第110話 RE:ニューゲーム
「僕がジェフリーとして学院に潜り込んだ時、すぐにその異常さに気付いたよ」
「異常さ、ですか」
ビンセントには異常も正常もわからない。
しかし、キャロラインは僅かに眉間に皺が寄っている。
「エリックは確かに顔も良いし、侯爵だし、お金持ちでスポーツ万能。おまけに魔法の天才だよね」
その事についてはビンセントもよく知っている。
しかし、時折見せる異様な視線が苦手だった。
まるで、人の人生を映画でも観るように突き放したような、そんな視線だった。
「僕ですら、少しは彼に惹かれたくらいだよ」
「あーっ! けっこうショック! カレシっすか!」
カークマンは頭を掻きむしるが、キャロラインはかぶりを振る。
「いや、エリックはまだ僕の正体には気付いていないはずだよ。今でも僕をジェフリーだと思っている」
「わかったホモだ!」
カークマンがぶっ飛んだことを言ってしまったが、そんなことを言われては迂闊に同性の友人も作れない。
「そういうのはイザベラやマーガレットに任せよう。僕は本当は興味ないから」
本当だろうか。
「でも俺は百合好きっすよ! ドリスさんと仲直りして、百合百合な関係を俺に見せて――」
会話が全く噛み合っていない。しかし、カークマンはビンセントの言いたい事を先回りして言ってくれる。
これはもう、親友といって良い。
キャロラインは構わずに話を続けた。
「魔法は血筋で決まるけど、転移・召喚魔法は特殊でね。魔法陣を地面に物理的に書かないと使えないんだ。それは門外不出の古文書に書いてあるんだけど……調べている時に、奇妙な記述を見つけたんだよ」
「それはいったい?」
「人や物だけじゃなく、魂を召喚してしまう場合がある、とね」
「魂、……ですか?」
確信はない。
しかし、何かが引っかかる。
バラバラのパズルのピースが、あと少しで組み上がりそうな、そんな気分だ。
「つまりだね、これは僕の仮説なんだけど――」
キャロラインは大胆な仮説を展開する。
「エリックは前世の記憶を持っている。それも、地球人の。死んだ地球人がエイプル人として転生した存在なんじゃないか、と僕は睨んでいるんだ」
確かに大胆な仮説だ。
ビンセントもカークマンも言葉を失った。
「ん~」
カークマンが鼻くそをほじり、ズボンに擦り付けた。
残念ながら、ティッシュもハンカチも無い。
仮にあったとして、カークマンに渡すのはもったいない気がした。
股間をボリボリと掻きながらカークマンが言う。
「ま、俺だって人生やり直したい、って思うわな。今までの人生を全て投げ出して、今の記憶を持ったまま新しい世界で一から再スタート、ってのは魅力だぜ。そんなことができる、ってんならなぁ」
顔だけを見れば真剣な表情だった。台無しだ。
「ふうん。やっぱり君もそう思う?」
キャロラインは顔だけをカークマンに向ける。
「俺はやり直すにしても、スコット・カークマンがいいな~。で、昔の何も知らないキャロラインお嬢様と、気の済むまでお医者さんごっこして遊ぶんだ」
「……………………」
天才だ。
何の天才かといえば、言うまでもなくセクハラの天才だ。
カークマンは今までと全く何の変化も見せず、相変わらず鼻くそをほじっている。
自覚は全く無いらしい。これはもう、才能と言って良い。
一生友達でいたい。
一方、キャロラインは顔を真っ赤にして俯いていた。坑道内は彼女の魔法で照らされているが、光の動揺が心境を如実に表していた。
じつにそそる表情である。
「だってそうじゃん? 父ちゃんも母ちゃんもあの二人しか考えられないし」
「まあ、それはある」
ビンセントも父はトニー、母はモニカ、妹はレベッカ、これ以外の家族は考えられない。
ぶつかることもあったが、愛すべき家族たちだ。
それらの一切を捨てることは、さすがに躊躇する。
「……………………」
だが、実際にそんなチャンスが訪れた時、いかなる決断をするか自信がなかった。
もしも神様のような存在が居て、死んだ自分に異世界に転生させてくれると言ってきたら。
頷いてしまうかもしれない。全てを捨てて。新しい人生を。二度目の人生を。
今の記憶を持ったまま。
そうすれば、今まで気付かずに目の前を通り過ぎるだけだったチャンスに、誰よりも早く気付いて、誰よりも早く物にできるかもしれない。
笑顔で幸せに過ごせる人生を送れるかもしれない。
塹壕の底で怒号と鉄拳制裁に耐えながら、死んだような目をして殺し合いをする人生を、送らずに済むかもしれない。
「だろ? お風呂を覗かせてくれるお屋敷なんて、そうそう無いぜ?」
良い事を言ったかと思えばこれである。
カークマンは実にブレない。
何故か感心してしまったが、彼はそんなものでは済まない。
耳を疑うカークマンの本領発揮はそれからだった。
「俺、この戦争が終わったら親父の跡を継いで、ロッドフォード家の釜焚きやるんだ。で、金をたくさん貯めてカメラを買って、お風呂の壁に穴開けてバンバン盗撮するんだ! お嬢様だけじゃない、奥様もメイドたちも、みーんな俺の物だ! 頑張って働くぞーっ!」
「それはダメっ! ホントやめてっ!」
キャロラインは真顔でカークマンの腕を掴み、必死に揺すっている。
カークマンは冗談で言った……と思いたいが、自信がない。本気で思っている可能性がある。
