第107話 退却のリーチェ

「つつ……いったい何が?」


 周囲は完全な暗闇。ランプの光も消えている。

 ビンセントが立ち上がると、全身から砂ぼこりや砂利が零れ落ちる感触。

 念のため周囲の匂いを嗅ぐ。可燃性ガスは無いようだ。

 ポケットを探り、マッチを擦る。


「うわ……」


 室内は無茶苦茶で、机も椅子もひっくり返っているし、棚の物は全て落ち、陶器やガラス製品も全て割れている。

 足元では、カークマンがキャロラインに覆い被さって気絶していた。

 二人とも微かに動いているので、死んではいないだろう。


「熱っ!」


 マッチが指先を焦がした。思わず落とす。


「何なんだよ……?」


 もう一度マッチを擦り、扉へ。


「…………?」


 押しても引いても開かない。ピクリとも動かないのだ。

 僅かな隙間から土砂が零れ落ちる。


「埋まってる? まさか……」


 適当な書類をねじり、マッチの火を移す。それを灰皿に乗せた。


「……よし。おいカークマン」


「うう……」


 砂ぼこりを振りまきながらカークマンは起き上がる。

 なるほど、これだけ鼻毛が発達していれば空気の汚れにも強いだろう。


「お、お嬢様! お嬢様っ!」


 カークマンはキャロラインを抱き起こした。


「ん……僕は大丈夫だよ、スコット……」


「よかった、毛がなしだ!」


「怪我なし、だよ。…………実際、無いけど」


 キャロラインも無事らしい。何の毛が無いかは知らない。

 知れば好きになってしまいそうだ。最高だ。

 彼女は起き上がると髪に付いた埃を掃った。


「……こんな威力の武器は世界中どこにも無いよ。砲撃でも空爆でも、塹壕陣地を完全に破壊することはできないんだ。どれだけ撃ち込んでも、必ず生き残る者が出てくる。おそらく――」


「坑道爆破、ですか」


 キャロラインは頷く。


 膠着した塹壕戦を一方的に打破する方法が一つだけある。

 自軍の陣地から敵陣へ向けて地下トンネルを掘り、敵陣の真下で大量の爆薬に点火するのだ。

 単純極まりない戦法だが、味方の犠牲を最小限に抑えて敵の陣地を無力化できる。

 欠点は極端に時間と人手と費用がかかる事と、掘削の騒音がどうしても出る事。


 しかし、リーチェは膠着状態に入ってからすでに三年半が経過している。

 クレイシクなら時間はじゅうぶんにあった。

 騒音を紛らわすために砲撃を加えるのも常套手段だ。


 灰皿に乗せた書類が燃え尽き、再び闇が訪れた。

 キャロラインは指先に小さな魔方陣を呼び出すと、そこから小さな光が生まれ、周囲を漂いながら辺りを照らす。


「お、さすがお嬢様だ! 光魔法は何にでも使えるぜ! いいかビンセント、お嬢様は光魔法のエキスパートなんだ! どうだ、感謝しろよな!」


 なぜかカークマンが得意気だった。

 ビンセントはもう一度ドアを調べるが、完全に埋まっているらしい。


「……また、生き埋めか」


 ビンセントは溜息をつく。カークマンが鼻をほじりながら呑気な口調で言う。


「いやぁ、そうとも限らんかもよ? 俺、ヨーク分隊に移動になる前、この辺り掘ってたんだわ。確かこの辺に――」


 カークマンはメチャクチャになった書類棚をひっくり返す。


「あった! ビンセント、手を貸せよ」


「おう」


 書類棚の下にあったのは、取っ手の付いた鉄板だ。

 正方形で大きさは九十センチ四方くらい。


「よい……しょっと!」


 二人で鉄板をどけると、そこにあったのは更なる暗闇に続く縦穴と梯子。


「戦争も長いからな、リーチェの地下はほとんど迷宮さ! 坑道爆破で全部が全部吹き飛んだ、とは断言できないだろ?」



 ◆ ◆ ◆


「こりゃあ酷ぇな。何千人死んだかわかりゃしねぇ……」


 さすがのカーターも息を呑む。

 この分では、ビンセントも戦死した可能性が高い。リーチェの町はほぼ全てが消滅している。

 生存の可能性も無くは無いが、この状況でそう考えるのはあまりにも楽観的過ぎる。


「…………」


 カーターはこう見えて、ビンセントを心配していたのだ。

 フルメントムで再会した時、彼は酷い表情をしていた。まるで死んだ魚だった。

 イザベラやサラと旅を続けるうち、やっと生来の明るさを取り戻しつつあった、その矢先にこれである。せめて、穏やかな気持ちで逝けたら良いのだが。

 魂が還るというチキューでの再会を願い、心の中で冥福を祈った。


 ビンセントもカーターも軍人だ。そして、今は戦争中だ。

 お互い覚悟はしていた。遅いか早いかの違いでしかない。

 結果的にイザベラには悪い事をしたが、時が癒してくれるだろう。


 そして、状況は悲しむことすら許してはくれないらしい。


 司令部は前線を見下ろす高台にあるが、リーチェは完全に瓦礫の山と化していた。

 あちこちで炎と煙が上がっている。

 とても戦闘を継続できる状況ではない。


 たまたま司令部を訪れていたヨーク分隊の面々も、同じように言葉を失っていた。


「どうします? チェンバレン中佐」


 さすがに放心していたらしく、返事がない。

 肩を揺すると、やっとキリッとした表情が帰ってくる。

 イザベラの兄だけあって、やはり似たような性格らしい。

 予想外の事態に遭えば動揺する。しかし、それは誰でもそうだ。 


「…………」


 しばし考え事をしていたチェンバレン少佐が目を見開く。


「…………可能な限り、生存者を救助。その後――」


 チェンバレン中佐は言葉を切った。震える拳を握りしめる。


「リーチェを放棄。ブケートに転進する……!」


 その声も震えていた。

 決断は早く、何よりもまず行動あるのみ。それがチェンバレン家の家風らしい。

 そして、この判断はおそらく正解だろう。

 ここで仮に徹底抗戦を打ち出した場合、カーターは早速手に入れた階級に物を言わせて撤退させるつもりだった。


「んじゃ、やりますか!」


 その日、膠着していた戦線は決定的に押され始めた。

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