第100話 宣戦布告

「来た来た来たッ! ビンセント、早く撃てっ!」


「わーってる!」


 カークマンはビンセントを急かす。

 ビンセントが押金を押すと、十二・七ミリ弾がドラムのような大音響で銃口から吐き出された。

 敵の進軍は止まったが、射撃の手を緩めるとすぐに敵兵がわらわわと湧いてくる。

 足元に積みあがった空薬莢の山は、時折マッキー二等兵がバケツで回収していく。


「カークマン、水! 水がない!」


「急かすなバカッ! 今入れる!」


 カークマンが機関銃に冷却水を注ぎ込む。水が切れると銃身が赤熱化し故障してしまうのだ。最悪の場合、弾薬が暴発して制御不能になる。

 何があっても水を絶やすことはできない。


 その間にも土嚢に次々と敵弾が撃ち込まれていく。


「よし!」


 再び射撃。


「…………」


 指揮官のヨーク少尉は、腕を組んだまま考え事をしていた。

 

「隊長! 擲弾筒を使いますかぃ?」


 タリス軍曹がこれ見よがしに擲弾筒を見せつける。

 全長六十センチほどの、鉄パイプと棒を組み合わせたような武器だ。

 グレネードランチャーである。


「……ハットンを待て」


 ハットン上等兵は、切断された司令部との通信回線を復旧するため、砲火の中作業を続けている。

 一度は回復した通信も、応急修理の無理が祟ってか、敵の砲撃により破壊されてしまったのだ。

 司令部との通信を断たれたままでは、にっちもさっちも行かない。

 電気回路に詳しいハットンを信じるしかない。


「ふっ……」


 ヨーク少尉は溜息をつく。タリス軍曹が心配そうに顔を覗き込む。


「どうしたんですかい?」


「いや……ハットンは確かに電気工事士だが、試験に受かって資格を持ったというだけで実務経験はないからな。もしもダメでも、責めるんじゃないぞ」


 ハットン上等兵は、技術系の資格を取れば危険な前線から遠い後方任務に就けると思っていたらしい。

 確かにそんな時代もあったが、それももう過去の事。

 たとえ技術者でも前線に送らざるを得ないほど、人員の損耗は加速していた。

 まるで、飢えれば自分自身の足を食うと言われるデビル・フィッシュだ。


 ちなみにジョージ王は生前、非常にデビル・フィッシュを好んだという。

 エイプル人には忌み嫌われていたデビル・フィッシュだが、忠誠を示すために恐る恐る口にした貴族がやめられなくなり、以降独占したとされる。

 興味を持つものはいたが、結局誰も困らなかった。


「ま、これこそ本当のダメでもともと、ってヤツっすかね」


 本来であれば、ハットンは戦災復興や次世代の技術開発に必要な人材に成長しうる。

 前線に投入するなど馬鹿げていた。

 しかし、命令は命令。どうにか生き延びてほしい。


「ビンセント。弾幕を絶やすな」


「了解ッ!」


 射撃は続く。ひたすら続く。

 マッキーが空薬莢を片付けるのも、何度目かわからない。


「…………」



 前触れもなく戦場に現れ、味方の劣勢を覆した女騎士。

 ヨークは、かつて彼女を王都で見たことがある。名前はイザベラ・チェンバレン。


 婚約者であるジャスミンの王立学院の同級生だったが、当時の彼女はドラム缶のような体型をしていたはずだ。

 年頃の女性であることだし、何か思うところがあってダイエットを強行したのだろう。

 それは大した問題ではない。


「問題は、やつだ」


 土嚢に身を隠し、ひたすらひたすら機関銃を撃ち続けるビンセント。

 彼は他となんら変わることはない、ごくごく普通の平民の兵士だ。


 しかし、経歴の一部が抹消されており、この二十連隊に移動する直前の所属が不明だ。

 彼女はなぜ、彼を追ってまでリーチェに来たのか?

 彼女は何も答えず、ビンセントも何も言わない。

 ただ単純に、恋する乙女が好きな男を追って来た、と考えるにはさすがに不自然だ。


 ヨークは胸に手を当てる。そこには傷跡一つ無い。

 仮面の男によって撃ち込まれた毒針は魔法で作られた特殊な毒物で、致死性が非常に高い。


 何日も生死の境を彷徨ったが、ある朝なんの後遺症もなく回復していた。

 ジャスミンが言うには、王女殿下に回復魔法をかけていただいたのだという。

 しかし、サラ王女は中立国アリクアムに留学中のはずだ。


「……やはり、殿下となにか関係が……?」


 通信機をいじっていたエイリー上等兵が、不意に声を上げる。


「隊長ッ! 司令部との通信、回復ッ! ハットンが、やってくれました!」


「よしッ! タリス、擲弾筒撃ち方はじめッ!!」


「了解ッ!」


 塹壕の底から轟音とともに榴弾が山なりに発射され、敵の一個分隊が声もなく吹き飛ぶ。


「もういっちょ!」


 再び発砲。


「もういっちょァ!!」


 ありったけの榴弾を撃ち込む。

 響く轟音、辺りは硝煙と巻き上げられた土砂で何も見えない。


「っしゃあオラァ!」


「撃ちかたやめ!」


 どうやら撃退に成功したようだ。

 無人地帯に動くものはない。


 塹壕の底から見上げる空は、地上で流される血のように赤く染まりつつある。

 どうやら今日のところは、リーチェを守り抜いたらしい。


 長い一日だった。


 ヨークは塹壕の土壁に体を預ける。


 ◇ ◇ ◇



 塹壕の一角に掘られた壕の中。

 快適とは言い難いが、ヨークのために与えられた個室である。当然、壁も天井も土が剥き出しだ。

 旧式の石油ランプの明かりが壕内を照らす。

 魔法のランプでは、清掃などで立ち入る平民が困るのだ。電球では衝撃に弱い。


「ジャスミンちゃん、ボク今日は疲れたよ。酷いよね、みんな殺気立ってさ。早くトマトス湖の別荘で、本物のジャスミンちゃんとちゅっちゅしたいな~」


 ヨークが話しかけているのは、お抱えの人形師に作らせた超・精密なジャスミンちゃん十二分の一フィギュアである。

 全身の関節可動に加え、衣装はジャスミンちゃん行きつけの仕立て屋に特注で同じものを作らせてある。

 人形の服は専門の店へ行けと言われたが、どうしても同じものが欲しかったのだ。

 家具セットも同様である。


 ジャスミンちゃんだけでは寂しそうなので、家にあるお友達の持ち込みも検討している。

 テーブルに並べてお茶会ごっこをやったら、さぞや楽しい事だろう。


「新しく来たビンセント、ほんとに目つきが怖くてさ~。勘弁してほしいよね? イザベラさんについてアリクアムでもムーサでも行けば良かったのに」


 ジャスミンちゃんは答えない。当然である。


「そうだ、やつに休暇を出せばいいんだ! その間に司令官のチェンバレン中佐に何とかしてもらおう! だってあいつ怖いもん!」


 戦場の兵士は、訓練で優秀な命中率を誇る兵士でもなかなか敵兵に当たらない。

 板の的と違って人は動くし、何よりも深層心理で人殺しを忌避するため、無意識に外してしまうことが少なくないのだ。

 しかし、ビンセントは躊躇なく敵兵に当てる。

 もちろん兵士としては優秀なのだが、ヨークはビンセントが恐ろしかった。

 鬼気迫るというか、ああいう兵士はおおよそ碌な死に方をしない。前線から下げるという考えも、決して私情だけではない。


 ノックの音が響いた。


「タリスっす」


 ヨークは急いでジャスミンちゃん人形に布を掛ける。


「入れ」


「隊長、やべぇ……」


 やべぇのはお前だ、という言葉をヨークは飲み込んだ。

 タリス軍曹は常にちんこが勃起している。

 作業中でも、戦闘中でも、休憩中でも。今もそうだ。

 彼は常にラベルに蛇の絵が描かれた栄養ドリンクを欠かさない。

 見なければどうという事はない。むしろ気にしてはいけない。

 それ以外は非常に優秀な軍人だし、やるべき事はやっているのだ。……変な意味でなく。

 表面上の態度はごく普通の軍人のそれである。ただ、ちんこだけがいつも元気だ。


「何事だ」


 タリス軍曹は青ざめた顔で、ヨークの机に新聞を放り投げる。

 危うく風圧で布がめくれそうになったが、幸い事なきを得た。


「!?」


 ヨークは、目を丸くした。

 目をこすり、深呼吸してもう一度紙面へ目をやる。



『オルス帝国、同盟を破棄。エイプル王国に宣戦を布告』


『クレイシクと講和か』


『オルス帝国とクレイシク王国が同盟の場合、エイプルは四面楚歌に』


 クレイシク王国の偽装工作ではなかった。

 今日の敵は、本当にオルス帝国軍だったのだ。偽装工作ではない。


「どうなっちまうんすかねぇ?」


 嫌な予感が当たってしまった。

 エイプル王国の兵力では、リーチェを守ることすら危うい。



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