「そ、それはともかく!」
キャロラインは話題を戻した。
「子供の頃から大人と同じ認識を持っていたら、それは確かにバケモノだよ。それこそスコットじゃないけど、な、何も知らない相手に、その…………」
キャロラインは言い淀む。
しかしカークマンはその天才ぶりを遺憾なく発揮した。
「エッチなことやり放題だ! 相手は何にも知らないんだから! ハーレムも作れちゃう! 俺ならやるね! やらない訳がない! ちょっと落ち込んだ女の子に優しくして、コロッと手玉に取るんだ! いいなあ!」
もちろんビンセントだって同じ意見だ。
キャロラインは溜息をつく。
「……そうだよ。王立学院にあったのは、エリックを中心とするハーレムだ」
ビンセントは思わず足を止めた。
「…………まじすか」
カスタネの猫カフェに行ったときのエリックの言葉を思い出す。
『いやなに。昔の話だ。ずっと、ずっと……な』
『お前、『人生やり直したい』って、思ってるだろ』
彼は確かにこう言った。
突飛な仮説ではあるが、この言葉にもじゅうぶんな説得力があるように思えた。
そうでなければ、説明の付かない事が多すぎるのだ。
カークマンが嬉しそうに叫ぶ。
「お、ハシゴはっけーん! ビンセント、登れよ!」
上を見ると、確かに縦穴がある。
わざわざハシゴをかけているということは、出口の可能性が高かった。
◆ ◆ ◆
王立学院の保養所はプールや体育館、テニスコートなどの運動設備もあるため、各所にシャワー室が設置されている。
温泉に行けば、誰かと顔を合わせる恐れがあった。今のこの顔は、誰にも見せたくはない。
自室に戻るのも面倒だった。いや、何もかもが面倒だった。
マーガレットは一階の共同シャワー室へ、半ば無意識に来ていた。
一階でシャワーを済ませれば、エリックの部屋に直行できる。
エリックは元々六階に部屋を取っていたが、イザベラが爆破してしまった。そのため現在は一階の部屋を使っている。
建物の躯体に影響がなかったのは奇跡である。
今も衛兵隊が建物の各所をうろついていた。
「…………」
シャワーの湯を頭から浴びながら、マーガレットはカスタネを訪れてからの記憶を反芻していた。
涙をシャワーの湯が洗い流す。
イザベラとの再会。
ビンセントとの出会い。
エリックからの婚約破棄。
ククピタの冒険。
講堂での夜会。
ルシアとのこと。
「やっぱり、わたくし……エリックを……」
リーチェの町は吹き飛んでしまった。
ビンセントも生存は絶望的だという。
マーガレットは深く後悔した。ビンセントを、イザベラを行かせるべきではなかったのだ。
「ごめんなさい……ブルース……」
エリックの部屋に行けば、きっと何もかも忘れられる。
せいぜい彼の腕の中で、悲しみを少しでも紛らわせることができたら。
刹那の快楽に身を委ねるのも悪くない。
もう全てがどうでも良かった。
「仕方が……ありませんわ」
濡れた身体をタオルで拭きながらマーガレットはシャワー室を後にする。
脱衣所に設置されているのは、大型のヘアードライヤー。
電動ファンと電熱を使って髪を乾かす機械で、椅子の上に設置されたバケツのような装置を頭に被って使用する。
「……はぁ」
もう、本当に色々とどうでも良かった。
モーターの作動音は、周囲の音を完全に遮る。
だからだろうか。マーガレットはその音に気付くことはなかった。
「――――!!」
「えっ!? えっ!?」
目の前のマンホールが跳ね上がり、その中から泥だらけ、埃だらけの男が這い出してきた。
それも一人ではない。男はマンホールに手を突っ込むと、さらに二人を引っ張り上げたのだ。
「――――? ――――……」
何か言っている。
しかし、ドライヤーの音で何も聞こえない。
マーガレットはドライヤーを跳ね上げた。
「ブルースッ!」
「マーガレットさん? ここは一体――」
身体が勝手に動いた。
まだ服を着ていなかったが、そんなことはどうだっていい。
ブルース・ビンセントは全身が泥だらけ、埃まみれで異臭がしたが、それすらもどうでも良い。
「――――ッ!?」
気がつけば、マーガレットはビンセントの胸に飛び込み、渾身の力で強く強く抱きしめた。
「生きてる! 温もりもある! 嘘じゃありませんわね!? 夢じゃありませんわね!?」
「い、生きてます」
キャロラインが満面の笑みを浮かべて手を叩く。
「大胆だねぇ、マーガレット」
「ジェフリー!? どうしてあなたが!?」
先程ビンセントが引っ張り上げた男のうち、一人はお馴染みのジェフリー。
「おうふっ!」
もう一人の兵士は鼻血を出しながら倒れた。とても幸せそうな顔で気絶している。
「彼はスコット・カークマンといって、僕の幼馴染なんだ。まあ、紹介は後にしよう。僕は彼を介抱するし、君は服を着なければならないよ」
タオルで身体を隠すマーガレットにジェフリーは追い打ちをかける。
「全裸で何もかも解決するなんて、カーター君に影響されちゃったかな、ははは」
「ご、ごめんあそばせ! 服を着るので外でお待ちくださいな、おほほほほ!」
顔を赤くし、タオルで身体を隠すマーガレットを残して三人は脱衣所を後にする。
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