第111話 0724545
ビンセントが生きていた。こんなに嬉しい事は無い。
マーガレットは浮ついた気持ちで服を着ると、シャワー室を出た所で意外な人物にかち合う。
「……マーガレット」
「……何ですの。ローズ」
ローズはマーガレットに立ち塞がるように廊下で待っていた。
不安げな、懇願するような瞳で見つめている。
前提条件が変わったことで、問題は早くも再燃する事になった。
◇ ◇ ◇
食堂にマーガレットは連れてこられる。
「何の用ですの? わたくし、急ぎますの」
「…………」
ローズは俯いて膝を閉じ、きつく握った拳をその上に乗せている。
視線を伏せたまま、震える声でローズは口を開いた。
「マーガレット。……あなた、結局エリックをどう思っているの?」
「え?」
そんなのは決まっている。言われるまでもない。
「愚問ですわね。エリックとの婚約は破棄されているし、そもそもそれすら家同士の都合で勝手に決められた事ですわ。それに第一、わたくしには好きな人が――」
「だったらどうしてルシアをぶったの!?」
「――――」
マーガレットは言葉を失った。明確な理由を説明できない。
本当に身体が、マーガレットの意思を無視して勝手に動いたとしか言いようがない。
つまり、マーガレット自身にもわからないのだ。
「答えられないの? だったらわたしが言ってあげる。あなたはね、本当はエリックを好きなのよ。ブルースを当て馬に使っても意味なんて無いことが、なぜわからないの!?」
「…………」
「ブルースにも、失礼よ」
涙目でまくし立ててるローズに、マーガレットは反論できない。
沈黙だけが流れた。ローズは俯いたまま続ける。
「エリックはね、私にとって救世主なの。彼が居なければ、今のわたしは無いわ。愛しているの。でもね――」
不敵な笑みだった。続けてローズの口から出た言葉に、耳を疑う。
「そんな……そんなのって…………」
「何もかもあなた次第よ、マーガレット。ブルースにはイザベラが居るでしょう? たとえ彼にその気がなくても、イザベラは身分を盾に彼を自分の物にしてしまうわ。あの子の性格、知っているでしょう!? そうなれば、あなたは一人ぼっち……」
様々な感情が胸の中で渦巻き、どれが自分の本当の気持ちなのかもわからない。
ローズが去った後も、マーガレットはいつまでも紅茶に浮いたミルクの渦を見つめていた。
「……………………」
やがてマーガレットは立ち上がると、保養所を後にする。
目指すは冒険者ギルド。あそこなら、他の貴族と出くわすことはまず無い。
「お邪魔いたしますわ!」
「は、はい?」
受付嬢は目を丸くする。マーガレットを見るその表情は蒼白で、恐怖に引きつっていた。
いちいち気に入らない。
「わたくしも冒険者登録をしていますもの。何の問題があって?」
「い、いいえ……ご自由に、ど、どうぞ」
奥にあるバーへ向かうと、カウンターに乱暴に腰を降ろす。
「あの、ここは平民向けでして、お貴族様に出すようなものは……」
昼間は事務作業をしているバーテンがしどろもどろに応対するが、そんなことはどうでも良い。
まるで指を突き刺すような勢いでメニューを指差す。
「構いませんわ! 何でもいいの。そうですわね、この『ストラグル・ゼロ』をお願い」
「し、しかしこれは!」
「出しなさい!」
マーガレットは金貨を乱暴に叩きつける。
「は、はひ……」
ストラグル・ゼロ。炭酸入りアルコール飲料の商品名である。
口当たりの良い飲み味と裏腹に、アルコール分が九パーセントと高く、それでいて安価なため平民によく飲まれる。
合成甘味料が多用され、糖質はゼロ。
わずかな金額で効率的に酔えるため、人気商品であった。
ケラー首相がよく飲んでいたのもこれだ。
「し、知りませんよ私ゃ……」
青い顔で言いつつも、バーテンは準備を始めた。
ストラグル・ゼロ。ずなわち、もがきの虚無。
◆ ◆ ◆
どうやらここはカスタネの保養所らしい。
一体誰がどのような理由で脱衣所の真下に出入り口を作ったのかは不明だ。
