顔でキャロラインを見つめた。


「お嬢様」


「うん?」


 珍しく鼻毛が出ていない。

 いつもはまず鼻毛に目が行くので見落としがちだが、カークマンは決して不細工ではない。

 少なくとも、キャロラインにはそう見える。


「腹減ったんすけど」


 そして、正直者だ。思わず笑顔になってしまう。


「そうだね、僕もだ」


 部屋に用意してある服は全てジェフリーの、すなわちキャロラインのサイズだ。

 カークマンの上着を脱がせてハンガーに掛けた時、キャロラインはその大きさに驚いた。

 子供の頃は、ほとんど同じサイズの服を着ていたのだ。


 何であれ、着替えが無いのでカークマンの服はそのままだ。

 一応ブラシは掛けているものの、さすがに汚い。使用人扱いで食堂に行くのも気が引けたし、平民用の食堂ではこちらが目立ってしまう。

 シャワーを浴びさせたとしても、また汚れた服を着せるのは可哀相だ。

 なので、外に食べに行くことにした。

 冒険者ギルドに行けば、ビンセントもいるはずだ。


「明日、君の服を買いに行こっか」


「俺、金無いんすよ。爆発で全財産の銅貨五枚が吹っ飛んじゃった。身につけておけばよかったっす」


 キャロラインは思わず吹き出した。

 兵士は額面で月に金貨一枚と銀貨五十枚をもらっているはずだ。

 給料日も過ぎたばかりなのに、どうするのだろうか。


「…………」


 ふと、気付く。

 最前線で戦う兵士は、いつ死ぬかわからない。

 金を墓場まで持っていくことはできないのだ。

 貯金をしようという気にならないのも仕方がない。

 給与から天引きされているので、衣食住に困る事は無い。


「……ごめんよ、スコット」


「は?」


「僕が買ってあげるよ。お詫びにさ」


 カークマンは目を見開いて、必死に手を振る。


「そんなそんなそんな! 俺なんかにもったいないっすよ!」


「いいからいいから。僕がそうしたいんだ。まずは食事だね。行こう」


 カークマンの手を取って部屋を出る。

 昔より、大きくてゴツゴツとした手だった。


 そのまま廊下を歩く。なんだか、楽しかった。

 すれ違う女学生が、顔を赤くしてにやける。


「お、お嬢様、このままではジェフリー坊ちゃんにホモ疑惑が」


「ご、ごめん」


「俺は別に良いんすけどね」


 慌てて手を放す。

 学院ではジェフリーで通していたのをうっかり失念していたのだ。


 ロビーにある売店の前で、キャロラインは足を止めた。

 ついうっかり、『それ』が目についたのだ。


「どしたんすか? その、坊ちゃん」


「ちょっと待ってて」


 カークマンを待たせ、キャロラインは目当ての物を買う。

 目に入ってしまったのだから、仕方がない。

 目立つ所に置いた店番が悪いのだ。


「はい、スコット。受け取ってくれる?」


 カークマンは首を傾げた。


「あざっす。でも、これはプロテインっすよ? 美味い物じゃない。もっとお菓子とか売ってるのに」


 キャロラインは思わず笑顔になるが、カークマンはぽかんとしたままだ。

 やがてカークマンは少しだけ俯いた。


「……なんか新しく来た偉い人が筋肉マニアらしくって、周りに筋トレとプロテインを強要してるとか。頭がイカれてるんすよ。偉い貴族だからって、やりたい放題だ」


 それはさすがに予想外だ。しかし約一名、思い当たる節がないでもない。

 確かに彼は頭がおかしい。

 だが、このプロテインはトレーニング用ではないのだ。


「後で食べてくれればいいよ! さ、行こうか」



 保養所の出入り口から外に出た時、いつものように魔法を展開する。

 これは習慣だ。

 急進的なジョージ王には敵も多く、付き従うロッドフォード家の人間もまた敵が多い。

 この魔法は本来そのためのもの。


「!!」


「どしたんすか?」


「ごめんよスコット。食事は後になるかもしれない。冒険者ギルドに急ごう」


「そんなぁ」


 カークマンは普段右手で鼻をほじっているので、左手を取ると冒険者ギルド目掛けて走り出した。

 タコのできたガサガサの手だが、決して不快な感触ではない。

 後で少しハンドクリームを分けてやれば良いのだ。

 遠慮するだろうが、キャロライン自身が、そうしたかった。



 ◆ ◆ ◆



「…………」


 カスタネに戻るやいなや、再び牢屋の中である。


 どうやら、ビンセントがカスタネを後にした日、何者かがエリックを襲撃したらしい。

 幸い大事には至らなかったが、現場にはエイプル軍制式の九八式小銃が破壊された状態で残されていた。

 エリックの反撃に遭い、魔法で銃を凍結された上に砕かれたらしい。

 他に、現場からは空薬莢と手榴弾の破片。

 犯人は六階から窓を破って逃走、衛兵隊が捜査を続けていたという。

 貴族は火薬を使った武器を忌避するため、犯人は平民と思われた。

 王立学院関係者以外の平民は中に入れないため、犯人像はかなり絞られていたという。


 聞き込みの結果、事件前日の晩に学院から走り去る不審な人物が目撃されており、体格や服装からビンセントが捜査線上に上がっていた、と衛兵隊の指揮官は自信満々であった。


 衛兵隊は平民の被害はほとんど形だけしか捜査しないが、貴族の被害は全力を出す。

 エリックに嫉妬したビンセントが逆恨みで襲撃した、と決めてかかった。


「…………」


 かなり優秀な捜査手腕、および推理能力である。


 もちろん何度も何度も否定した。しかし、彼らは聞き入れない。

 マーガレットが強権を行使して無理矢理釈放させたことを根に持っているのだ。


 弁護士を呼びたいところだが、そのためには分単位で金貨が消えていく。

 平民の兵士にそうそう呼べるものではない。

 侯爵に対する襲撃、つまり殺人未遂と器物損壊ともなれば極刑は免れない。


「誰だよ、もう…………」


 ビンセントは姿無き犯人を恨んだ。

 しかし、動機のありそうな人物はいくらでも居そうではあった。エリックはとにかくモテる。

 状況証拠からビンセントが最有力容疑者になるのも、やむを得ないと言えばやむを得ない。

 嫉妬という動機も納得の行くものだ。事実だ。


「だからカスタネは嫌いなんだ、くそう……。吹っ飛んじまえ、こんな町」


 けたたましい足音が近づいてくる。

 見張りの衛兵が滑り込むように牢の前で立ち止まった。


「出ろ!」


「はぁ」


「はぁ、じゃない! 急げ! 早くしろ!」


 何やら尋常でない雰囲気である。

 衛兵に促され、訳も分からず地下牢から地上の事務所へ。

 そこには見慣れた少女と中年男性が待っていた。


「ブルースー、おまえ本当に牢屋好きだなー。ご飯とか税金なんだからなー」


「サラさん……なぜここに」


 サラは腕を組んでプンプンとお冠だ。

 もちろん、望んで入った訳ではない。


「……でも、生きててくれてありがとなー!」


「おおっと」


 サラは机を踏み台にして、ビンセントの顔に飛びついた。

 もぞもぞと動き、そのまま肩車の体勢になる。


 ウィンドミルがしゃしゃり出た。


「色々と話はありますが、後回しでお願いします。緊急事態で、一刻の猶予もありません。ビンセント君、今すぐ保養所の屋上へ向かってください」


「何があったんですか?」


「説明している暇はありません。早く!」



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