第二章 リーチェの残照

第102話 箱庭の少女

 人間が貧弱な二本の足で馬に追いつく方法など、ありはしない。

 かといって、目の前の王女殿下を放置しておくこともマーガレットには憚られた。


「だからさー、わたしはエイプル王国に残るっていっただろー」


「しかしですね、殿下に何かあっては」


「やだもんねー。やだやだやだー」


 サラは床をゴロゴロと転がってウィンドミルに抗議の意思を示していた。

 すでに部屋の端から端まで七回ほど寝返りだけで往復している。

 どう見ても駄々っ子である。しかし、年相応と言えなくもない。


「おい姉ちゃん、殿下に何か言ってくれ」


 ケラーがマーガレットの肩を叩く。

 ねっとりとした触り方だ。嫌悪感が際立つ。

 総理大臣の力を以てしても王女には手を焼くらしい。


「やだやだー」


「総理大臣閣下。サラ様の言う通りにすべきですわ。サラ様がおっしゃった通り、最後の王族が亡命しては、この国は分裂しますわ」


「……そこはロイのヤローに任せようや」


「やだもんねー」


 ジェシー・ロイ。名目上は現在の総理大臣だ。


「そもそも、なぜクーデターが起こりましたの?」


 情報は統制され、クーデター自体が『なかったこと』になっている。

 ケラーは溜息をつく。


「思い出作り、さ」


「は?」


「ルクレシオンのマイオリスって派閥、どんなのか知ってるか?」


「いいえ、詳しくは。一番過激なグループだそうですわね」


「あいつらな、王都にある王立学院のキャンパスを根城にしてな、内輪で政治議論していいる間に、じわじわ過激思想に傾倒していったらしい」


「過激思想?」


「おう。平民にも文明的な生活を開放した『科学技術』そのものを邪悪なものとし、その総本山である王家を追い出そう、ってバカどもさ」


「無茶ですわ。今は貴族だって科学で作られた利器を使っていますもの。ジョージ王が発明した空気から肥料や火薬を作り出す術も……」


「バカども、って言ったろ」


「どういうことですの?」


「困ったことに、本気でできるとは思ってなかった節がある。平民に適当にやらせて、自分たちは普通に今まで通り、後から『俺も昔はヤンチャしたもんだ』って武勇伝語りたいんだよ」


「……冗談……ですわね? 総理」


 しかし、ケラーはかぶりを振る。


「だから言ったろ。遊び半分で命令した平民が、本当にやり遂げるとは思ってもみなかったらしい」


 マーガレットは言葉を失った。

 常軌を逸している。


「しかしな姉ちゃん。閉じられた世界で外部の目が入らないとなれば、追々にして極端な考えが支配しちまうんだよ。端から見れば、確かに異常だな」


「やだやだー! 王都帰るもんねー!」


 サラが駄々をこねる声だけが続いていた。


 そこにノックの音が響く。

 エリックとジェフリーだ。

 ウィンドミルは二人に助けを求めるように、今までのことを掻い摘んで説明した。


 ◇ ◇ ◇


「ロッドフォード様。本気ですか?」


 ウィンドミルの声にジェフリーは頷く。


「ああ。僕は降りる」


「しかし!」


「話が違うからね。そうなれば僕の魔法は必要ない。護衛はエリックがいればじゅうぶんだろう?」


 エリックは壁に背をもたげ、腕を組んでいる。


「まぁ、俺だってアリクアムに行くつもりだったからな。好きにしろ」


「すまないね」


 マーガレットは自分の脇が湿っているのに気付いた。

 ノースリーブの服を着ているとビンセントがチラ見してくるので、今は上着を着ている。

 別に不快ではないが、気が散るのも確かだ。


「…………」


 この流れで行けば、サラを護衛して王都を目指す役割は、マーガレットとエリックに回ってきてしまう。

 エリックが近づいて来た。


「おい、マーガレット」


「……何ですの」


「よろしく頼むぜ」


「…………」


 嫌だ、その一言がどうしても出てこない。


「姫様のためだ。余計な事は考えるな」


「サラ様の、……意志ならば、仕方が……ありませんわ」


 マーガレットは自分がサラを言い訳に使っていることを自覚してしまった。


「いずれにせよ、計画は練り直しになる。ゆっくりしようぜ」


「……そうですわね」


 サラが王都を目指すのであれば、アリクアムへ向かう前提だった計画は抜本的な見直しが迫られる。

 勢いだけで突破できる訳ではない。

 受け入れのための準備も必要だ。それなりに時間が掛かる事だろう。


「……ハァ」


 その間エリックと過ごすのは、あまりにも気まずかった。


「やだやだー! 王都ー、王都ー!」


 サラは今も駄々をこね続けている。

 ウィンドミルが折れるのも時間の問題だろう。

 名目上この国の所有権はサラにある。国民もその多くがサラを次期国王と考えているだろう。

 小さな子供のほんのワガママ、だからこそ検討の余地がある。


 サラがもしも成人で、摂政の居ない実際の君主として振る舞っていた場合は話が変わってくる。

 つまり、戦争責任だ。


 新首相のジェシー・ロイ氏は政治経験がなく、その手腕には疑問符が付くという。

 実際に同盟国だった大国オルス帝国がエイプルに宣戦布告し、戦況はかなり不利だ。

 国が分裂していては不利な条件での講和、すなわち敗戦も現実味を帯びてくる。

 最悪の場合は無条件降伏となり、戦勝国によってエイプルは永久に分断されかねない。


 サラが王都に凱旋し、分裂しかかっているエイプル王国を一纏めにできれば、最悪の可能性を回避することも不可能ではない。


「だって王都はわたしの地元じゃんかー! かえって何が悪いんだよー!」


 どう見てもホームシックの子供だ。 

 ウィンドミルが、あからさまに作った穏やかな表情で語りかける。


「殿下、そろそろオヤツにしましょう。カスタネにもパフェの美味しいお店があるのですよ」


「おー、ほんとかー? 話をそらそうったって無駄だからなー」


 そう言っている割に、素直にサラはウィンドミルに付いて出ていった。

 エリックも面倒くさそうに続く。


「やれやれ……ワガママなお姫様だ」


 マーガレットは酒瓶を抱えるケラー首相に目を向ける。

 色々と聞いておくことがあった。

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