ビンセントは気絶したカークマンを背負って廊下を歩いていた。
「良かったじゃないか、ブルース君」
「はぁ」
キャロラインはいつになくニヤニヤしていた。
確かにマーガレットの柔肌は瞼にしかと記憶している。控えめな胸も、完璧に近いバランスの脚線美も、全ては完全に記憶し、反芻することができる。
しかし、それを正直にキャロラインに話すことは憚られた。
善悪はともかく、ビンセントはカークマンほどキャロラインと親しくはない。
要は、言うのが恥ずかしかった。
「とりあえず僕もシャワーを浴びようかな。着替えを取りに部屋に戻らなきゃ」
ビンセントにウィンクして人差し指を口に当てる。
マーガレットの前ではジェフリーで通せ、という事だろう。
つまり、ここのシャワー室は使えない。個室に備え付けられたものを使うようだ。
「スコットを僕の部屋に運びたいんだけど、手伝ってくれるかな?」
「ええ、そのくらいは」
鼻血を出して倒れた間抜けなカークマンを背負う。
キャロラインに付いてエレベーターへ。
『ジェフリー・ロッドフォード』というプレートの付いた部屋に入る。
基本的な間取りはイザベラの部屋と変わりないが、男性向けの部屋らしく内装はシンプルで上品に纏められていた。
「僕のベッドに寝かせて」
「泥だらけですよ」
「構わないさ。僕だってそうだ」
言われたとおりカークマンをベッドに降ろす。
キャロラインはカークマンの上着のボタンに手をかけるが、何かに気付いたようで少しだけ頬を赤くした。
「お、お医者さんごっこはやらないよ。何を期待しているんだい?」
「そんな事は聞いていませんが、止めはしません」
キャロラインはバツが悪そうに頭を掻いて目を逸らせた。
とはいえ、幼馴染で共に修羅場をくぐった間柄だし、まんざらでもないようだ。
素直に羨ましい。
ほんの少し前まで男だと思っていた相手なので、少し複雑ではある。
「とりあえず、僕は着替えてから冒険者ギルドに行くよ。先に行っててくれ。……あ、後で使用人室を確保しなきゃ、ははは」
「ま、ごゆっくり」
イザベラの部屋は引き払われているらしく、ビンセントたちの荷物は倉庫預かりになっているという。
管理人に言って着替えを出してもらう必要があるが、その後の宿の予定はない。
冒険者ギルドで落ち合うことになっているが、ビンセントは冒険者登録をしていなかった。頼み込んで空き部屋を貸してもらう、というのも難しい。
適当に宿を探すことになるが、前回訪れたときも宿探しは難航した。
とはいえ、野宿でも別に構わなかった。
ここはカスタネだ。リーチェではない。銃弾も砲弾も飛んでこないのだ。
「まるで別世界だな」
ビンセントは独りごちる。
エレベーターは貴族専用だ。階段を降り、一階踊り場の扉を開く。
「?」
そこには五丁の銃口が待ち構えていた。
以前厄介になったカスタネ衛兵隊の皆さんだ。
見覚えのある指揮官が、眉間に皺を寄せてビンセントに近づく。
「ブルース・ビンセント、またお前か。いい加減にしろ」
「はぁ」
「何を言いたいか、わかるな?」
「いいえ」
「しらを切るか。なら『〇七二四五四五』、これが何の番号かわかるか?」
「俺の銃のシリアルナンバーですが。九八式小銃の」
軍用銃の所有権は国家に有り、軍は兵士に貸与しているという形だ。紛失は弁済、ないしは懲役が科せられる。
今は保養所の倉庫にあるとばかり思っていたが……
指揮官は部下に目配せする。
「聞いたか?」
「はっ! 確かに認めました! 総司令閣下と言えど、今度ばかりは庇いようがありません!」
さっぱり話が見えてこない。
着剣された五つの銃口がビンセントに突きつけられ、指揮官は手錠を取り出した。
「フィッツジェラルド侯爵を襲撃した容疑で逮捕する!」
「は?」
「お前の銃の残骸が現場から発見されたんだ! 侯爵を狙ったテロリスト、神妙にお縄につけッ!!」
「…………は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます